新月の夜に
その日、満月は雲に見え隠れしながらそこにあった。
女の足は、川沿いへと向かった。
(今夜会えなかったら、もうここへ来るのをやめようかな)
いつしか、満月を見る事が、男に会うために移りつつあることをどこか感じていた。
女は、月を見上げる前に周りを見渡した。
男も男の車も見当たらない。
溜め息混じりに空を見上げる。
月も雲に覆われて、ぼんやりとその輪郭だけが見えていた。
足先はすでに家路へと向き直っていた。
半分ほど来た辺りで振り返えってみたが、やはり男は見当たらない。
やるせない気持ちだけが膨張を続ける。
心の苦しさなど当に忘れたか、今まで知らなかった女は、胸元に握った手を押し当てた。
はるか後ろからヘッドライトが上がった。
女は、近づいてくる車を避けるため、道路の端へと身を寄せた。
「乗って。」
助手席のウインドーを下げて声を掛けられた。
男は、変わらない笑顔を女に向けた。
女は、躊躇うことなくその車に乗った。
車は、女の家の前を素通りして通りへと出た。
「こ、こんばんは。」と女。
「こんばんは。」と男は女の手を握った。
車は、そのまま走り、一部が公園になっている堤防の辺りで止まった。
「この辺りかな。」
男は独り言のように言いながら、自分と女のシートベルトの金具を解いた。
まだ満月は雲に覆われていた。
「見えませんね。」
女は、少し困ったように微笑んだ。
男は、何も話さず、体がハンドルに付くほどフロントガラスから空を見上げた。
「そろそろかな。」
男は体を伸ばし、女の座席のリクライニングレバーを引いた。
「え?」
男自身も座席を倒し、寝転んだ。
「出ましたね。」
フロントガラスを通して、雲間に綺麗に満月が見えた。
「あ・・。」
「いつも首が痛くなる。こうしてならずっと見ていられるでしょ。」
「ええまあ・・。」
「行くのが遅くなってすみません。この辺りはどうかと確かめていたから。」
「この場所へいらしてたの?」
男はそれには答えなかったが、おそらくそれで遅れたのだろうと思った。