ぼくのウルフマン
ぼくは丸山に従って歩き出した。ぼくはバス通学だが奥上と丸山は反対方向で歩いて行ける距離なんだ。
もう少しで到着という頃、丸山が言い出す。
「ね、井伏。一人で行ってきなよ」
「ええっ」
「何びっくりしてんの。好きなんでしょ。いいチャンスじゃない。私だったら逆にお願いして一人で行くわよ」
「そりゃそうだけど」ああもう。へたれ過ぎで心細い。でも確かに一人で行かなきゃなあ、と決心し、丸山に家を教えてもらうと単身乗り込むことにした。
まだ新しい綺麗な家屋だった。優しげなお母様が出てこられたので説明すると丁寧にお礼を言われた。
「どうぞ、上がってください」上品な笑顔だ。いいのかな。でもここは図々しく上がらせていただく。ぼくはお母様に嫌われぬよう靴を揃えて上がり、奥上の鞄を抱きしめて彼の部屋に向かった。
「何だ。井伏か」
奥上は傷ついた狼のようにちらりとこっちに視線を流しただけで動こうともしなかった。
「あの、鞄を持ってきたんだ」
「そうか」とりつく島もない。
「じゃ、あの、帰るよ」
ほんとうは少しでも長く彼の側にいて話をしたかったけど、仕方がない。背中を向けて立ち去ろうとしたら再び声を掛けられた。
「待てよ、井伏」
ぼくは振り返る。「何?」
奥上は座ったままだったがこちらに向き直っていた。さっきの怖い顔じゃなくて笑顔を作っている。
「あ、いや、ありがとう。鞄、わざわざ持って来てくれて。お前んち反対方向だろ」
少し悲しそうに見えた。
「いいんだよ」また帰ろうとする。
「井伏。お前」
「どしたの?」
「俺のこと、聞いたんだろう。気持ち悪くないのか」
「まさか」ぼくはすぐ打ち消した。
「そうか」
「だって、あの」
「え?」
「ぼくも、そうだから」
奥上は驚いたようだった。
「それ、冗談か?俺をからかってるのか?」
「こんなこと、冗談で言えないよ」ぼくはちょっとむっとした顔になったかもしれない。
「ごめん。なんだかもう何もかも嫌になって」
あのいつも怖いモノなしみたいな奥上が気弱になってる。ぼくのウルフマンがしょんぼり尾っぽを垂れてしまったら嫌いになるかと思ったが逆に愛しくなってしまった。ぼくはいつになく彼の側に近寄った。
「奥上。それにぼく、奥上が好きだから」
「え?」
しまった。調子に乗ってぺらぺら打ち明けて、何してるんだよ。
「い、いや、その。友達になりたくて」
奥上はいつもほどではないが大きな口で笑うと「井伏はいい奴だな。こんな時に。みんな俺を避けてるのにさ」
「あ、こんな時だから言ったんじゃなくてほんとは前から言いたかったんだけど、ね、ほら」上手く説明できず、はははと笑って誤魔化した。
奥上も笑っていた。よかった。
その晩、ぼくがウルフマンと滅茶苦茶激しく燃え上がったのは言うまでもない。彼はまた超弩級な逸物を見せつけてきたけどいやもうそこは妄想なんで、何でも来いやあ、の世界なんで。ぼくはしっかり彼を受け止めて彼はぼくに突っ込みながら大きな尻尾もぱたぱた振り回して喜んでおりましたとさ。ああっ、もう最高に気持ちいいよお。ウルフ。ぼくのウルフ。はあはあ。
奥上は次の日から登校してきた。やっぱり剛胆な奴だと思う。周囲の奴は何も言えなかった。河嶋くんも犯人二人も来ていたようでどちらも転校だの退学だのと言う話はなくなったようだ。
