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毒虫のさみだれ

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 ベンチの背後から、森が覆い被さってくる。
 一際強く吹いた風が葉を千切り、夜に舞わせた。
 五月雨は洗面桶を目深に被り、郡司の視線を遮って語り続ける。
「ゴルフだって、嫌々でも何でも、遊びは遊びです。仕事じゃありません。遊んでいるだけで頑張ってるとは認められない。上司におべっかを使ってもクビになったのなら──そのおべっかに、何の意味も効果もなかったということでしょう。それが、石田さんにはわからなかった。全部空回りしていることも、自分が劣っているからリストラされたことも、わからなかったんです。劣っていることさえ自覚していれば──せめて成長しようと努力するか、諦めて僕のように社会の底辺で惨めに生きるか、選べたはずなのに」
「惨めなのは──お前だけだ! 俺は違うよ! ガキの癖に、生意気なことばっかり抜かしやがって──何がわかるんだ、お前に! 俺が劣ってたわけじゃないだろ、あの糞みたいな奴らが俺の価値を、業績を、わかってなかっただけで──」
「──ならば、わかってもらえなかったのが悪いのでしょう」
 ──僕は、わかってもらったことなんて一度もありません。
 囁いて──夜空に浮かぶ月を見上げる。
 地表に這いずり劣悪な会話を交わ愚か者達を見下ろして、月はいつもと変わりのない金色の滴を垂らしているように見えた。
「僕はホラー映画が大好きです。血糊と内臓をぶちまけて、脳味噌を抉り出して食べたり、吐瀉物と人糞に塗れて死んでいったり、犬の糞を食べさせたり、陰唇をホチキスで縫い止めたり、悪趣味極まりない映画が大好きです。わかってもらえたことなんて一度もありません。でも──」
 ──わかってもらいたいし、わかってもらおうとしたことはあります。
「理解されないことは、伝わっていないということなんです。あなたの価値が、あなたの業績が、伝わっていなかったんです。伝達の不足は──あなたの、怠慢です。僕は僕の怠慢を知っていますし、認めています……だから僕は劣っているんですよ、石田さん」
「俺は──劣って、ないだろ! 早稲田出て、一発で大手の会社に就職決めて、ここまでやって来たんだ……そんな、そんなの」
「そんなの──毎年沢山、同じような人達が輩出され続けてるでしょう」
 呆れたように──五月雨は、小さく肩を落とした。
「今年東大を卒業したっていう人だけで、何百人といるわけでしょう? 日本最高学府で学んだ人達の間ですら、既に優劣はついてるんです。僕らみたいな劣等民が今更俺の方が優れてる、あいつは俺より下だって騒いだって──とっくの昔に、雲の上の人達が上位を独占しているんです。そこに僕達の入る隙間はありませんよ。そもそも──石田さん、あなたはリストラされたわけですから。リストラ──リストラクチャ、再構築です。あなたが務めていた会社は、あなたがいない方が業績が上がると判断して、組織としての形を構築し直したんですよ」
 ──あなたがいると、組織としての能力が低下すると判断されたんです。
 無慈悲に宣告する。
 わなわなと震える郡司を無視して、五月雨は滔々と語り続けた。
「それに、今更というなら今更でしょう。あなたが本当は優れていたとしても、上司が真実無能だったとしても、そんなのはもう関係ないんです。あなたは失職して、何社も面接を受けては落ちてを繰り返した──人の下で働けない、働きたくないというあなたの意志を貫き通した結果、そうなった。奥さんと娘さんはそんなあなたに愛想を尽かして出て行った。石田さんは何もかも失って、自暴自棄になって自殺したんです」
「自殺──した、わけじゃない。まだ俺は──」
「──もううんざりなんですよ僕は」
 不意に──。
 表情を退屈と怒りで彩って、五月雨は鋭い指先を郡司の眉間に突きつけた。
 重苦しい夜闇から逃れるように緩くかぶりを振り、瞳を眇める。
 胸中には失望と落胆だけがあった──よくよく話を聞けば、ありふれた失敗談でしかない。異質なもの、平坦な日常に刺激を与えてくれるようなものは何一つなく、ただ当たり前のように生きて当たり前に転落したというだけのことだった。唯一異なるのは価値観だけで、己が劣等であることを頑なに認めようとしない態度には醜悪さしか感じることができない。
 ──そこだけだ。
 自分と違うのは──晩生内五月雨という人間と違うのは、不幸を受け入れられるかどうか、ただそこだけだ。
 そんな些細な違いで──こうも嫌悪感を掻き立てるものだろうか。
 同じ落伍者同士で傷を舐め合う気にもなれない。
 むしろ、ただひたすらに糾弾したくなる──どうして自分の不幸を、劣等を受け入れることができないのか、問い質したくなる。認めてしまえば遙かに生き易くなるというのに、この男が一体何に拘っているのかが理解できなかった。
「石田さん──あなたは死んでいるんです。生きるっていうのは、ちゃんと毎日頑張って、嫌な人相手にも頭を下げて、くたくたになるまで仕事に打ち込んで、休日にはちゃんと遊んで、そういう人達のことを生きてるって言うんです。僕や石田さんみたいな人間は、もう死んでいるんですよ。人として劣っている。醜くて無様なんです。だから──他の人達のようには、生きられない。社会の底辺、その隅っこでひっそりと息を潜めるような、そんな生き方しか許されない。普通の人達が生きている世界では──僕達は、死人も同然です」
 ──だからこそ見える幸せもあるだろうに。
 あえて口には出さず、内心でのみ独白する。
「石田さんみたいな人を、今まで何人も見てきました。器に合わない夢ばかり見て、さも自分が雲の上に住んでいるように誤解して、人を見下す癖に見下されると途端に怒り出す人達です。本当は無能な癖に、誰の役にも立たない不必要な人間の癖に、有能な自分はどこかの誰かから必要とされているはずだと根拠もなく盲信している、そういう人達です」
「そんな──俺は、そんな人間じゃあ」
「そんな人間ですよ。僕も石田さんも、そういう人間なんです。そこを認めないから駄目なんです──自分が下衆で醜くて哀れで、何も知らない虫みたいな存在だって認められれば、虫なりに生きていけるのに……人間として死んでいるんだから、虫として生きていけばいいのに──それも嫌がるのなら、まさに首でも吊るしかないんですよ」
 ──その手に握った縄を使って。
 死んだ人生を──終わらせなくてはならない。
「俺は──し、死のうと思ってたんだ。それを、それをお前が」
「止めたわけではありませんよ。僕はただ、話を聞いてみたかっただけです」
「はな──し?」
「ええ。僕は虫ですが、虫なりに幸せなので、わざわざ死にたいなんて面倒なことは考えないんです。虫ですからね。昔も先もない。今しかないんです。だから──聞いてみたかったんです」
 ──何故わざわざ死のうとするのか。
 ──昔のことに囚われて、
 ──先のことに思い悩んで、
「挙げ句の果てに──死ぬだ生きるだと大騒ぎする人がどんなものなのか、試しに見てみたかっただけです」
 虫にも序列があれば優劣もある。
 虫ですらいられずに自ら死を選ぼうとするものがどんな『もの』なのか、知りたかった。
作品名:毒虫のさみだれ 作家名:名寄椋司