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The El Andile Vision 第1章

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 戸口から最初に顔を出したのはレトウだった。見るなり、驚いたようにイサスのそばへ寄ってきて、顔を覗き込む。
 イサスと目が合うと、レトウは小さく息を吐いた。
「おいおい、びっくりさせんなよ。……てっきり誰かに殺られたもんと思ったぜ」
 レトウはイサスの体を強い力で引き上げた。
「どうした。何かあったのか」
 続いてリースも出てきたが、レトウに支えられて立ち上がろうとしているイサスを見て、やはり驚いた様子だった。
「いや、何でもない――」
 イサスはそう言うと、レトウの腕から身を離そうとしたが、足元はまだおぼつかなげであった。
「おっと、危ねえ」
 一瞬揺らめいた彼の体をレトウの逞しい腕が再びしっかりと受け止めた。彼はイサスの顔を一瞥すると軽く鼻を鳴らした。
「全く……どう見ても、何でもないって顔じゃないがね。……まあ、いいや。弱音吐かねえのは、あんたの性分だからな。
 今さら言ってもしゃあねえが、明日は大仕事が控えてんだからよ。頼むぜ。肝心の首領(ボス)が倒れちゃあ、俺たちは――」
 言いながら、レトウの目がふとイサスの背後にある何かをとらえ、彼はイサスに素早く目配せした。
 レトウの視線を追ってイサスが振り返ると、数歩離れた先の路地に入る角にいつのまにか一人の少女がひっそりと佇んでいた。
 それを見て、リースが僅かに眉をひそめた。
「イサス――」
 彼が何か言おうとするのを、イサスは目線で止めた。
「悪いが二人とも、先に中へ入っててくれ」
 イサスはレトウの腕を押しやると、今度はいくらかしっかりとした足取りで少女の方へ歩み寄っていった。
「あいつ……いつからティランの妹と――」
 リースが呟くと、レトウが彼の肩に手を置いた。
「ま、仕方ねえや。首領(ボス)も年頃の坊やだ。それに、ターナはあの通り、なかなかの別嬪ときてる。全く、ティランの野郎と兄妹だなんて、信じられねえよな」
 レトウは面白そうに言った。自分もイサスと僅か三、四才しか違わないということをすっかり忘れているかのような口ぶりだった。
「けど、それも今夜でまあ、終わりだな。ティランの野郎が裏切ったとなりゃあ……」
 レトウは気軽に言うと、さっさと宿の中へ戻っていった。
 しかし、リースはしばらくその場に留まり、難しい表情のまま、イサスと少女の方へ視線を注ぎ続けていた。

 *   *   *   *   *

 路地の角では、イサスと少女がぎこちない様子で向き合っていた。
 南国娘特有の小麦色に焼けた肌が、お下げに編み込まれた栗色の長い髪によく似合っている。
 昼間日の光の下で見た方がより見映えがしただろうが、夜の暗い帳が下りた中ではどこか色褪せ、精彩を欠いた印象であった。
 あるいはそれは彼女の打ち沈んだ雰囲気からきているのかもしれなかった。
「……イサ……」
 ターナは、俯きながらそっと切り出した。彼女は意図的にイサスと目を合わせるのを避けているかのようだった。
「……今日、兄さんが来たの。――明日、州都(ジェラト)へ発つって……」
 イサスは無言のままだった。
 ターナはふと顔を上げた。いつもの生き生きとした活発な表情が暗く翳りを帯び、今は紙のように白くなっていた。
「――兄さんは、やっぱり裏切ったのね。さっき、あんたのところに来たはずよ」
 ターナは言いながら、物問いたげにイサスを見た。
「あんた、兄さんを逃がしたんでしょう。あたし、あんたはきっとその場で兄さんを切り捨てると思ってた。
 ……馬鹿だわ、あんた。あんたらしくないよ、こんなの。
 兄さん、きっとあんたを殺すよ。兄さんはあんたのこと、憎んでるんだから……!」
 そう言うと、ターナは急に感情を爆発させた。彼女の顔に瞬時に生気が甦り、怒りに頬を紅潮させて、彼女はイサスを睨みつけた。
「何で殺さなかったの。あんた、馬鹿よ!」
 ターナは吐き捨てるように言いながらも、その褐色の瞳は悲しそうな色を湛えていた。
 そのとき、彼女が本気でその台詞を言っていたのかどうか、彼女にも実のところわからなかった。
 兄への気持ちと、イサスへの思いが絡み合い、彼女は困惑の中にいた。
「――おまえも、あいつと一緒に行くのか」
 イサスが初めて口を開いた。冷たい淡々とした、感情の込もらない声だった。
 ターナはびくっと肩を震わせたが、すぐに頷いた。
「兄さんのこと……放っておけないから」
 彼女は、薄く笑った。
「――ごめん、イサ。でもね……あんな兄でも……私にとってはたった一人の肉親なのよ」
「そうか。じゃあ、今夜でお別れだな、おまえとも」 その言葉は相変わらず淡々とした調子で、そこには何の感情の発露もないように感じられた。
 しかし次の瞬間、イサスの黒い瞳がターナを初めて真っ直ぐに見据えたそのとき、ターナには彼の内にかつて見たことのないような激しい感情の波が渦巻いていることがわかった。
 彼女は何か返したい言葉がたくさんあるような気がしたが、なぜか胸が詰まって何も出てこなかった。
 代わりに彼女はイサスに思い切り抱きついた。
「さよなら、イサ……気を付けてね」
 ターナは最後にそっとイサスの耳元にそう囁いた。
 体を離す直前のほんの一瞬、彼女を抱くイサスの腕に力が込もったような気がしたが、離れたときに見たイサスの顔はいつものように冷静で、もはや一片の感情の揺れ動きすら感じられなかった。
 それは、ターナがイサスと知り合う前にいつも見ていた『黒い狼』の首領の顔だった。
 かつて彼女が、見る度に恐ろしさに打ち震えずにおれなかった、冷酷な野性の獣の面。
 今その彼の顔は、彼女にはかつてとはまた異なる意味で、慄然たる思いを抱かせるものとなった。
 なぜなら、彼女は既にその面の内側に存在するもう一人の彼の素顔を見てしまっていたから。
 あるいは、彼女はイサスの中の踏み込んではいけない領域にまで、少々深く足を踏み入れすぎていたのかもしれない。
 そう思ったとき、ターナはひそかに震えた。ふと、イサスはこのまま自分を生かしておかぬのではないかという気がしたのだ。
 ターナは様々に渦巻く感情を敢えて抑えて、イサスに背を向けた。
「ターナ」
 歩き出す彼女の背中へ向けて、イサスが不意に声をかけた。
 その声の強い響きにターナはびくりと一瞬足を止めた。
 イサスの小昏い瞳が自分の背中に突き刺さるように注がれているのをターナは肌で感じ取った。
「――今度会うときは、ティランも、おまえも殺す」
 イサスの言葉は冷たい夜気の中を、鋼のように無機質に響き渡った。

 (...to be continued to the next chapter)