小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
はぎたにはぎや
はぎたにはぎや
novelistID. 3351
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

柊生さんとぼく

INDEX|12ページ/14ページ|

次のページ前のページ
 

結局僕は保健室という選択肢も早退という選択肢も選べず、滑り込むように理科室へ駆け込み、一時間目の授業をうつらうつらと舟を漕ぎながら受けてしまった。鼻からキシリトールを生産しそうなルックスの理科教師が僕を咎めなかったのが不幸中の幸いといった感じ。相対性理論に則ってそんなわけで一時間目が終了した。ふらふらで青島さんの号令に従い、今度はなんとか礼をするのに成功。また柊生さんに注意されてはたまらない。
クラスメイトががやがやと理科室を後にするのを僕は机に突っ伏して見送る。もう少し、せめてあと5分してから帰ろう。5分くらい寝かせてくれても罰は当たるまい。
今日は一段と仲良しすぎる瞼がまさにくっつこうとしたその間際、霞む視界に彼女の姿が見えた。
ああ柊生さんが。
「悪いな柊生。一人で持てるか?」
「大丈夫です」
尖った声で返事をする彼女の両手は今日の授業で使った理科の資料集の山で塞がれていた。四十冊分の分厚い資料集。柊生さんの細い腕にはどう考えても荷が勝ってる。
「あー……やっぱり悪いから俺も半分持とう」
「いえ、大丈夫ですから…」
「まぁそういうな、元々俺がしなきゃいけない仕事だし……」
相変わらずの拒絶ぶり。しかし相手も粘るな。ふと見れば相手はあの口からミント垂れ流してそうな理科教師だった。紳士っぽい柔和な笑みで柊生さんの腕から資料集を半分受け取ろうとしている。
荷が軽くなるというのに、何故だか柊生さんはひどく顔をしかめていた。日ごろがああいう態度だから、借りとかつくりたくないんだろうか。そういえば落ちた消しゴムも自分でさっさと拾ってしまうし、他人のものには絶対手を出さないことに定評のある子だったな。いつか女子がかなりの脚色を加えて話していたのを思い出した。
「あの」
僕は重たいのにふわふわする矛盾を抱えた体を起こす。
「ああ神津」
まだいたのか、と続きそうな口ぶりで理科教師が僕の存在に気づいた。柊生さんも睨むように僕に視線を投げた。
「資料集運ぶんですか?」
「3棟3階の資料室までな」
今いるこの棟の、ひとつ上のフロアにある三年専用資料室のことだ。たしかいろんな教科のいろんな備品がぎゅうぎゅうとおしこまれた掃除の行き届いていない部屋だったと思う。実際資料室とは名ばかりの倉庫。
わずかに笑みを解いた理科教師と柊生さんを見比べる。柊生さんの視線は突き刺さるように鋭い。口ほどに目が何かをがっつり伝えようとしている。
伝えたいことが何かはわからないけれど、僕は意図を汲み取る努力をしてみた。
「じゃあ僕が手伝いますよ」
一瞬の、誰も気づかないような間。僕が何気なく投じた一言は、ひそかに場の空気に波紋を描いたらしい。
「そうか」
しかしそんなものはなかったように、じゃあ任せた、と言って理科教師はにっこりと爽やかに微笑んだ。柊生さんからとった半分を僕が差し出した腕に乗せる。半分でもずっしりと重い。寝不足の体には余計に。
頼んだよ、と再三いわれて教師は黒板を消す作業に戻った。僕はちらりと柊生さんを窺う。彼女は硬い表情のまま、こちらをみようともせずすたすたと理科室を出て行こうとしている。
僕は慌ててその背中を追いかけた。
「ねぇ、鍵もらった?」
資料室には当然ながら鍵がかかっている。階段の手前でようやく追いついて、またそんな変なことを言ってしまった。彼女は立ち止まり振り返って抱えた資料集の山の頂上を僕に見せる。
