淡墨桜よ、朱となり舞い上がれ!
「来てたの?」
大輔は紗智子に軽く訊いてみた。
「もちろんよ・・・・・・。この三月三〇日は、あなたとの約束だもの」
紗智子が意外にも微笑み返してきた。
大輔と紗智子は桜の木の下へと入り、並んで見上げてみる。桜の花がすっぽりと二人を包み込んでる。そして花々が空の青さに映え、見事に煌びやかだ。
しばらく大輔と紗智子は押し黙ったまま、そんな世界に埋没していた。そして紗智子がぽつりと呟く。
「まだ白いけど、随分と朱が混じってきているわ」
「えっ!」
大輔は驚いた。
それもそのはず、この桜は淡墨桜(うすずみざくら)。
蕾の時はピンク色。満開となれば、仄かな朱を残すが、白の強さが際立ってくる。
そして花びらを、徐々に淡い墨色へと変化させ散って行く。
したがって、今は見ての通りの白。そして、これから混じってくる色は墨色のはず。
紗智子はそれを、朱が混じってきていると言う。
紗智子はそんな大輔の訝(いぶか)しげな表情を見て取ったのか呟き続ける。
「私、四〇年前に、あなたと一緒にこの桜を見たでしょ、それからずっとこの桜は、朱に見えていたのよ」
紗智子はそこまで言って、大輔にそっと寄り添ってきた。そしてさらに話すのだ。
「大輔さん、同志として充分戦ってくれたわ、感謝してるわよ。お陰で約束通りだよ。私の散り際は、墨染めでなく、朱染めの花吹雪で大空へと舞い上がって行けそうだわ」
大輔は紗智子からのこんな言葉を聞いて、とてつもなく嬉しい。
「こちらこそ・・・・・・、紗智子がいてくれたから、ここまでやって来れたのだよ」
しかし二人は、すでに熟年離婚をしてしまっている。もう別々の世界を生きている。
もう、どうしようもない。
だが大輔は紗智子に一つのオファーをする。
「なあ紗智子、我々、あの出逢った頃に戻らないか?」
これを聞いた紗智子がじっと考え込んでいる。そして突然、ふふふと笑いながら言うのだ。
「そう言えば、あなた、あの頃のあなたと一緒だわ。学生運動の闘争が終わってしまって、落ち込んでいた頃のあなたよ。戦いが終わると、いっつもこうなんだから」
紗智子が今度はぷーと笑ってしまっている。
作品名:淡墨桜よ、朱となり舞い上がれ! 作家名:鮎風 遊