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Twinkle Tremble Tinseltown 1

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 彼が願っていたよりも早く、少し高い声が血の気の引いた耳朶に滑り込む。手探りで目元を拭い、ついでに右頬へくっついた大きな塊を指二本で摘まむ。ねばつく瞼をこじ開ければ、手の中で歪む女の目玉と視線が絡んだ。赤い蜘蛛の巣状の膜に覆われたそれは、先ほどの恐ろしい輝きなどどこへやら。ひしゃげて透明な液体を溢れさせ、血の涙を流しているかのようだった。


 のろのろと顔を持ち上げたフェルナンを待ち構えていたのは、掌にある瞳よりももっとぎらつく青い目だった。既に銃は引金を引いた手とともにコートのポケットへしまい込まれている。
「俺もケベックだと思ってたよ」
 引き攣るような笑顔でも、彼にとっては本心からのものなのだ。ここまで汚れてしまえばもうクリーニングも糞もない。袖口で力任せに顔を擦ると、フェルナンは運転席のドアを開けた。崩れ落ちた女の頭に扉がぶつかり、力任せに押しやる。無論、誰からも文句が返ってくることはなかった。
「グレッグは?」
「まだ会場に」
「顔繋ぎも大変だな」
 ふんと鼻を鳴らした様子を静かに見遣り、フェルナンは脱ぎ捨てたジャケットを車の中に投げ入れた。
「お待ちになりますか」
「ああ……いや、いい。ドレスコードに引っかかる」
 ジャケット代りに羽織った薄手のスプリングコートをひらめかせ、男は車の後部に回った。
「それにフランス料理は堅苦しくて性に合わない」
 開いたトランクに骸を放り込むのはフェルナンの仕事だった。魂を失い肉体が重さを増しても苦にせず軽々と抱え上げ、引きずるドレスに躓くこともない。まるで荷物でも運んでいるかのように感情の篭らない動きを嘆くよう、垂れた女の首が左右に振れる。
「先週はどうだった」
 乱雑に作ったスペースへ痩せた体は収まるものの、長い裾ははみ出したままだった。丁寧に巻き取り屍の膝に挟み込んでから、男はフェルナンに向き直った。
「あいつ、喜んでたか」
「多分、恐らくは」
 台本でも読んでいるような口調でフェルナンは言った。
「はっきりとは分かりませんが」
「冷たい奴だな」
 ちょっぴり肩を竦めるのはやはりポーズだけで、その目元は穏やかに笑い皺を刻んでいた。
「社交だなんだって言って、本当にちゃんと出来てるのかね。生きた女一人相手に出来ないくせして」
 人の頭を瞬きもせず撃ち抜く癖に、その口ぶりはあくまでも慈愛に満ち満ちているのだ。これは恐らく、フェルナンの知らない遥か昔から何一つ変わりはしないだろうし、これから先変わることもないのだろう。滔々と紡がれる悪行の羅列が耳の奥に溜まり、顔に張り付いた血肉が乾いて固まり始める。ぼうっとした意識の中、目だけで捉えていると、男の口から飛び出すものが世にも恐ろしき罪の詳細ではなく、何かもっと人の心を暖める、優しくて美しい言葉であるような気がしてならなくなってくる。
「そういえばミスター・スピアーズが」
 自発的にか外的要因からか、鈍った脳から声が滴り落ちる。
「部屋に閉じこもられた後、しばらくして中から啜り泣きが」
「気にするな、毎度のことだ」
 掻き消すように手を振り、男は苦笑した。
「結局のところ、意気地なしなのさ」
 乱暴に閉じられたトランクの音で一瞬掻き消されたものの、ざわめきは確実にこちらへと近付いてくる。首を伸ばし、男は柔らかく目を細めた。
「もうお開きか」
 これも買い与えられたロレックスは薄暗さのせいで見えないが、恐らくもうすぐにでも日付が変わる。幸い車を回す使用人たちはまだ台所で燻っているらしい。指にくっついた肉片を剥がしているフェルナンに、男は自らの着ていたコートを押し付けた。
「顔だけは何とかしとけ。後は暗いから分かりゃしないさ」
 シャツだけだと思っていたのは勘違いで、男はコートの下にアルマーニのジャケットをちゃんと着込んでいた。ポケットには引き抜かれたネクタイまで突っ込んである。もしかしたら軽蔑は口先だけで、彼も会場に紛れて無銭飲食を楽しんでいたのかもしれない。短い付き合いだが、男のそうした俗物的なところをフェルナンはしっかりと見抜いていた。
「そうだ、グレッグに」
 身を翻す前に、引金を引いた指がフェルナンの胸をさし示す
「お袋の病院を移すことは反対だって言っといてくれ。あれ以上高いところに入れても、寝たきり老人には勿体無いってな」
 頷いたのを確認することもなく、男はのんびりとゲートに向かって歩き出した。血は争えない。短い芝生の上でぽかりと浮かんだ男の後姿は、確かにミスター・スピアーズのものとそっくりだった。今更ながら、今日の月が満月に近い巨大な白さを保って空に浮かんでいたのだと知る。走った寒気に、フェルナンは丈の短いコートを強く握り締めた。


 顔を洗ったり車のボディから血飛沫を拭き取ったりといった作業を終えたフェルナンが運転席へ戻ったのは、そろそろと雇い主を迎えに行く運転手たちがガレージに戻ってくる直前だった。暗がりの中を浮かれ歩く陽気な姿から見るに、もしかしたら一杯くらい引っ掛けてきたのかもしれない。声を掛けられたときは答えるものの、それ以外はいつも通り。シャツに飛んだ血を隠すようハンドルに覆いかぶさって、しんねりむっつりと口を噤んでいた。


 ミスター・スピアーズを拾って帰宅したら、まずはトランクの中のものを主寝室に運び込む。車を掃除し、恐らくどこかにめり込んでいるはずの銃弾をほじくり出さねばならない。七時きっかりに起き出すミスター・スピアーズがシャワーを浴びるために部屋を出た頃を見計らい、血まみれになったシーツで取り残された客を包んで庭の納屋に。置いてあるドラム缶の中身を庭のポインセチアに撒き、今度はシーツと服を引き剥がした客を中に押し込んで石灰をかける。鍵を閉めたら残りのものをごみ袋に詰めて二つ向こうの通りにある集積所へ捨てにいく。それから後はもう、いつもどおり。セイヨウカリンの剪定をして、余計な噂を聞き流す。


 それだけのことができる知能に見合う給料が、毎月雇用主からフェルナンに手渡されていた。
 続々と灯り出したヘッドライトに、黒いハンドルを固く握り締めた指の関節が白く浮かび上がる。いつだったか、この手を女に褒められた事があったのをフェルナンは思い出した。指が長くて大きくて、体の割にはとても繊細な造りなのだという。そのときは少し納得したものの、今視線を落とせば太った五匹の蚕が無様に革へ巻き付いているだけにしか見えない。


 指に限らず、日々体が昔の人間的な――それは優しく、鋼のような頑強さを持ち合わせていた――ものから、もっと違うぶよぶよとした何かに変形していく事実に、フェルナンは慄いた。


 それでもこの体を蛆から守るためには、出来ることをやらねばならない。今できることは何かと探る。
 ミスター・スピアーズを無事に家まで連れ帰ることだと生存本能が選択し、フェルナンはイグニッションを回してのっぺりとした無表情に顔を戻した。