毒虫のさみだれ
求めていたから──というわけでもない。
いつも通り、ただの気紛れだった。
雰囲気に誘われるまま、公園へと足を踏み入れる。密生した木々が互いに折り重なっては枝葉を伸ばし、吹き抜ける夜風に不吉な葉擦れの音を奏でていた。無数の影が子供の積み木遊びさながらの乱雑さで配置され、混じり合うことなく存在を主張し合っている。街路灯が落とす明かりを拒むように樹木がねじれ、幹は不自然に隆起していた。昼間ならば幼児らが遊び回るだろう人工芝の上にだけ月明かりが届き、周囲の陰惨な光景から浮き上がって見える──散策道を進むにつれ目に見える光景の乖離は甚だしいものになり、胸をむかつかせるような違和感を抱かせた。
──空気が。
違うのだと──今更になって気付く。
五月雨は腰に結んだ紐を手繰り、熊のぬいぐるみを足下まで引き摺り寄せた。布はほつれ綿が飛び出しているが、この重みが五月雨に安心を与えてくれる。不定形で、どろどろとした世界の中で、子供の頃から変わらず身近にあった重みだった。
ほう、と息を吐いて、ゆっくりと足を進める。
曲がりくねる散策道沿いに歩き、樹木の間をすり抜けては暗闇の質量が増していくのを実感していた。のしかかる黒に押し潰されるような心地を味わいながら、五月雨は不意に歩みを止めた。三十メートル程離れているだろうか──遠い木々の影を見詰め、ひゅっ、と掠れた呼気を漏らす。
目を見開き、視線を逸らすことが罪であるかのような思いに囚われる。
事実、見逃すことは罪に問われるのだろう──自死しようとする人間を見守っているだけでは、自殺幇助と言われても申し開きができそうにない。
──自死。
胸中でその単語だけを繰り返し、改めて遠方の光景にその言葉の意味を重ねてみる。
暗くてはっきりと見えはしないが、中年の男性であるようだった──やや肥満気味で、グレイのスーツを着たまま両手に縄を持って痙攣するように震えている。街路灯の明かりが届く限界の位置に設置されたベンチに腰掛け、時折薄くなりかけた頭髪を乱暴に掻きむしってはぶつぶつと呪詛めいた独白を繰り返していた。
「……ああ──」
──異質だ。
威圧的な闇に沈み、今まさに死のうとしている人間がいる。
しかも目の前で、駆け寄れば間に合う程度の距離で、死ぬべきかどうかを思い悩んでいる。
──異質だ。
退屈が少し紛れる気がした。
倫理にも道徳にも背く気持ちだけれど──結局のところ、他人事はあくまで他人事でしかない。日常に倦み疲れた五月雨にとって、眼前の光景こそ求めて止まなかった退屈を凌ぐための清涼剤に他ならなかった。
風がそよぐ。森がざわめき、蠢いて、影の塊がその姿を変えていく。
車の通る音すら聞こえない。生活音など望むべくもない。沈黙が大量の粉のように散布された空間で、男の姿だけがあざとい程に生々しく、滑稽だった。きっと他人から見れば五月雨もまた生々しく滑稽な姿なのだろう──それこそ、異質な存在であるかのように。
──それは、
「──いいな」
緊張気味に引き攣らせていた唇を、ほんの少しだけ緩めて。
五月雨は──薄く笑った。
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