彼女のペンケースと、三年資料室と彫られたごつい木版のキーホルダーがついた鍵。
「あ…はは…そりゃ持ってる、よね」
「早く行こ」
取り繕いはあっさりと流され、彼女は踵を返して資料室だけを目指し足を動かした。彼女に倣って、疲労しきった体に鞭をうち僕も黙って資料室を目指すことにした。
華奢で繊細そうなイメージなのに、案外彼女はたくましく、寝不足とはいえ僕が喘ぎ喘ぎ上った階段もカモシカのように軽やかな足取りでひょいひょいと上りきってしまった。そして人気のない3階の一番端にある資料室まで迷いなくたどり着いて、部屋の鍵を開けた。ドアを開けておいてくれる優しさがあるとも見えなかったので、僕は彼女の後ろへ小走りで追い付いて資料室に駆け込んだ。
案の定、掃除の行き届いていない場所は埃くさくて長時間滞在できるとは思えなかった。息を吸うだけで肺が空気中に漂う微生物に侵食されてそうだ。
僕がドアを閉めた瞬間、棚に資料集を戻していた彼女が唐突に言った。
「ありがとう」
「え?」
何を言われたのか一瞬理解できず、思わず聞き返してしまった。資料集を棚に返す手が思わず止まる。しかし彼女は不機嫌になることもなく、自分の分の資料集を棚にしまい終えると、僕のほうを向いてはにかんだように笑った。
……別人、とかじゃないよな。実は柊生さんは双子か二重人格で、場合によって入れ替わってるとか。
いや、今僕に愛くるしい笑顔を向ける彼女も数分前―――数秒前かもしれない―――の人形みたいな鉄仮面の彼女も間違いなく一人の、一人格としての柊生令だ。
「ありがとう神津くん、優しいんだね」
「え…いや、それほどでも」
神津君のそういう優しいところ好き、と彼女ははにかむ。今の彼女には、美少女という言葉が文句なしに似合う。僕はなんだか気恥ずかしくなって、目線をそらした。
「あのー、さ、柊生さん」
「なぁに?」
「さっきの続きなんだけど」
彼女はああ、と思い出したように手を打って、返事考えてくれた?と無邪気に尋ねる。僕が断ってもまるでかまわないかのように。
「返事する前にいくつか聞きたいんだけど」
「うきゅ?」
「昨日のあれ、君がやったの?」
「それは神津くんが付き合ってくれたら教えてあげる」
「今までの事件、君が起こしたの?」
「それも付き合ってからのお楽しみ」
「君、いったい何者?」
「おったのしみにぃー!」
「何で急に僕に告白なんかしたの?」
昨日はあんなに他人だったのに。
彼女はうふふ、と含み笑いをした。そしてあっけらかんと答える。
「それは神津くんが好きだからだよ!」
「好き、って言われてもねぇ……」
そこにはなんらかの原因やきっかけがあるわけで。人が無条件に人を愛したりできないこと、僕は悲しいほどよく知っているから。
……好きなんていわれても信じられない。
「なんで僕なの?……なんで僕を好きになった?」
「だって神津くんかっこいいし、優しいし、頭もいいし、かっこいいし!」
そんな他の女の子たちと同じ評価で、柊生さんの武装を無条件に解除できるとは思えない。
案の定彼女の言葉は続く。
薄い笑みを浮かべた口元。……瞳は笑っていない。瞳だけが何の表情も浮かべていない。
「それに、昨日死にたそうな顔してたから」
「……そんな顔してたかな」
「してた。初めて他人が綺麗だと思えたよ。神津くんのあの笑顔が一番好き」
言い終えて彼女はまた微笑む。心臓をえぐられるみたいだった。僕は意識的に死にたいなんて一度も考えた覚えはないのだけれど。
……心にもアポトーシスがあるなんて知らなかったな。
「だから、私に初めて他人を綺麗って思わせてくれた大好きな神津くんの傍にいたくて、お願いしてるの」
とろりと蕩けてしまいそうな笑みを浮かべて、彼女は僕の心をえぐる。
作品名:柊生さんとぼく 作家名:はぎたにはぎや