「哀の川」 第八章 夏休み
第八章 夏休み
神戸から戻ってきた二人は、忙しくビルの構想に明け暮れていた。ゴールデンウィークも休むことなく過ぎて、裕子から相談を持ちかけられた。
「麻子、話があるの・・・一人で聞いて欲しいんだけど、いい?」
「なに?構わないけど、じゃあわたしの部屋に来て」
裕子は二階の純一の隣にある麻子の寝室に入った。
「直樹さんにはまだ知られたくないから、ごめんね。実はね、妊娠したの。一度だけのことで出来ちゃったみたいなの。昔と同じね、皮肉な事よね。でも、今回は中絶しないから、麻子もそのつもりでいてね」
「ええっ!そうなの!・・・お目出度いじゃないの、隠さなくてもいいんじゃない?美津夫さんは知ってるの?」
「まだ言ってない。なんて言われるだろう・・・心配なの」
「何を弱気な!姉さんらしくないよ。美津夫さんにはっきりと言って、これからどうするか決めてゆかないと。旅行だって行けるかどうか解らなくなったから、辞めてもいいのよ」
「わたしはいいから、直樹さんとは行って来て。純一君も楽しみにしているだろうから。あなたは大丈夫なの?直樹さんと・・・」
「そうね、そういえば・・・ってうそ、大丈夫よ、出来なかったから。少し心配したけど、上手く外れたんだね」
「二人目が早く欲しいわよね。わたしに遠慮せずに、子供作ってよ」
「何を言ってるの、子供は欲しいけど、今はそれどころじゃないから」
「そうね、あと少しだから、頑張りましょう」
裕子は恐る恐る美津夫に電話した。やがて仕事の途中を抜け出して山崎家に駆け込んできた。
「裕子さん、加藤です!入りますよ」
息を切らして加藤は入ってきた。裕子を見つけるなり、抱き寄せ、
「裕子!電話嬉しかったよ。おめでとう!やったじゃないか。僕たちの子供だろう?昔のようなことは決してしないよ。大事にしていい子産んでくれよ」
加藤の言葉に、安心したのか裕子は声を上げて泣き出した。麻子も傍に来て一緒にもらい泣きをした。長い時を経て加藤の子供を再び妊娠し、今度は出産できる、そう思った嬉しさが何度も何度もこみ上げてきて、涙が止まらなかった。
麻子と直樹たちは頼んでいた設計士から概要を受け取った。細かい部分を修正しながら、大橋弁護士に立会人になってもらい、契約書に署名捺印した。契約者は直樹が設立した法人、株式会社キオナ代表取締役社長、斉藤直樹にした。麻子の出資ですでに法務局へは5月1日付けで登記を済ませていた。定款に併設する店舗で飲食が出来るように、喫茶業務を付け加えていた。
社名は考えたが浮かばず、自分の名前にしたらと麻子のアドバイスにしたがって、逆さ読みで作った。使っていればなじんでくるだろうと自分の名刺を見て、考えていた。取締役には麻子、裕子、山崎の母、斉藤の母、姉の杏子の五人と監査役は大橋に頼んだ。資本金二千万の輸入雑貨販売業は形の上でスタートしていた。
建物は一階が販売店とカフェコーナー、二階がダンススタジオとシャワールーム、三階がキオナの事務所と倉庫、四階が直樹と麻子の新居、最上階が裕子と美津夫の新居になっている。両親は麻子と同居する形にして部屋割りはされていた。純一と一緒の方が何かと都合が良いと考えたのだ。見積り金額一億二千万円は、考えた挙句、麻子からの借入でまかない、形の上では会社の借金になるが、利息のつかない穏やかな返済でスタート出来るようにした。
大橋事務所からの帰り麻子は直樹を誘って旅行代理店に立ち寄った。夏休みの純一と三人でイギリスに行くためであった。裕子の妊娠が解ったため、美津夫と二人は取りやめとなった。万が一を考慮しての事だ。旅行社の担当者は、今は海外旅行はイラク侵攻の影響で審査が厳しく特にアメリカ、イギリスは警戒が厳重なので心して出かけるようにと注意を受けた。実際には日本人は、ほぼフリーパスだ。特に家族連れには無警戒な状況なので心配は要らないが、事件事故の可能性が高いからそうアドバイスをしていた。
直樹は麻子と新会社の人選を考えていた。一階の店舗には常時店員が二人ぐらいは要る。事務所の電話と、経理と倉庫の管理で三人は要る。合計五人は新規で雇用しないといけない。売上げで維持が出来るぎりぎりの数字を考えないと続けられなくなるから、なるべく身内で経営したいと麻子に話した。
「そうね、お給料も時には出せなかったりすることがあるかも知れないから、身内のほうが言いやすいわね。そうだ、神戸の杏子さん今の仕事辞めれるんだったら、お手伝い頂けないかしら?一人でも助かるわ」
「そうだな・・・姉さんか、多分やりたい仕事してないからそんなこと言ったら、とんでくるよきっと」
「電話してみてよ。後は、誰かいないかなあ・・・」ふと浮かんだ名前があった。直樹の顔を見て、その名前を出すことをためらった。
