時間泥棒
気づいたら夕日の差す教室にいた。
さっきまでは朝の六時半。どう考えてもまだ家にいたはずだ。十二時間近くも盗られたというのか。
教室には、私ともう一人、クラスメイトの木谷くんが残っていた。
彼は他の馬鹿な男子とは違って、髪を立たせたり、大声で騒いだりもせず、どこか品があって私は気に入っていた。
なんだか彼の目の前でぼーっと突っ立っていることにすごく恥ずかしくなった。慌てて、聞かれてもないのに弁解の言葉を述べようとする。
すると、木谷くんの机の上で何かが光っていることに気づいた。下敷きか定規に光が反射しているのだろうか。
それは懐中時計だった。驚いたのは、その時計がなんと、浮いていることだった。不自然な光を帯びて、机から三十センチほど上に浮いていた。
しかも、その時計の針は右ではなく、左に回っていた。
私は思わず、この事態を見て直感で言葉を発していた。
「あなたが私の時間を盗っていたの?」
木谷くんは振り返ったが、至って自然な仕草だった。
私がいることにも、目の前にある時計にも何の不思議を感じていないようだった。
しかも、その次に出てきた言葉は驚くべきものだった。
「今更気づいたのかい?」
「ひどいじゃない、あなた、それ」
私の方が驚きすぎて、うまく言葉が出てこなかった。
「どうやってるか知らないけど、いつもこんなことしてるの?」
「驚いたなぁ。大野さんも怒るんだ」
なんと彼は私の顔を見て噴出したのだ。
久しぶりの怒りに、私の身体中の血はどくどく脈打ちながら流れまわっていた。
「返して!私の今までの時間を返してよ!!」
「どうしてだい?」
「こんなの寿命を削っているのと一緒じゃない!」
「でも、君は生きるのをやめていたじゃないか」
思わず言葉を失った。何故、私の心境を知っているのか。
「たかが十六年しか生きていないくせに、既に人生に絶望している。死んでも別に気にしないんだろ?」
木谷くんの笑顔が夕日に照らされ、悪魔の笑みのように見えた。
彼はやがて、浮いている懐中時計を取ると無造作にポケットにしまいこむ。
「・・・木谷くんは、何者なの?」
「人の命を喰べる悪魔、あるいは魔法使いって言ったら信じる?」
私は首を縦にも横にも振れなかった。
黙り込んだ私を見て、彼はまた笑った。
「人の人生を喰ってるんだ。僕にだって罪悪感はある。だから、大野さんみたいに生きる気力がないヤツが一番やりやすいんだよね」
木谷くんはごく当たり前といった口調で、信じられないような話を続けた。
人の人生を削って自分のものに出来ること、そんな生活を数百年続けていること・・・いきなりそんなファンタジックな話をされて、どこまで信じればいい?
「木谷くんのやってることは殺人になるじゃない!」
「大丈夫、ほんの数年もらうだけ」
そういう問題じゃないと騒いでも、彼はまっすぐこっちを見返すだけだった。
「じゃあ、教えてよ。君はどうして生きるのをやめたの?」
答えたくなかった。
口をつぐんだ瞬間、私の時間はまた盗られ、気づけば自分の部屋のベッドにいた。
悔しくて悔しくて泣きたかったのに、必死で無感情でいようとした日々のせいか、涙はちっとも出てきやしなかった。