『喧嘩百景』第1話不知火羅牙VS緒方竜
竜の両手首を掴む。
二人は正面から四つに組む形になった。
――何や、この女。何ちゅう馬鹿力や。
竜は手首を掴む羅牙の力に驚いた。
握力も腕力も男のそれ以上、いや、彼自身にも劣らないかもしれなかった。
「やる気になったか?」
羅牙はぎりぎりと竜の手を外側へ開いていった。
――確かにこの女ただもんやあらへん。けど――。
「あほいえ。女を殴れるかいな」
羅牙は竜の右手を思いっきり引いて、その場に引き倒した。
「じゃあ、殴らないであたしに負けを認めさせてごらんよ。そしたら薫ちゃんとやらせてやるよ」
「羅牙、勝手なこと言うなよ」
薫が不満そうに抗議したが、羅牙は「いいからいいから」と笑って手を振った。
「今の言葉、忘れんなや」
竜は身を起こして砂を払った。
この馬鹿力女、ふんづかまえてきゅうう言わしたる。
竜は羅牙に掴みかかった。
しかし、彼女は馬鹿力だけではなかった。軽い身のこなしですいすいと彼の腕をかいくぐり、紙一重のところでどうしても捕まえることができない。指先が時折触れるので、竜のいらいらは余計につのった。
後ろへ後ろへ逃げる羅牙を闇雲(やみくも)に追い立てる。、広くない屋上で、彼女はすぐにコンクリート製の手すりに背をついた。
もう後はない。
羅牙は拳を握ってウインクした。
「一発やっとこうか」
言葉と同時に彼女の姿が消える。
――何やっ…と!
羅牙は身を屈めて竜の懐に飛び込んでいた。
――早いっ。
竜は避けられないと覚って身構えた。
一発はもろうたる。けどそれで終(しま)いや。逃がさへんで。
攻撃してきた今が、ちょこまかと逃げ回る羅牙を捉える絶好のチャンスだ。いくら馬鹿力とはいえ女の細腕で一発殴られたくらい屁でもない――竜は打たれ強さには自信があった。
しかし、羅牙は彼の懐で身を捻(ひね)った。鳩尾に拳ではなく痛烈な肘撃ちが叩き込まれる。彼女はそのまま腕を伸ばしてもう片方の手を添え、続けざまに竜の脇腹を殴りつけた。
「な――!」
横から殴りつけられ、竜はバランスを崩して蹌踉(よろ)めいた。
すいっと下がる羅牙に手を伸ばすが届かない。
竜は痛みを堪(こら)えて追いすがった。
作品名:『喧嘩百景』第1話不知火羅牙VS緒方竜 作家名:井沢さと