「お店の人はパートさんでいいから、アルバイトニュースにでも載せるかな。経理と事務は社員で無いといけないから、ハローワークに募集を申し込もう」直樹は麻子がふと怪訝な顔つきをしたので、気になっていた。
「麻子、どうした?誰か思いついたの?」
「いいえ、そうじゃないの・・・考えたら手伝ってくれる人それほど思いつかないなあって、がっかりしてたの」うそをついた。
「後は裕子さんに探してもらうとしようかな。ね?麻子?」
「そうね、知り合いが居るかも知れないから」
話が一段落して、直樹は実家へ電話した。
「もしもし、ああ、おかあちゃん!姉ちゃんいる?かわってくれへん」
「はい、杏子です。ああ、直ちゃんか、なに?」
「うん、僕の会社手伝ってくれへんかなあ、って思うてん。人足らんねん。ちゃんと給料出すし、住む所も用意するから、どうや?」
「東京へか・・・ん〜、そうやなあ、ちょっと待ってや」母と父に気持ちを聞いた。電話口に戻ってきて、
「親も了解してくれたから、行けるよ。いつから?」
「良かったわ、おおきに。すぐ来て、何も持ってこんでええよ。化粧品と身の回りのもんだけでええから」
杏子は翌日勤め先に辞表を出し、週末の土曜日に東京へと向かうことを告げた。
裕子は直樹から社員になれそうな人を聞かれたが、一人を除いて思い浮かばなかった。麻子同様、その名前は出せなかった。まして美津夫と同居するここに働きに来るなどということは、考えられない状況でもあったからだ。
週末の土曜日になって、杏子が上京してきた。東京駅新幹線口に迎えに行き、そのまま、山手線で渋谷へ同行し、山崎の家に連れてきた。裕子と美津夫、麻子と山崎の母が迎えてくれた。
「お世話になります。直樹の姉、杏子です。今年34歳になります。皆様と仲良くさせてください」頭を下げた。裕子はにこっと笑って、腰掛けるように促し、挨拶をした。
「麻子の姉、裕子です。こちらは夫になる加藤美津夫です。お見知りおき下さい。杏子さんっておっしゃるのね、直樹さんも素敵だけど、とてもお綺麗な方ね!ねえ、美津夫さん?」
「そうだね、初めまして、美津夫です。直樹君とは元部下の関係でした。今は良き仕事仲間になろうというところです。直樹君にこんな綺麗なお姉さんがいるなんて、びっくりしました。よろしくね」
神戸から戻ってきた二人は、忙しくビルの構想に明け暮れていた。ゴールデンウィークも休むことなく過ぎて、裕子から相談を持ちかけられた。
「麻子、話があるの・・・一人で聞いて欲しいんだけど、いい?」
「なに?構わないけど、じゃあわたしの部屋に来て」
裕子は二階の純一の隣にある麻子の寝室に入った。
「直樹さんにはまだ知られたくないから、ごめんね。実はね、妊娠したの。一度だけのことで出来ちゃったみたいなの。昔と同じね、皮肉な事よね。でも、今回は中絶しないから、麻子もそのつもりでいてね」
「ええっ!そうなの!・・・お目出度いじゃないの、隠さなくてもいいんじゃない?美津夫さんは知ってるの?」
「まだ言ってない。なんて言われるだろう・・・心配なの」
「何を弱気な!姉さんらしくないよ。美津夫さんにはっきりと言って、これからどうするか決めてゆかないと。旅行だって行けるかどうか解らなくなったから、辞めてもいいのよ」
「わたしはいいから、直樹さんとは行って来て。純一君も楽しみにしているだろうから。あなたは大丈夫なの?直樹さんと・・・」
「そうね、そういえば・・・ってうそ、大丈夫よ、出来なかったから。少し心配したけど、上手く外れたんだね」
「二人目が早く欲しいわよね。わたしに遠慮せずに、子供作ってよ」
「何を言ってるの、子供は欲しいけど、今はそれどころじゃないから」
「そうね、あと少しだから、頑張りましょう」
裕子は恐る恐る美津夫に電話した。やがて仕事の途中を抜け出して山崎家に駆け込んできた。
「裕子さん、加藤です!入りますよ」
息を切らして加藤は入ってきた。裕子を見つけるなり、抱き寄せ、
「裕子!電話嬉しかったよ。おめでとう!やったじゃないか。僕たちの子供だろう?昔のようなことは決してしないよ。大事にしていい子産んでくれよ」
加藤の言葉に、安心したのか裕子は声を上げて泣き出した。麻子も傍に来て一緒にもらい泣きをした。長い時を経て加藤の子供を再び妊娠し、今度は出産できる、そう思った嬉しさが何度も何度もこみ上げてきて、涙が止まらなかった。
麻子と直樹たちは頼んでいた設計士から概要を受け取った。細かい部分を修正しながら、大橋弁護士に立会人になってもらい、契約書に署名捺印した。契約者は直樹が設立した法人、株式会社キオナ代表取締役社長、斉藤直樹にした。麻子の出資ですでに法務局へは5月1日付けで登記を済ませていた。定款に併設する店舗で飲食が出来るように、喫茶業務を付け加えていた。
