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空を舞う君は青空を知らない

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 今はそれよりも、シーイーのひどい成績の方が問題である。私は告知用の大きなモニターを信じられない
思いで見つめた。人格形成能力最下位――どちらかといえば優秀な飼育員だった私にとって、初めて見るような成績だった。
「――サカシタ」
「ムラカミ?」
 モニターの前で頭を抱えていると、いやに馴れ馴れしい口ぶりでムラカミが声をかけてくる。
 前にも増して、さらに感情的な表情だ。追い詰められているような、解放されたかのような引き攣った笑み。こんな複雑な表情をする同胞を、私は知らない。
 嫌な予感がして、私はその場から離れようと踵を返した。
「イーミヤが『欠陥品』認定された」
「な……!」
 しかし、最悪の形で、引き止められる。
「何故だ、確かに人格を持った個体だったが……偽装が可能な程には、能力があったはずだ」
 賢くて大人しいイーミヤ。目をつけられているという噂は聞いていない。
 詰め寄る私に、降格が確定しているはずのムラカミは、虚ろな黒い瞳で穏やかに笑んだ。
「告発したのは、私自身だよ」
「なぜ、そんなことを…」
 担当飼育員による『欠陥品』告発。
 本来ならありえないことだった。【Prifenomia】を確実に不幸にし、自身に与えられた身分をも奪う。
 そんなの、まるで―――心中じゃないか。
「なぜ、だと?」
 信じられない思いでムラカミを見上げると、静かだった表情が急変する。
「あいつが悪いんだ!」
 声を荒げ、どん、と壁を殴りつける。【Fortissim】の力であっても、壁はヒビ一つ入らなかった。
 ひたすら白く静かな様に重なるものを感じたのか、それがイーミヤであるかのように、ムラカミは咆哮して壁を殴り続ける。
「人間のくせに、人形の振りが上手すぎる!」
 壁は静かだ。
「どちらにもなれる。強すぎるんだよ…っ!」
 傷一つつかない。
「俺は人間になれない!でも、人形にもなれない!」
 当たり前だ。我々の身体能力を考慮して作られた壁なのだから。
「おかしいだろ、ずるいだろ、なんなんだよ――くそっ」
 この施設は、この特区は【Prifenomia】だけでなく【Fortissim】の檻でもあるのだから。
「イィィィィィミヤァァァァァァァァァァ!!」
 かの名を呼ぶ咆哮からは、羨望と怒りと嫉妬と―――我々がほとんど失った欲望が滲んでいた。
 傷口から血が噴き出すように。頬に伝う無色の雫のように。
 壁には結局、爪跡一つ、残らなかった。
「……しかし、やっとこれで楽になれる」
 壁を叩くことを止めた同胞は、もう人間の目をしていなかった。
 血まみれの拳を獣のように舐め、機械的にこちらを振り向く。
「私は人形に戻る」
 
「お前も、早く戻った方がいい」

 それは、どちらの意味なのか。
 ムラカミが去るのを見届けてから、ふと周囲を見渡す。モニターの前には何人かの同胞がいた。皆一様に無感情な顔で、まるで、何も起こらなかったかのようだ。
 しかし、これが本来の我々である。
 シーイーやイーミヤ、ムラカミのような亜人の方が異常なのだ。
 感情はない。共感はない。痛みはない。心はない。
 固有の人格を形成しないよう、すべては抑制されている。
 それは決して間違った、無慈悲な行為ではない。役割を考えれば、それは幸せなことなのだ。
 心なんて、持つべきではない。
「ぅ……ぁ……」
 お前たちは苦しむばかりだ。まるで、そのために生まれてきたみたいだ。
 できれば、私は―――
「イーミヤ……」
 すべての亜人から、心が失われることを願う。
 そうすれば、道具として、生きて、幸せに死んでいけるのだから。

*  *

 ムラカミの告白から、一週間が経った。あれから一度水浴びがあったのだから、シーイーはイーミヤの不在に気づいているはずである。しかし不思議と騒ぐことはなかった。てっきり「イーミヤを探しに行く!」と駄々をこねると思っていたが、その様子はない。
 いつの間にか上が言いくるめてくれたのだろうか。それとも、子供じみた性質というのは思い違いで、現実を見る面もあるのだろうか。
 ―――多面性は『欠陥品』に近づく。悪い傾向だ。
「サカシタさん、ただいま!」
 白い部屋に、鮮やかな色彩が踊る。相変わらず『お出かけ』を止めない少女に、私はため息をついた。
「ただいまじゃないだろう……」
 少女の身勝手さと自分の甘さに呆れながら、外されていた格子を元の場所に戻す。私のため息が理解できないのか、シーイーは少し首を傾げると、にっこりと微笑んだ。
「あのねあのね、今日はお土産!ほら!」
 パッと白い手を広げる。掌から、少し潰れた花びらが宙を舞った。
 白と桃色と黄色。それはまるで、あの日の彼女のようだ。
「きれいでしょ?」
 あまりにも無邪気な様子に、私は―――
「ああ、綺麗だ」
 ―――憐れだ、と思った。
 もうシーイーは手遅れかもしれない。
 自分のために生きると言い、外の世界に焦がれ、花を「きれい」と笑う。
 この心を、この少女を、なかったことにする方法を私は知らない。
 今ならミヤノの気持ちがわかる。ミヤノとて、最初から甘やかすつもりはなかっただろう。しかし、この確固とした『心』に気づいてしまった。だから想ったのだ、今だけでも幸せに過ごさせてやる方が幸せなのではないだろうか。どうせ『欠陥品』になるならば、今くらい――

「ね、だからそんな暗い顔しないで、サカシタさん」

 駄目だ。
 こちらを気遣うように笑う少女に、私は自分の思考を否定する。
 ミヤノにはできなかったからこそ、私がやらなければならないのだ。彼女を壊してでも、私が、彼女を幸せにしなければならない。
 そうでなければ―――イーミヤのように、不幸になってしまう。
 それだけは、それだけは……絶対に、嫌だ。
「……シーイー」
「なぁに?サカシタさん」
 親愛が浮かぶ蜜色に胸を痛めながらも、私は無慈悲な表情を思い出す。
「もう二度と外には出るな。今度外に出たら、罰則を課す」
「……え?」
「呼び名も不要だ。次からはNo.4010と呼ぶ」
「サカシタ、さん?」
 見開かれた目に浮かぶのは、きっと裏切られた痛みだ。今与えなければもっと大きくなる痛みだ。そう言い聞かせ、陰る蜜色から目をそらす。
「No.4010、お前の人格形成能力は最下位だ。このままでは商品にならない。明日から倍の『教育』を受けてもらう」
 久しく忘れていた、飼育員としての自分を手繰り寄せ、私はドアを開けた。彼女の感情を拒絶するように、音を立てて閉める。
 私の行動指針はもう決まっていた。
 無邪気すぎる彼女を、早く、現実で砕かなければ。

*  *

 それから私とシーイー―――No.4010の関係は大きく変わった。戻った、というのが正しいが。【Prifenomia】と飼育員、その正しい関係に。
 まず教育を厳しくした。拒否したときには食餌を抜いた。ひどい時には、電気ショックも容赦なく与えた。
 しかし一向に効果は見えず、「もういい」と踵を返した時、
「わたしが、お勉強したら」
 乾いた唇が絞り出したのは、どこまでも心を感じる言葉だった。
「きらわないで、くれる?」
「……ああ」