「新シルバーからの恋」 第五章 破綻
「リストラさ・・・販売店に出向していただろう。向こうから退職後の受け入れは出来ないって申し出されたから、三月末で依願退職させられるんだよ」
「そうでしたの。仕方ないことなのね。次の仕事探すんですか?」
「解からない・・・だから美雪と休み合わせて逢えるようになるから、その事早く言いたくて来たんだよ」
美雪は急に徹への憧れが崩れてゆくのを感じた。悦子だけのせいではない。自分が働くという事もあり、リストラされた徹のことを素敵だとは思えなくなってしまったのである。
美雪が淹れたコーヒーを飲みながら徹は早く抱きたいと考えていた。話そうかどうしようかと迷っていた美雪は徹が飲み終えて側に擦り寄ってくる前に話さないといけないと、勇気を出した。
「お話があるの。怒らないで聞いてね。思いつきじゃないのよ、考えてのことですから。私ね独りで生きてゆかないといけなくなってしまったから、お仕事頑張らなくちゃいけないの。貯金あるわけじゃないし、ここ買ったから剛司との家を売ったお金も半分以上無くなってしまったの。年金も少ないし、今たくさんお給料貰って貯金しないと将来困るの。だから、先輩とのこと解消したい・・・気持ちが離れてしまったの。他に好きな人が出来た訳じゃないのよ、それは無いから。ただね自分は保険の仕事に集中したいって思うだけ」
「悦子に言われたことが原因なんだろう?ごまかすなよ・・・確かに悦子と最初に会った時は昔のことを思い出して抱きたいって思ったよ。でもな、お前に出逢ってボクはときめいたんだよ。美雪のことが好きになってゆく自分を止められなかった。悦子には申し訳なかったけど、仕方ないだろう?お前のほうが好みだったんだから」
「簡単に女性を弄ばないで下さい。たとえ自分好みの人が現れたからと言って乗り換えるなんて・・・私がそうしたら、先輩は仕方ないって諦められるんですか?」
「人を好きになるのに理屈なんか無いんだ!美雪が好きになったから誘ったし、抱いたし、また逢いたいって思ったんだ。悦子や妻がどうであれ、今はお前のことしか考えられないんだよ」
「身勝手ね・・・先輩は。自分の欲求を満たしたいだけじゃないのよ!昔からそんな人だったの?私が想って来た徹先輩はそんな人だったの?」
「じゃあ、どんなボクだったら、好きになってくれるんだ?」
「奥様のこと大切にされて私や悦子さんとしたようなことをなさってあげて・・・好きだと言ってあげて。先輩のこと一番愛してらっしゃるのは、私でも悦子さんでもないわよ。それが解らないようなら、男として失格ですよ」
徹は美雪が言った「失格」と言う言葉に強く反応した。
徹はまだ途中飲みだったコーヒーカップをテーブルに置いて、いきなり立って、美雪の直ぐ脇に来た。
「誰が失格なんだよ!お前にそんなこと言われる覚えは無いんだぞ。謝れ!」そう強く詰問した。
美雪はちょっと怖くなって黙っていたが、直ぐにもう一度同じことを言われた。「何黙っているんだよ!謝れって言っているだろう、解らないのか!」
それでも美雪は黙っていた。
次の瞬間、パチン!と甲高く乾いた音と同時に強い痛みが頬に走った。
「何するのよ!先輩!・・・信じられない、叩くなんて」
美雪は怖さとショックのあまり、その場に座り込んでしまった。
タイミングがいいというのか、見透かしていたのかと思えるように、電話が鳴った。徹が怖い顔をして見つめていたので出ることが出来無かった。鳴り止んでもう一度呼び出し音が鳴り始めた。立ち上がって電話のあるところに行こうとする美雪を徹は手で制した。
「まだ、話が終わってないだろう!謝らないから叩いたんだ。侮辱したんだぞ、ボクを。解っている風な口を利きやがって・・・お前自分がしたことを覚えているのか?大きな声出して、悦んでいたじゃないか。いい年して、ちょっと綺麗だからといって調子に乗るなよ!」
美雪は再びその場にしゃがみこんでしまった。そこまで興奮させるようなことを自分が言ったのか解らなくなってしまった。ただ徹の態度が急変したことがものすごいショックで男の人の怖さが好きだった徹から経験しようとは、夢にも思っていなかった。
何分か経って、徹はまだこだわっていた。
「早く謝らないか!また叩くぞ!言っても解らないやつは、子供と一緒でそうするしかないんだ」
ピンポーン!ドアホンの音が聞こえた。
「美雪さん!居るの?開けて・・・」それは悦子の声だった。
ドアーノブに手をかけた。ロックされていなかったので悦子は中に入った。居間で徹が怖い顔をして立っている姿と、美雪がへたり込んでいる様子を見て、直ぐに何かあったと解った。
「悦子!勝手に入ってくるな!お前の家じゃないだろう!帰れ」
「徹くん、何言っているのよ!帰るのはあなたの方じゃないの。美雪さんに何をしたの!言いなさい」
「お前には関係ないよ。二人の問題なんだから」
「言わないのなら・・・美雪さんに聞くよ。事と場合によっては警察に電話するから覚悟しなさいよ」
警察と聞かされて徹ははっとした。悦子の顔を見て少し正気に戻ったのか、うなだれるようにして、
「すまない・・・どうかしていたようだ。美雪に失格と言われて腹が立った。会社でそう言われたばかりだったから、またバカにされたように興奮してしまった。叩いたりして悪かった。許してくれ」
「徹くん、美雪さんを叩いたの!そんなことする権利が何処にあるの!親子でもないのに・・・最低ね、早く出てゆきなさい。それからもう美雪さんとは連絡もしないことよ。もし電話したり、ここに来たりしたら、警察に脅迫で言いつけるからね!」
悦子は強い口調で徹を叱った。悦子にしてもそんなことをするような人じゃなかったはずという思いが強かったから、尚更激しい口調になっていた。
徹は何も言わずに出て行った。美雪は助け舟を得た安堵感と、悦子の自分への気遣いに声を出して泣いた。そして走り寄って悦子に抱きついた。
「いいのよ美雪さん・・・もう大丈夫。怖かったね。あんな事する人じゃなかったのに、どうしたんだろう」
「仕事クビになったらしいの・・・要らないって言われたみたい」
「ショックだったのね・・・あなたに救いを求めにやってきたのね。逆効果になったみたいだけど、許してやって。明日は休みだから今夜は付き合ってあげる。主人にもそう話して出てきたから・・・間に合ってよかった。二度も電話に出なかったから何かあるって感じたのよ」
悦子は今日のことを昨日から気に病んでいた。その思いが美雪に通じたのか、もっと早く来てあげれば傷付かずに済んだのにと悔やんだ。
徹は停めてあった自分の車に乗ったがなかなか動けなかった。いろんな思いが次から次へと巡ってきて混乱していたからだ。「もう美雪とは逢えない・・・悦子とも絶交になる。何をしているんだ自分は・・・情けない。こんな思いで家に帰って今度は妻と争ってしまったら、もう最悪になる」という思いからエンジンキーが回せなかった。
携帯の呼び出し音が鳴る。妻からだった。
「もしもし、うん、帰るよ・・・もう直ぐ・・・先に寝てなさい・・・大丈夫だから・・・じゃあ、お休み・・・」
作品名:「新シルバーからの恋」 第五章 破綻 作家名:てっしゅう