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毒虫のさみだれ

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PHASE 2 : EVENT HORIZON


■ □ ■ □ ■

「結局ね。美和子(みわこ)は俺と結婚したわけじゃなかったんだよ──俺の稼ぐ給料と結婚したんだ。娘も同じだ。俺が家族だと思ってたものは──」
 ──家族じゃなかった。
 大仰な溜息と共に言葉を吐き出し、中年の男──石田郡司(いしだ・ぐんじ)は両手で顔を覆った。
 遠目にはやや肥満気味に見えた体型は、近くで見ると立派な肥満体だった──頭髪は思った以上に残っていたが。目の周りは疲弊のために黒ずみ、肌は荒れて深い皺が亀裂のように刻まれている。本人は今年で四十を迎えたばかりだと言っていたが、五月雨にはどう見ても定年間近にしか思えなかった。父親も同じような年頃のはずだが、とてもそうは思えない──父が極端な若作りだということを差し引いても、石田郡司という男は老け込み過ぎている。心労のせいか、日頃の不摂生が祟っているのかはわからなかった。着ているスーツも明らかに着古したもので、内心これなら妻から離婚を言い渡されても仕方ないかとすら思えてしまう。
 古びたベンチに並んで腰掛け、五月雨は洗面桶の位置を直しながら、いちいちわかったふうな表情で相槌を打っていた。相変わらず両手に縄を抱えたまま、郡司はみっともなく泣き腫らした目で自分の爪先をじっと睨み付けている。今まさに太い枝に縄をかけようとしているところを呼び止めてから、一度も視線を合わせようとはしていない──鬱病か、対人恐怖症の気でもあるのだろうと、五月雨は勝手な診断を下していた。自分も似たようなものだから、特に拒否感を抱くわけでもない。
「俺だって頑張ったんだよ。ハローワーク行ってさ、何社も面接受けたんだ。でも駄目なんだよ。ゼネコンで現場監督やってたってさ、クビになったら元の肩書きなんて何の意味もないんだ。リストラとか言って何となく仕方ないことみたいに誤魔化してるけどさ、結局リストラってただのクビってことだろ」
 ──クビになったんだよ俺は。
 吐き捨てて、郡司はべちゃべちゃした口調で止めどなく喋り続ける。溜まっている鬱憤を吐き出すきっかけを見つけたのだろう──五月雨はとこまでも他人事と割り切ったまま、表面だけ取り繕ってさも同情したふうに装ってみせた。嘘を吐いているわけでもないし、微かにだが同情もしている。
 ──同情してるだけ、なんだけど。
 それ以上を求められる様子もない。郡司は口角に泡を浮かべて、地面に対し憎悪をぶつけるよう、俯いたまま口を動かしていた。
「──頑張ったよ。頑張ったんだよ。でもさあ、駄目なものは駄目なんだ。無理なんだよ。四十にもなってよ、今更大学出たばっかりの奴らに頭下げるとか……無理だろ、どう考えても。でも美和子の奴はさ、何でもいいから働けって言うんだよ。できるわけないだろ」
「……僕は」
 初めて──郡司の言葉に、反応した気がする。
 相変わらず足下を睨め付けたままの男にではなく、その手に握られた縄に向かって話しかけるような心地で、五月雨はゆっくりと言葉を継いだ。
「僕は──中学校に入学して、すぐに不登校になった、落ちこぼれです。落ちこぼれですけど……僕は、幸せですよ」
 ──毎日好きなことをして生きています。
 夜が深まる。圧迫し締め付けるような暗闇と、街路灯から届く微かな明かりと、その両方に取り囲まれたささやかな世界の中で、五月雨は淡々と唇を動かし続ける。
「毎日ホラー映画を見て、好きなものを食べて、こうして夜中に散歩して……立派に、社会不適合者です。将来は多分悲惨です。今は親が家賃を払ってくれてますけど、いつか自立しなきゃいけません……けど、そうなったらすぐに餓死するか、自殺するか、どちらかだと思います。今は、何とか暮らせてますけどね」
「そりゃあ──お嬢ちゃんぐらいの年齢だったら、親が全部金出してくれるだろ。幸せだよ」
「親が払うのは家賃だけです。払うというか、親の口座から勝手に落ちているだけです。DVDを買うお金も、毎日食べてるご飯も、全部僕のお金です。僕は──」
 ──株で一山当てたんです。
「お爺ちゃんが、元々株をやってたんです。僕はそこに乗っかって、一山当てて、今も時々小銭を稼いでます。全然自慢にならないですけど。子供のやることですし──ただの運ですしね」
 社会情勢に詳しいわけでもなければ、世界的な経済の動向に注目しているわけでもない。何となく選んだ銘柄が大幅に値上がりして、結果的に金持ちになった。それこそ宝くじを当てたようなもので、将来的に株取引で生計を立てようなどとは間違っても思っていない。確実に一瞬で破産するという自信が五月雨にはあった。今は偶然が続いているだけだ──化学の実験のようなもので、一万回成功が続いたところで、一万一回目に同条件で失敗すれば全ては水の泡になる。
「僕は……だから、自分が恥ずかしい」
「恥ずかしい──のか」
「恥ずかしいです。僕はこんな人間であることがたまらなく恥ずかしい。友達もいない、祖父からも疎まれて、両親は僕を見限っている。世間のことを何にも知らないし、一般常識も欠けている。僕は──劣等なんですよ、石田さん」
 ──それでも。
 劣等なりに──生きている。
「劣った人間なりに、何とか周りに折り合いを付けて生きている。誰にも迷惑をかけないように、社会の隅っこに隠れて生きてるんです。僕の誇りはそれです──劣等であることを自覚して、世間の人達がみんな必死で頑張ってることを認めて、卑屈に生き延びていることこそが誇りなんです。それが出来ないなら──」
 ──死んだ方がましだ。
 言い切って、五月雨は隣で俯いたままの郡司を見下ろした。強く見開かれた双眸に侮蔑の色を如実に浮かべ、囁くような声音で語りかける。
「石田さんは──何がそんなに不満なのですか」
「何が──って、お前、そんなの」
 ──お前呼ばわりか。
 きっと──郡司は、五月雨が言わんとしていることを察している。察して、それが自分の意に沿わぬものだから目を逸らそうとして、苛立っている。
 ──ああ。
 異質だ──この男は、自分の価値観と何一つ相容れない、異質な存在だ。
 ひどく嬉しくて──ひどく嫌な気分だった。
「何もかもだよ。俺はさ、これでも仕事は出来る方だったんだ。部下もよく飲みに連れて行ってやったよ。当然俺の奢りだ。仕事だって言われた通りにやってさ。嫌味な上司にもおべっか使ってよ、やりたくもねえゴルフだってやったんだ。そこまでしてよ、クビになったんだ──お前は学校も行かないで気楽だろうがよ、俺は」
「──僕もあなたも変わりませんよ」
 ──劣っています。
 郡司が初めて視線を上げた。
 五月雨を見詰める視線には、下卑た怒りが滲んでいる。
 気色悪い、粘着質の視線を正面から受け止めて、五月雨は薄氷のような微笑を浮かべて応じた。
「仕事なんて、出来て当たり前なんです。まして言われた通りになんて──子供だって、言われた通りにやります。大人で出来る人は──言われた以上の成果を出すんです。嫉妬ややっかみを買わないように、慎重に、目立ちすぎない程度に良い成績を残すんです。部下だって──奢りだろうが何だろうが、飲み会なんて行きたくない人もいるでしょう。僕はお酒の匂いだけで胸がむかむかします」
作品名:毒虫のさみだれ 作家名:名寄椋司