「忘れられない」 第七章 余命
「有紀・・・すまん・・・こんなこと初めてだ。ゆっくりと寝ることにするよ。汗が出てしまったから着替えるよ、悪いけど」
後ろを向いてパジャマを脱いだ明雄の背中は有紀の目から見ても明らかに腫上がっていた。きっと痛いのではないかと心配になった。私が知らない間に明雄に何があったのだろうか・・・こんな身体になってまで過酷な仕事を続けていたのだろうか。それともお酒や不規則な生活で崩してしまったのであろうか、そんな思いを有紀は明雄の背中に見ていた。
あまり眠れない夜が過ぎて朝を迎えた。有紀は先に起きて支度を整え、冷蔵庫から有り合わせで簡単な食事を作った。
「明雄さん、朝ごはん出来ましたよ・・・起きて下さいね」
返事が無い。
「明雄さん!どうしたの?」有紀はじっとしている明雄に近寄った。
すぐに救急車のサイレンが聞こえた。明雄は駆けつけた消防署員の持つ担架に乗せられて病院へと搬送された。有紀が聞いていた刈谷総合病院の名前を出すと、「そちらへ搬送します」とすぐにサイレンを鳴らして走り出してくれた。
集中治療室に明雄は入れられた。外の待合で有紀はじっと待っていた。今朝、声をかけたとき、すでに意識が無くあわてて119番した有紀であった。1時間・・・2時間・・・時間は過ぎてゆく。扉が開いて、医師が出てきた。
「奥様でいらっしゃいますか?」
「はい・・・有紀と言います。先生、明雄さんはどうなんでしょうか?」
「ええ、お話したいことがありますので、診察室まで来てください。内科の担当医で宇佐美と言います。一階のエレベーターの前が待合になっていますので、お呼びするまで少しお待ち頂けますか?」
「解りました。内科ですね。お待ちしています」
有紀は名前を呼ばれるまでじっと待合室で待っていた。11時を回ってたくさんの人が順番待ちのため椅子に座っている。30人ほど座れる待合場所も、ほぼ満席になっていた。
「石原様・・・石原明雄様」
「はい!」
「どうぞお入りください」
看護士の案内に従って有紀は扉を開き中へ入った。小さな待合場所で、今しばらく待つようにと指示を受けた。
「石原様の奥様でいらっしゃいますか?」若い看護士が尋ねた。
「はい、そうですが」
「では、ご案内させて頂きます。奥のそちらのお部屋に宇佐美が居りますので、中へお入りください」
「失礼します・・・」ノックをして有紀は扉を開けた。
「お待たせしました。どうぞお掛け下さい。明雄さんの意識は先ほど戻りました。まだICUに居ますが、まもなく部屋に移しますので面会なさって下さい」
「ありがとうございます。助かりました・・・今朝ほどはどうなるかと心配をいたしましたので」
「そうでしたか・・・こんなときに心苦しいのですが、お話をさせて頂きますと・・・」
宇佐美の話は有紀を震撼させた。
座っているのも困難になり、有紀は傍にあったベッドに横にさせられていた。
「大丈夫ですか?お気の毒ですが、私どもではご本人と奥様には真実を話すように指示を受けておりますので、お話させて頂きました。ご気分が悪いようでしたら、治療させますが・・・どうですか?」
「大丈夫です。申し訳ございませんでした」有紀はそう言ってベッドから降りた。宇佐美医師の前に座り直して話を聞くことにした。
「昨夜明雄さんの背中を見て、相当悪そうな気配は感じておりました。でも、まさか・・・ガンだなんて。もう手遅れなんでしょうか?先生?」
「場所が場所だけに、治療は困難ですね。組織の大半が侵されているとなると、移植以外に助かる見込みはありませんから・・・そうなると・・・そうですね、半年ぐらいの余命でしょうか」
宇佐美ははっきりと死の宣告をした。それも淡々と・・・そんなものかと、有紀は感じたが、それが大きな病院の仕事なのだろう。個人の病院では患者と知り合いなのでつらくてそんな話が出来ないから、大病院へ転送するのだ。はっきりと宣告してもらえるように。
「先生・・・移植は無理なんでしょうか?私たち結婚したばかり、いえ、間もなくする予定なんです。それなのに・・・ただじっと待つだけなのですか?手術や薬では治らないのでしょうか?」もう悲鳴に近い声になっていた。
「奥様で構いませんか・・・」
「はい」
「移植は黄疸などの酷い症状を伴います。たぶん親子や兄弟で無いと無理でしょう・・・明雄さんにご兄弟は?」
「はい、多分一人だと思います。両親も亡くなっております」
「そうでしたか・・・となると、難しいですね」
諦めるしかない・・・そう宣告されたように聞こえた。
怖いぐらいに涙は出てこなかった。それを通り越して恐怖心が有紀を支配しているのだ。今は何も考えることが出来ない。明雄と面会して何を話せばいいのか・・・重苦しい気分で5階にある病室に歩き出していた。
エレベーターに乗り五階に着いた。ナースセンターに立ち寄って明雄の部屋を聞いた。若い看護士は、「奥様ですか?」と尋ねてきた。「はい、そうです」「ではこちらですのでご案内します」そう言われて有紀は後に着いて歩いた。自分が去年入院していた病院とはずいぶん違って、とても清潔で明るい廊下と病室に感じた。明雄は二人部屋に入っていた。
こちらです・・・「石原さん?奥様がお見えになられましたよ」窓側のベッドに向かってそう言って、カーテンを少し開いて有紀にどうぞと手招きをした。覚悟を決めて顔を出した。
「良かったわ・・・元気になって。もう大丈夫よね。少し入院しなきゃいけないかも知れないけど、安心して、傍に居るから」明雄は情けない顔をしながら、
「すまないね・・・びっくりしただろう。ずっと悪く感じてはいたんだけど、まさか意識を失うなんて・・・思わなかったから。軽く考えすぎていたようだな。先生なんて言ってた?病気のこと・・・」
「えっ?聞いていなかったの?」
「だって、ここに来るまでボーっとしていたから、後で話しますって聞かされたんだよ」
有紀は迷った・・・
「どうしたの?聞いていないの有紀も?」
「・・・詳しくはね。少し入院して検査しましょうって・・・」うそをついた。いや、つくしかなかった。
「そうなんだ。なんだったんだろうなあ・・・今はうそのように背中の痛みがなくなっているんだよ。治っちゃったみたいに思うよ」
「そう・・・良かったね。薬が効いているのよきっと。安心しちゃだめよ。何も考えないで、今はここで先生の言うことを聞いてしっかりと治療しましょう」
「そうだな、有紀。キミが傍に居てくれて助かるよ。心細く感じるから・・・ちょっと疲れていないかい?なんか表情が暗いよ。キミもゆっくり休まないと・・・この近くに温泉があるから入っておいでよ。さっぱりするよ」
明雄の明るい表情が有紀には切なくそして悲しい思いを一層強くさせていた。
「ゆっくりと休んで頂戴。私はあなたの入院の準備をするために一度明雄さんの家に戻って、必要なものを用意してまた戻って来ます。欲しいものある?どこに置いてあるのかも言ってね」有紀はメモの用意をした。
「すまないね、これ鍵だよ。下着は解るよね、置いてある場所?ベッドの横にある戸棚から、有紀と二人で撮った写真が飾ってあるから持ってきて」
「えっ?いつの写真?」
作品名:「忘れられない」 第七章 余命 作家名:てっしゅう