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The El Andile Vision 第1章

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Episode.4 封印された力



 イサスは外へ出た途端、戸口の側の塀に凭れ、そのまま地面にへたりこんだ。
 冷たい外気が頬を撫で、彼は息を吐き出した。まだ心臓がどきどきと激しく波打っている。
 そっと胸に手をやると、石の脈動は既におさまっていた。彼はほっと息をついた。と同時に新たな疑念が頭をもたげてくる。
(――何が……起こった……?)
 あの遊芸師は、さっき自分に何をしたのか。
「だいぶお加減がすぐれぬようだが、大丈夫ですか」
 不意に背後から声がかかり、イサスは驚いて振り返った。
 そこに立っていたのは、先程の遊芸師の若者だった。
 イサスと目が合うと、彼はにやりと笑った。しかしそれは先程まで彼が舞台上で見せていた愛想笑いとは全く違う、冷やかな笑みだった。
「やはり先程のがこたえましたか。少し手加減したつもりでしたが、それでも相当刺激が強かったとみえる。どうも、あなたはまだあの力を使ったことがないようですね」
「……おまえ――!」
 イサスの体に緊張が走り、彼の手は帯の短刀の柄にかかっていた。それを見て遊芸師はすかさず身を離した。
「慌てないで。ほら、この通り。私は丸腰ですよ」
 遊芸師は改めて少年の前に対峙すると、両手を開いて目の前にかざして見せた。
「おまえ――ただの遊芸師じゃないな。何者なんだ」
 イサスが探るような視線を投げると、若者はくすりと笑った。その顔に悪戯っ子のような、悪びれず屈託のない表情が広がった。
「遊芸師?――いえいえ、勿論、違いますよ。さっきのあれは宿と飯代代わりにね。――まあ、あんなのはちょっとした子供だましのようなものです。本物の遊芸師が見れば怒りますよ。聖都へ来て、本物の芸を見ればわかる」
 冗談ともつかぬような調子で言うと、一転して遊芸師はイサスを真面目な顔で見た。
「それはともかくとして――私はさっき、舞台の上から偶然あなたと目が合ったあの瞬間に、それを感じとってしまったのですよ。……あなたは本当に大変なものを持っておいでだ。なのに、あなた自身はまだそれが何かすらおわかりになっていない。……あなたこそ、いったい何者なのかお聞きしたいですね」
 イサスは、目を開いて遊芸師を見返した。
「――どういうことだ」
「その胸の石ですよ」
 若者はイサスの胸を指さした。
「……緑碧石――『エランディル』ですね。『契約の石』だ。私の焔に反応しましたからね、間違いない……。まったく驚いたな。なぜあなたがそれを持っているのか――答えは一つしかない。すなわち、あなた自身が『契約者』であり、あなたの体の中に『エランディル』の力が隠されているということだ」
「エラン……ディル……?」
 その言葉は、なぜかイサスの心の奥に深く響いた。
 ――遠い過去に埋もれた記憶。その記憶の片隅に封印されていた何か得体の知れぬものの影が、こそりと音を立て動いたような気がした。
 イサスは僅かに身を震わせた。
(何だろう、この感触は――)
 懐かしいような、それでいて同時にそれは、触れてはいけないものであるかのように、本能的な危機感をも感じさせる。
「――駄目だ……やめろ……!――」
 イサスの本能が、悲鳴を上げかけていた。彼は我知らず後退っていた。見えない何ものかの手から逃れようとするかのように。
「逃げないで……私の目を見て下さい。大丈夫。恐がることはない」
 遊芸師は身を退いていこうとするイサスに向かってそっと手を伸ばした。その碧い瞳が真っ直ぐ彼の黒い瞳を覗き込む。
「私の目を見て……そう、そのまま……楽にしていればいい。さあ、私に心を開いて――」
 イサスは遊芸師の目から、目を逸らすことができなかった。
 その瞬間、彼は既に自分が遊芸師の手の内に捉えられてしまったことを悟った。だが、彼にはもはやそこから抜け出すことはできなかった。
 遊芸師の差し伸ばされた手がイサスの額にそっと触れた。
 ――エランディル――
 言葉が、再びイサスの脳にずしりと重く響いた。
 ――頭の片隅に微かにちらつく淡い光の片鱗。脈打つ何か強い波動。
 ……その何かは、確かに彼の体の中で息づいているようであった。
 遊芸師はその確かな手ごたえを感じると、更に見えない触手を少年の意識の内側へ伸ばそうとした。
 ――駄目だ。それ以上は……!――
 突然、イサスの内にある何かが、強くそれを拒んだ。
 ――くるな……!――
 激しい拒絶の感覚と、同時に鈍い衝撃が彼の体を貫いた。イサスの心が狂ったように悲鳴を上げていた。
 遊芸師の額に汗が滲んだ。
 少年の思いがけない抵抗が、彼の力を予想以上に消耗させていた。
 少年の記憶の入り口まで何度も手を伸ばすのだが、そこから先へ行こうとすると、強固な壁に阻まれ一歩も進めなくなってしまう。
 ――それは、堅く閉ざされた封印の壁であった。
 何者の為したる業か、恐ろしく強い力で封呪されている。さしももの彼の力をもってしても、そう簡単には突き崩せそうにない。
(これ以上は無理か――)
 遊芸師は息を吐き、イサスから手を離した。
 少年の体がぐらりと揺れ、倒れかかるのを両手でしっかりと受け止める。
 イサスは完全に意識を失っていた。遊芸師はそのまま彼の体を、地面に横たえた。
 手を離して立ち上がり、改めて目の前の少年を見下ろす。
 その遊芸師の碧い瞳が物思わし気に揺らめいた。
(こいつもまた、フェールの血を引く者なのか。しかし『エランディル』とは、また……――あのお方がこれをお聞きになれば、どう反応されることか……)
 遊芸師が僅かに逡巡する様子を見せたとき、イサスの口から小さな呻き声が洩れ、彼は再び意識を取り戻した。
 地面に手を突き、何とか立ち上がろうとするイサスの体を遊芸師が支えた。
「急には動かない方がいい……ゆっくりと立って――」
 イサスは遊芸師の顔を、不審を込めた目で見た。
「おまえ……俺に、何をした――?」
 遊芸師はそんなイサスを間近から平然と見返し、にっこり微笑んだ。
「何も――ただ、ほんの少し心の中を覗かせてもらっただけです。残念ながら、私の望むものは見つかりませんでしたがね。――ただわかったのは、あなたが盗賊団『黒い狼』の首領イサス・ライヴァーだということぐらいかな」
 イサスの顔に驚きと同時に忽ち強い警戒の色が浮かんだ。彼は反射的に遊芸師の腕を払いのけ、半身を起こしたまま、相手を睨みつけた。
「……おまえは……誰なんだ……」
 その問いかけに対して、遊芸師はただ謎めいた微笑を返しただけだった。
「――それはまたの機会に」
 そう言うと、彼はそのまま踵を返し、歩き始めた。
 それを呼び止めようとしたイサスは、思わず息を飲んだ。
 歩き去っていく遊芸師の体が、徐々に闇に溶け込んでいく。姿かたちそのものが薄れ、文字通り虚空に消えていくのがわかる。
 信じられぬ光景に、イサスは慄然とその場に硬直した。
 何がどうなって……という理屈はとうに彼の脳裏から飛び去っていた。
 ただ、これが好ましからぬ何かの始まりであるらしいということだけは、漠然とながらも感じ取れた。
「おい、イサ!何やってんだ、おまえ」