そして奥上は河嶋に突然告白してしまったことを謝って河嶋も驚いて慌てたことを謝ったらしい。ああ、ぼくがその河嶋って子だったらなあ。もう一度確認してきたけど、やっぱりかっこいい子だった。そりゃそうだな。奥上が好きになるような奴なんだもんな。陸上部の成績も奥上と競いあってるようなんだと。やっぱ無理だ、ぼくは。いいんだ、ぼくはぼくのウルフマンがいるからね。ぐすっ。
足が遅いぼくには絶対無理なことだけど、ぼくがその河嶋くんだったらば。
奥上は無論ウルフマンとして登場するけどいつにも増して顔が奥上っぽくなってしまっているイメージが湧く。河嶋は完全にぼくだ。
「井伏。部活終わった後、少し残っててくれよ」声の主は思いきり奥上似のウルフマンだ。狼の耳と体毛と尾っぽは残ってるが。
「どうした?いいけど?」
練習が終わって。着替えがすんで、みんなもう帰ってしまった。ぼくが遅れて部室に入ると奥上が一人、椅子にぽつんと座っていた。
「奥上(あ、つい奥上って言ってしまった)みんなもういないよ。何の話?」
「これ、見たか?」奥上=ウルフマンは一枚のチラシをぼくに見せる。それはマジックで
「警告。奥上達朗と井伏慎也はホモだ」と書かれていた。想像の中でもぼくは赤くなってしまう。えへ。ちょっと書かれてみたい。もし本当に書かれたら怒るけど。
「最低だな。こんな事書く奴」
「そ、そうだな。何の根拠があって」とぼくは怒って見せる。
奥上は下を向いて「根拠は、あるけど」
「え?」
奥上が顔を上げ、ぼくを鋭い目でじっと見つめる。立ちあがってぼくの方へ近づいて来た。すぐ側に来ると背が高くて見上げてしまう。(あれれ、妄想の中でも身長が今のままだった)奥上の大きな手がぼくのか細い肩をぐいと掴む。背の高い彼が身を屈めてぼくの方に近づいてきた。ぼくの体は完全に彼の腕の中にすっぽりと入り込んでいた。体温が酷く熱く感じる。
「奥上」と言おうとした唇を彼の大きな口が塞いでしまった。「んん、んむぅ」後の言葉が消されてしまう。暫くの間、だったんだろうか。長い間のような、瞬間のようなキスを受けていた。彼の唇が離れるといきなりそこが寂しく思えてくる。
「おう、が、み?」
「いつも、こうしたい、と思っていたから」
キスの後、奥上も苦しそうな顔をしていた。「それでこれを書いた奴にばれてしまったのかもしれない。お前にすまない、と思う」
ぼくは体の芯まで蕩けるようなキスに必死で耐えた。
「ぼ、ぼくだってきみからそうして欲しい、ってずっと思ってた」ぼくは打ち明けた。ほんとにそうだ。河嶋って奴、本気で嫌なのかな?ぼくが変わりたいよ。
「そうなのか?本当に?井伏」
「本当だよ」ぼくははにかみながら、でもはっきりとそう言った。
再び奥上の手がぼくの背中を撫で、後ろ髪を掴んでぼくにキスをする。唇を少し離してもう一度、何度も繰り返した。
取り敢えず、奥上とは友達って言うほどじゃないけど前より気軽に挨拶したりもっと話したりするようになった。あまりの変化に丸山がにやにやしやがる。
「へヘー、あの日。ナニガきみらに起きたのか」
「なっ。何考えてんの。何もあるわけないだろ」
「そうですかねええ」
あああ、腐女子怖い。ん、ショタでもそう言っていいのかな。それにしても丸山は少年じゃなきゃしかもやんちゃ系じゃなきゃ感じないと言う女子なんで奥上には何の魅力も感じないらしい。身長160センチは越えて欲しくないという。クラスで高校生でありながらそんな丸山のイメージにかなう男子が約一名いるのだが、彼女の希望は彼の恋人になることじゃなく、彼が体育教師あたりにレイプされるのを見たいらしい。ぼくにはついていけません。