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てっしゅう
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「哀の川」 第十章 好子と杏子

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第十章 好子と杏子


いよいよ直樹と麻子の会社の入ったビルが完成した。近所の住人や大橋事務所のみんな、裕子のダンス生徒、美津夫の取引関係先、そして好子や純一の学校の父兄など、大勢が見守る中、落成式が行われた。一通り挨拶を話し終えた直樹は、拍手とともに来賓代表の大橋から祝辞を貰った。

「この度は?キオナ開業と斉藤、加藤両家および裕子ダンススクールの落成、まことにおめでとうございます。今後は地域活性化と住民の皆様に愛されるキオナビルであることを願ってやみません・・・」また、盛大な拍手に包まれた。開店祝いの品物を集まって頂いた方々に配り、無事式典は終了した。午後からは、直樹と麻子たちの荷物、加藤と裕子たちの荷物などが引っ越し業者のトラックで運ばれてきた。ばたばたと配置や取り付けに追われ、気がついたら深夜になっていた。

「麻子、もう日付が変るから、明日にしよう。裕子さんたちにもそうしてもらうように言って」
「うん、そうだね。じゃあ上に言ってくるから・・・」
五階の加藤家に様子を見に行った麻子は、ノックして出てきた裕子に、もう少し片付けるから、あなたたちは終わりにしていいよ、と言われてしまった。

「直樹、姉さん達まだやるって・・・じゃあ、お風呂に入って、休もうか」
「そうだね。明日も頑張らないと、いけないからね」

片付けが終わって、やっと事務所開きが出来たのは一週間ほどあとのことだった。純一の希望で杏子は同じ部屋で寝る事になった。麻子が仕事で忙しくなったとき杏子が居てくれる方が助かるからだ。もうすぐ六年生の純一にとってこの後思いがけない経験をすることになる。今日も杏子と一緒に風呂に入った純一は顔は小学生とはいえ、身体は大人になりかけていたことを、杏子は感じ取っていた。

一階のカフェがオープンしてしばらく経った。杏子が買ってきたハロッズのティーとケーキのセットは好評で、もうなくなりそうな勢いだった。そんな頃、好子がお祝いを携えて来店した。

「いらっしゃいませ!ご来店ありがとうございます。お客様はお一人でございますか?」
「ええ、そうよ。お祝いを持ってきたの。裕子がいたら呼んでくれる?」
「お知り合いの方でしたか・・・しばらくお待ち下さい」
杏子は内線電話で裕子に連絡した。二階から降りてきて、好子の前に来た。

「あら!好子、ありがとう。来てくれたのね。まあ、座って。そうそう、紹介してなかったわね、この人は直樹さんのお姉さんで杏子さんって言うの。こちらはね・・・」口を挟み混むように続けた。
「わたしは好子、大橋好子です。直樹さんの勤めていた会社の元社員だったのよ。あなたは実のお姉さんでしたか・・・直樹さんとは似ていない美人でらっしゃいますね」
「褒めて頂きありがとうございます。裕子さん、ハロッズティーとケーキのセットでよろしいですか?」
「好子もそれでいい?・・・うん、じゃあお願いね」
「直樹さんは、元気!仕事は順調?それと・・・加藤さんは優しい?」
「ええ、みんなその通りよ。心配には及ばないわ。それより、あなたお店開いたの?」
「まだよ、お店の機材のことで考えているから決まらないの。業者の値段が高くて思案中なのよ。誰か知り合い居ないかしら?音響関係の」
「そうねえ、そうだ!ホテルオークラの支配人ならコネがあるかもしれないよ。電話してみるね」

裕子は、支配人に電話をかけ聞いてみた。自分のところの設備を任せている業者から紹介させるからと、好子の連絡先を聞いてきた。

「好子、連絡先教えてって?どうする?」
「それは嬉しいわ。じゃあ、自宅へかけて下さるかしら・・・」

携帯が普及していない時代はこうした気の長い約束しか出来なかったのである。

好子が紹介された設備業者と契約して開店にこぎつけたのは、12月に入った初めての金曜日だった。渋谷からは少し離れた東日本橋の隅田川が見える2軒の店舗付住宅で向かって左側だった。車は無理をして3台駐車できるが、出し入れは簡単ではなかったので、川の近くの有料駐車場を別に2台借りていた。お店の名前は、簡単に「愛」前にカラオケ喫茶と付けて「カラオケ喫茶・愛」とした。

好子は営業時間が夜になるので、実家から出て店舗の二階に住むようにした。渋谷とは違いのどかで昔の町並みがお店の雰囲気とマッチしていた。地下鉄の人形町まで歩いてもすぐ、JRの神田駅まででも歩こうと思えば歩ける。開店してすぐに近所のうわさになり、演歌世代の人たちがたくさんやって来るようになっていた。

好子は歌が好きではなかったが、普通の喫茶店ではなかなか経営が難しいと判断し、カラオケ喫茶に踏み切った。それは、まずまずの成功に思えた。クリスマスも近い週末の店に、一人の女性がやってきた。ドアーが開いて、カラオケ音楽が大きな音で流れている店内に足を踏み入れた。

「あら!杏子さん、いらっしゃい。わざわざ来てくれたのね。座って・・・と言っても混んでるわよね。少し待ってね・・・」カウンターの席を片付けて一つ空けた。そこに杏子が座った。
「繁盛してますね、大橋さん・・・気を遣わないで下さいね。一人で聞いて過ごしますから・・・コーヒー下さい」
「ありがとう・・・せっかくだから、歌っていってよ。チケットは、一曲分は飲み物に付いているから・・・ただよ。レーザーディスクの番号を書いて、チケット出してくれたら予約入れるから」
「はい、本見て歌えそうな曲があったら、そうします」

まだ大画面のテレビはなかったから、21インチ程度のブラウン管テレビが、レーザーディスクの映像と歌詞を映し出していた。これでも、今は最新式の機械であった。

十数人居たお客は夜10時になって殆どが帰っていった。寂しくなった店内で、初めて杏子は歌を唄った。ユーミンの卒業写真。学生時代の思い出の曲でもあった。好子は初めてとは思えないほどレーザーに合わせて上手く唄っている杏子に感心した。唄い終わって、数人のお客からも大拍手を浴びた。

「杏子さん上手い!これからも時々唄いに来てよ!ね?いいでしょ」
「ありがとうございます・・・歌は好きなんです。久しぶりに唄いました。レーザーっていいですね。それに聞いてくださる方が居るってこともなんだか嬉しいです」
「そうよ、そこなのよね・・・一人でボックスで歌うのもいいんだけど、こうして皆さんの歌を聞きつつ、自分の歌も聞いて頂く、ということでコミュニケーションも生まれるの。そこがここのいいところよ」
「好子さんはいい仕事見つけられましたね。とってもお綺麗だし、お似合いになっていますよ」
「あら、そんなおべんちゃら言って・・・御礼にチケット一枚あげるから何か唄って下さる?」
「ええ、いいんですか?・・・じゃあ、キャンディーズの年下の男の子、にします」

好子の頭に直樹とのことが甦ってきた。歌の歌詞どおりに、可愛い年下の男の子、だったのである。