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Twinkle Tremble Tinseltown 1

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The maverick, The proud.





 スリムは我侭な男だ。

 本人もそれは自覚していたが、これまでの人生で矯めようと思ったことはないし、周りの誰一人として彼を正しい方向へ導くことはできなかった。理由は単純なようで高度。彼は自分の思うとおりに生きるためにはどうすればいいか知っていたし、実現のための手際よい方法を心得ていたのである。


 例えば6年前まで同居していた彼の母親は、毎朝5時になると決まって布巾を抱えキッチンを右往左往していた。眼を覚ましたとき暖かい朝食がテーブルに並んでいないと、息子は数々の罵詈雑言を投げつけ、ひどいときには新聞や灰皿が飛んでくるような事態にまで発展する。物が壊れる音に聞き耳を立て、老女の眼下に浮いた隈を盗み見るにつれ、狭苦しい集合住宅に肩を寄せ合う低所得者たちは一人前に噂を流すようになった。
 だがいくら陰口を叩かれ100年に一度の親不孝者の名を冠されても、スリムは一向に頓着しない。彼は12年という歳月を海兵隊員として立派に国へ尽くしたし、毎月欠かすことなく母の年金に高額な生活費を上乗せしてやっている。そもそも不規則な仕事柄、照り付ける陽を朝日と呼べる時間に彼が起き出してくることなど月に数回あればよいほうだった。幼い頃ブラシやハイヒールの踵で散々折檻されたことを考えたら、この程度の横暴など駄々とも言えない。サンディエゴの訓練所に飼われた鬼軍曹は、彼に常なる忠誠(Samper Fi)の綴りと開き直り、そしてゲームの規則を教えた。時には過程そのものが意味を持つこともある。例えそれが結果を不本意なものに変えようとも。
 結果だけを考えれば、スリムは自分で食卓を整えることに一切不満を抱いていなかったし、母が腎臓癌で冷たい土の中に埋められた後は何事もなかったかのようにキッチンへ立っている。特にフレンチトーストの焼き具合など、そこらのダイナーのコック顔負けの腕前を有しているほどである。


 母の食費が浮いて多少の余裕ができた生活費に慢心することなく、彼はまわってくる仕事を勤勉にこなし続けた。イスラム系テロリストが放った迫撃砲で小腸の一部を吹き飛ばされたにも関わらず、支給される年金は雀の涙ほど。事あるごとに吐き出される怒りは最初こそ在郷軍人を代表し、社会保障の不備を訴えているだけだった。だが時間を経るにつれ彼の気炎が隊の根幹を成す忠誠心にまで及ぶようになると、途端観客は興味を抱き始める。スリムが見る見るうちに酒瓶を開け憎しみの篭った声をあげるたび、カウンターに並んで耳を傾ける行きずりの客たちは、その不遜さに驚き半分畏怖半分で震え上がるのだ。
 対して酒場の常連客は、彼が口先だけの男ではないことを嫌と言うほど知っていた。喚き散らしているのならまだ序の口、機嫌が良いとすら言える。本当の恐ろしさはアルコールを燃料にした燃え盛る炎ではない。酔っていないときこそ、スリムの狂気は真価を発揮した。タパスを隣のテーブルに投げつけたり、新顔をビリヤード台に追いやってカモっているうちが花だ。行き過ぎた悪ふざけや突然の癇癪に巻き込まれぬよう気をつけておけば、スリムは酒の相手として愛すべき存在とすら言えた。


 もっとも口では散々痛罵するくせ、彼とて海兵隊の亡霊から完全に逃げ切ったわけではない。未だ横流しのM14DMRに固執しているところがその最たるもので、手に馴染んでいるという言い訳の元、神経質なメンテナンスを施されたライフルは未だ彼の生活に重要な役割を果たし続けている。伊達に選抜射手を務めていたわけではない。うらぶれた雑居ビルの一室へ忍び込み、剥がれかけたリノリウムに片膝をついた姿は「ソルジャー・オブ・フォーチューン」にスナップが掲載されてもおかしくないほど堂に入っている。実際、その肉体はカメラに切り取られたかのように動かなかった。写真でないと分かるのは細く開いた窓から入るそよ風が伸び気味のジャーヘッドを揺らすからで、それとて襟足の辺りはぴくりともしない。かれこれ1時間近く、スリムは耐え難いほどの柔らかさを持つ温もりに顔を晒し続けていた。普段の触れなば切れんといった狂猛は新緑色の瞳から削ぎ落とされ、ひたむきに照準器の向こうを見つめている。 


 高曇りの空は晴天の予兆だった。明日になればでこぼこした屋根が連なる裏町にも、気持ちよく太陽の光が降り注ぐだろう。洗濯物は数日分溜まっていたし、脱ぎ捨てられたパーカーも30半ばの男が二ヶ月着続けたに相応しい匂いを纏っている。すぐ傍で揉み潰したばかりのラッキーストライクが垂れ流す紫煙も吸い込んだことだろう。いっそ帰り際にそこらのごみ箱へ突っ込んでやりたかったが、冷え込みが厳しくなるのはこれからだ。夏は蒸して冬は凍えるティンゼルタウンの生活へ慣れれば、アメリカのどこへ行っても快適に過ごせる。数多くの転属を繰り返すうち、スリムはその事実を自らの肌で実感していた。

 玉虫色の空気が顔を包むに任せ、銃を構える時間は神秘的だった。スリム自身は神を信じているわけではないし、悪魔に促されてアベックを狙い撃ちにしたサムの息子の如く自らを美化もしない。ただ、眼球から右手の人差し指に直通神経が通う瞬間の連続体は、彼の頭をヒマラヤ山脈の空気の如く清涼化させた。軍務としてなら国に対する義務を考えるための時間であり、冷えたビールばかり夢想する果てのない待機。それがポジションを砂漠から市街地に変えた途端、単調な生活を仕切りなおすための貴重なひとときに変身する。中東にいたときは思いもしなかった事態に自嘲でも漏らすしかない。適度に集中力を駆り立てた後に飲むものは何でも喉ごしがよく、飯も心なしか美味い。女に対してもより一層熱くなれる。体内で起こる変化が一体どういったものかは皆目検討がつかないものの、趣味と実益がぴったり重なり合っていると考えれば問題は無い。はっきりいって、スリムは今の仕事を気に入っていた。平和なはずの国内に戻っても、結局命を量りに乗せ続けているという事実を笑い飛ばせるほどには。


 仇名とは裏腹に太く、鋼のような腕が持ち上がる。人差し指と中指だけを抜いた黒い皮手袋が皮膚に同化し、待ちきれない爪が引金の固い金属を掻いた。所々粉になった石畳を、斑模様の日差しが一層混沌としたものに変える。少しだけ変化に富んだ俯瞰図には生き物の気配など見当たらない。存在していることは間違いなかった。時おり風向きの気まぐれで、ヒップポップまがいの曲が下からのぼってくる。道を挟むようにして繰り返される同じ形をした窓のうち、一体どれから聞こえてくるのやら。銃声も同じように劣化したコンクリートの手で反響させられ、空へと駆け上がるだろう。屋上を闊歩する鳩も驚いて青空へ逃げ出すに違いない。



 彼が自らの手で驚かせいじめる予定だった鳥たちは、思った以上に神経過敏だった。狙撃銃を構えなおし、曲線を描いた銃床を肩に付ける。表面だけ熱を持った頬に木の銃身が優しい冷たさをもたらす。