新月の夜に
下唇を噛みしめた。
(しらけさせてしまった。ううん、本当は私が淋しい・・)
「あまり遅くなると、今度が出づらくなるでしょう。」
あっけらかんとした男の言葉に女は、口元を緩めた。
(また会えるの?)
涙は、出なかったが、目の奥が熱く緊張した。
男も体制を整えると、ハンドルを握った。
「いいですか。」
「はい。あ、あの、やっぱりお名前は教えてくれないの?」
「必要ですか?別に困らないけど。」
「そ、そうですよね。」
女は、この時間を自ら不意にしたくないと思った。
車が動き出してから、女は聞いた。
「あの、どうして私?私の何が気に入ったというか・・・。好きですか?私のこと。」
「あなたは好きじゃない人ともキスしますか?」
質問を質問で返されると答えづらい。
「いえ。好き。私は、好きみたいです。」
「そうですか。」
(え?それだけ)
交通量も減った道は、サヨナラの時間を早めた。
川沿いからわずかに家路の途中で女は車を下りた。
バタン。
車のドアが閉まる音で終わる、夢の幕切れ。
そんな気がした。
誰も居ない部屋に戻った女は、体を抱きしめた。
暗い部屋のまま、目を閉じた。
脳裏に浮かべる男との時間。
「はあ」
深い溜め息を吐き出し、妄想を吹っ切った。
「コーヒー入れよ。」
喉が渇いたわけじゃない。
普段の生活感に戻るきっかけなら何でも良かった。
テレビのリモコンスイッチを入れると、いきなり大笑いの音声がした。
バラエティ番組での芸人さんのトークに共演者や会場が笑っていた。
女は、すぐさまスイッチを切った。
キッチンでケトルに一人分の湯を沸かした。
マグカップにインスタントコーヒーを入れ、沸くのを待った。
ふわふわと上がり始めた湯気が、やがて白く立ち上り始めて火を止めた。
カップに注ぎ入れる時、しゅっしゅっとケトルに当たる湯が音を立てる。
一滴の湯がはねて手の甲に当たった。
「あつっ」
唇に当てた手の甲に涙が落ちた。