社名は考えたが浮かばず、自分の名前にしたらと麻子のアドバイスにしたがって、逆さ読みで作った。使っていればなじんでくるだろうと自分の名刺を見て、考えていた。取締役には麻子、裕子、山崎の母、斉藤の母、姉の杏子の五人と監査役は大橋に頼んだ。資本金二千万の輸入雑貨販売業は形の上でスタートしていた。
建物は一階が販売店とカフェコーナー、二階がダンススタジオとシャワールーム、三階がキオナの事務所と倉庫、四階が直樹と麻子の新居、最上階が裕子と美津夫の新居になっている。両親は麻子と同居する形にして部屋割りはされていた。純一と一緒の方が何かと都合が良いと考えたのだ。見積り金額一億二千万円は、考えた挙句、麻子からの借入でまかない、形の上では会社の借金になるが、利息のつかない穏やかな返済でスタート出来るようにした。
大橋事務所からの帰り麻子は直樹を誘って旅行代理店に立ち寄った。夏休みの純一と三人でイギリスに行くためであった。裕子の妊娠が解ったため、美津夫と二人は取りやめとなった。万が一を考慮しての事だ。旅行社の担当者は、今は海外旅行はイラク侵攻の影響で審査が厳しく特にアメリカ、イギリスは警戒が厳重なので心して出かけるようにと注意を受けた。実際には日本人は、ほぼフリーパスだ。特に家族連れには無警戒な状況なので心配は要らないが、事件事故の可能性が高いからそうアドバイスをしていた。
直樹は麻子と新会社の人選を考えていた。一階の店舗には常時店員が二人ぐらいは要る。事務所の電話と、経理と倉庫の管理で三人は要る。合計五人は新規で雇用しないといけない。売上げで維持が出来るぎりぎりの数字を考えないと続けられなくなるから、なるべく身内で経営したいと麻子に話した。
「そうね、お給料も時には出せなかったりすることがあるかも知れないから、身内のほうが言いやすいわね。そうだ、神戸の杏子さん今の仕事辞めれるんだったら、お手伝い頂けないかしら?一人でも助かるわ」
「そうだな・・・姉さんか、多分やりたい仕事してないからそんなこと言ったら、とんでくるよきっと」
「電話してみてよ。後は、誰かいないかなあ・・・」ふと浮かんだ名前があった。直樹の顔を見て、その名前を出すことをためらった。
「お店の人はパートさんでいいから、アルバイトニュースにでも載せるかな。経理と事務は社員で無いといけないから、ハローワークに募集を申し込もう」直樹は麻子がふと怪訝な顔つきをしたので、気になっていた。
「麻子、どうした?誰か思いついたの?」
「いいえ、そうじゃないの・・・考えたら手伝ってくれる人それほど思いつかないなあって、がっかりしてたの」うそをついた。
「後は裕子さんに探してもらうとしようかな。ね?麻子?」
「そうね、知り合いが居るかも知れないから」
話が一段落して、直樹は実家へ電話した。
「もしもし、ああ、おかあちゃん!姉ちゃんいる?かわってくれへん」
「はい、杏子です。ああ、直ちゃんか、なに?」
「うん、僕の会社手伝ってくれへんかなあ、って思うてん。人足らんねん。ちゃんと給料出すし、住む所も用意するから、どうや?」
「東京へか・・・ん〜、そうやなあ、ちょっと待ってや」母と父に気持ちを聞いた。電話口に戻ってきて、
「親も了解してくれたから、行けるよ。いつから?」
「良かったわ、おおきに。すぐ来て、何も持ってこんでええよ。化粧品と身の回りのもんだけでええから」
杏子は翌日勤め先に辞表を出し、週末の土曜日に東京へと向かうことを告げた。
裕子は直樹から社員になれそうな人を聞かれたが、一人を除いて思い浮かばなかった。麻子同様、その名前は出せなかった。まして美津夫と同居するここに働きに来るなどということは、考えられない状況でもあったからだ。
週末の土曜日になって、杏子が上京してきた。東京駅新幹線口に迎えに行き、そのまま、山手線で渋谷へ同行し、山崎の家に連れてきた。裕子と美津夫、麻子と山崎の母が迎えてくれた。
「お世話になります。直樹の姉、杏子です。今年34歳になります。皆様と仲良くさせてください」頭を下げた。裕子はにこっと笑って、腰掛けるように促し、挨拶をした。
「麻子の姉、裕子です。こちらは夫になる加藤美津夫です。お見知りおき下さい。杏子さんっておっしゃるのね、直樹さんも素敵だけど、とてもお綺麗な方ね!ねえ、美津夫さん?」
「そうだね、初めまして、美津夫です。直樹君とは元部下の関係でした。今は良き仕事仲間になろうというところです。直樹君にこんな綺麗なお姉さんがいるなんて、びっくりしました。よろしくね」
作品名:「哀の川」 第八章 夏休み 作家名:てっしゅう