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てっしゅう
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「忘れられない」 第九章 暗転

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「はい、お気遣いありがとうございます。治るかどうかはこれからの治療にかかっていますの・・・信じてはおりますが」
「大変ね・・・ストレスを溜めてはいけませんよ。ここに毎日でもいいから帰りに寄ってください。美味しいコーヒーでも差し上げますから、これも何かのご縁だし」
「ありがとうございます・・・勇気付けられました。裕司さん、例の歌唄って下さいません?」
「愛のあなた・・・ですね。喜んで・・・」

歌を聴き終えたところで電話が鳴った。
「あら、誰かしら・・・沙織さんかも知れない」外に出て、電話に出た。
「もしもし・・・はい、有紀ですが・・・沙織さんですか。ええ、電話させて頂きました。少しお話したいことがあるのですが、会えませんか?」

沙織は快く有紀の誘いに応えてくれた。明日の朝に刈谷駅で待ち合わせることにして電話を切った。店の中に戻って一時間ほど過ごし明雄のアパートに帰って行った。

刈谷駅の改札を出たところで沙織は有紀を待っていた。近くを通る男性はみんな振り返りそして視線を下半身に落としてゆく。それもそのはず、すらりと伸びた素足にミニスカートを履いていたからだ。若くは無いのだが、自信がそうさせるのだろう。

「お待たせしました」直ぐにそこに立っているのが沙織だと有紀は気付いた。
「有紀さんですね・・・改めまして、石原沙織です」
「はい、埜畑有紀と言います。お呼び立てしてごめんなさいね。お話したいことがあるから・・・コメダにでも行きましょうか」
「ええ、構いませんよ」
有紀は麗子に教えられたその喫茶店に誘った。

「有紀さん・・・失礼ですが私と同じぐらいのお年ですよね?明雄さんと10歳違いだったと思うんですが」
「いいえ、もっと年上ですよ。27年生まれですから」
「本当ですか?お若く見えましたから・・・」
「ありがとう。嬉しいわ、初めてお会いした方からそう言っていただけて。沙織さんは私なんかと違ってとても若くてお綺麗よ。スタイルもいいし・・・そんな短いスカートなんて私では絶対に穿けないから」
「ううん、有紀さんは大人の雰囲気があって私なんかより男の方に好かれるタイプですわよ。お仕事何をされているのですか?」
「今は何もしていないの・・・する気になれないって言うのが本音だけど」
「ええ?どうして」
「明雄さんね・・・ガンなの。それも末期の・・・あと半年って宣告を受けているのよ。その事をあなたに伝えたくてお会いしたかったの」
「有紀さん・・・本当なのですか?」
「実はねまだ籍は入れてないの。ご存知よね?出来ない事。明雄さんは私に自由にしろって言うのよ。自分が責任取れないからって・・・30年以上も待たせておいて・・・」
「30年も・・・そうでしたの。あなたの存在を知らされた時は、ショックと言うより、いまさら何言ってるの!って思ったわ」
「私の存在?沙織さんと結婚生活をしていたのにそんなこと話したの?あの人・・・」

有紀は自分が感じた同じような不信感を沙織も感じたんだと知った。

「有紀さん、私が渡した書類は明雄さんに届いていますよね?」
「もちろんですわ。一緒に見ましたよ」
「だったら、あなたたち正式に入籍出来るんじゃないの?」
「そうしたいって話したら、明雄さん始めてあなたの事を話してくれたのよ。もし私が聞かなかったらずっと内緒にして結婚するつもりだったようなの」
「そうよね、目の前にいる好きな人に、別れたい妻がいるので待ってくれ、なんて言えないでしょうから」
「30年ぶりにある人のお世話で再会出来た時には、嬉しくて夢中になってしまった。だってね諦めかけていた時に偶然明雄さんが私の事好きでいるって知らされたのよ。消えかかっていた心の炎に油が注がれたように燃え出したの」
「それでお探しになったのね。でも良く見つけられましたね」
「そうなの・・・偶然が偶然を呼んで、いろんな人に助けられてここまで来れた。だから・・・あなたの存在を知ったとき、とても嫉妬したわ。明雄さんがそんな人だったなんて・・・信じたくなかったし」
「同じよ。あの人、いつも淋しそうで・・・ご飯食べたり、休みの日にドライブに出かけたりして、ゆっくりだけど付き合うようになったの。一人暮らしじゃ健康も損なうだろうから強引だけど押しかけたの。私もあの人と同じ一人だったから・・・早くに両親を亡くし、伯母に引き取られて高校卒業してすぐに働きに出た。生まれはこの辺りなのよ、岡崎市。知っています?」
「明雄さんの塾があった所ですね」
「そう。色々と仕事変わって最後は明雄さんと知り合った塾の事務で仕事をしていたの。講師仲間って言ったのは嘘になるけど許してね」
「気にしてないわよ。明雄さんと知り合うまでずっと一人だったの?」
「ええ、遊んでいた人はいましたけど、結婚は出来なかったですね。親居ないし、お金ないし、遊ばれてばかりだった・・・」
「あなたのように綺麗な人でもそうなんですね。哀しいわ・・・」
「有紀さん、私は綺麗じゃないの、心が浅ましいからそれを隠すように着飾っているの。あなたのように上品な美しさは真似できない・・・明雄さんが忘れられない事がよく解った。私は決してもう逢わないから、大切にしてあげて。明雄さんの身勝手はきっとあなたと出逢えた事で終わるわ。そう信じる、いえ、そうなる、あなたなら・・・」

有紀は思いがけない言葉に泣いてしまった。

「有紀さん・・・泣かないで。私まで悲しくなっちゃうから」
「沙織さん、ごめんなさい。あなたは優しい人よ。きっと幸せになれる。私を許して下さいね・・・あなたから明雄さんを奪ってしまうようなことをして・・・」
「何を言ってるの!私は自分からあのアパートを出て行ったの。たとえあなたの存在を知ったとしても、昔は昔って、彼を愛する事を続けていたら、こうはなっていないのよ。自分から放棄したの。気になんかしないでいいのよ」
「ありがとう・・・明雄さんをまずは助けなきゃ、あなたに会わす顔がないわね。今は治療に専念して頑張るから、安心して下さい」
「そうね、その意気よ。やっと肩の荷が下りた・・・なんだかおなかが空いてきたわ。一緒にお昼食べません?」
「あら、そんな時間なのかしら・・・少し早いけど行きましょう」

駅の反対側にレストランや歓楽街があった。ランチ時にはまだ少し早かったので比較的空いていた和風居酒屋の店で食事をした。有紀は沙織とこのまま別れてしまうことが残念に思えてきた。思い切って、また会えるように頼んでみた。

「ねえ、沙織さん。私たちってお友達にはなれないかしら?」
「えっ?元妻と・・・ですよ」
「そんな事関係なく・・・女同士として。あなたとこのまま別れてしまうことが淋しいの」
「うれしい事言って下さるのね。あなたは大人でいらっしゃる。私は構いませんよ、じゃあ携帯の番号交換しましょう」
「ええ、そうしましょう。良かった・・・明雄さんの秘密聞いちゃおうかな?」
「なんのですか?まさか・・・夜の事とかなの?」
「そういうことじゃないです。そんな事聞けませんし言えませんよね?」
「言えるわよ、お望みなら・・・フフフ」
「なんだか怖いです。辞めておきます」