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映画に観るディストピア(世界終焉・人類滅亡)

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映画「12モンキーズ」
原題:Twelve Monkeys
監督:テリー・ギリアム 
製作総指揮:ロバート・コスバーグ、ロバート・カヴァロ、ゲイリー・レヴィンソン
製作:チャールズ・ローヴェン
脚本:デヴィッドピープルズ、ジャネット・ピープルズ
主演:ブルース・ウィリス、マデリーン・ストウ
共演:ブラッド・ピット、クリストファー・プラマー、デヴィッド・モース、ジョン・セダ、H・マイケル・ウォールズ、ボブ・エイドリアン、サイモン・ジョーンズ、キャロル・フローレンス、フランク・ゴーシン
原作:
音楽:ポール・バックマスター
配給:ユニバーサル
米 1995年(日本公開1996年6月29日) 130分

★ストーリー
20世紀末、突如発生した謎のウイルスにより人類の99%が死に至り、21世紀初頭の人類は汚染された地上を捨て、地下での生活を余儀なくされていた。その原因を探るため、科学者グループは服役中の囚人ジェームズ・コール(ブルース・ウィリス)をタイム・トラベラーに選び、過去の世界に送り込む。彼は子供時代に、目の前で1人の男が殺される光景を目撃し、その強烈な思い出を何度も悪夢に見ては繰り返しうなされていた。コールはまず地上に出ての調査を命じられ、荒涼とした街の廃墟で不気味な猿のマークを見つける。人類滅亡の元凶と見られる「12モンキーズ」という名称を教えられたコールは1996年の世界に旅立つが、機械の故障か、1990年のフィラデルフィアに来てしまった。その不審な言動から彼は逮捕され、精神病医学者のキャサリン・ライリー(マデリーン・ストウ)の立会いの下、精神病院に入れられた。そこで彼は、自分の父は神であると自称する入院患者ジェフリー・ゴインズ(ブラッド・ピット)と出会う・・・。

☆映画総評
テリー・ギリアム監督の映画としては、と言うか、イギリスで製作している時よりも、少しづつ
モンティ・パイソン色が抜けて来てしまっている、そんな匂いがしだした映画が、この映画『12モンキーズ』な気がしました。と言うのが、1996年に映画館で観て、初めてテリー・ギリアムの映画が面白く感じなかった、自分にとってはそっちの方がかなり衝撃的だった映画でもあります。それは、多分、予告編の映像自体がハードルを上げていたのかもしれないし、主人公のブルース・ウィリスと、あの当時、人気絶頂だったブラッド・ピットが今までのイケメン役から、イカれた精神病患者役(左目に大きめのコンタクトを入れる)を演技していたから、その雰囲気にかなり乗せられて、そんでもって1999年が近い、あのノストラダムスの大予言が確実に近付いて来て、世紀末的な人類の終末論的世相がジワジワと日本国中を覆っていたのも、なんだか期待値を上げていたんですね。

モンティ・パイソン色が薄れて行き、反対に前作の映画『フィッシャー・キング』から大人の寓話的世界観なり、中世風ミュージカルが無くなってしまったのが、なんか、体制に靡(なび)いたというのか!所謂、ハリウッド色に染まり始めたんじゃないの?なんて勘ぐったりもしたのは、やはり映画『12モンキーズ』だったような気がします。だから、この映画ほど、期待も大きく、だけども実際に映画館で観た時の落胆の多さに、自分の感覚を信じて良いのか?良く分からなくなった判断がおかしくなった初めての映画でもあったんですね。

そんな感情が渦巻いた映画『12モンキーズ』だから、1996年に観て以来、頑なに観ていなかったんですね。ですから、物語の部分、部分はかなり記憶が曖昧になり、だけども大枠の物語は覚えてはいました。では、どんな感じなモノをこの映画『12モンキーズ』に期待していたのだろうか?と1996年当時の自分の記憶を遡(さかのぼ)って行くと、やはりというか、やっぱり映画『未来世紀ブラジル』のような、デフォルメ的に描かれ、全てがメタファーな演出を期待し求めていたんですね。もしくは、主人公が妄想する権力の象徴だったり、恐怖の対象や死の対象としての、例えば『未来世紀ブラジル』ならば日本の戦国時代の甲冑巨人だったり、『フィッシャー・キング』でロビン・ウィリアムズが恐れた炎を吐く赤い中世の騎士、みたいな存在を期待していたのですが、遂に現れはしませんでした。

確かに、テリー・ギリアム感っぽいような、レトロフュ-チャー的なテクノロジーの数々と言うか、タイムマシーン機器だったり、地下施設の美術がギリアム風ではあるんだけど、はたと思ったのは、この位の美術なら、フランスのカルト監督ジャン=ピエール・ジュネでも同じか、それかもっと独創的な美術背景なりレトロフューチャー的機械群を場面一杯に広げてくれるのでは?と不謹慎にも思ったりしたんですね。所謂、テリー・ギリアム的ケレンミたっぷりな演出が鳴りを潜め、一般大衆受けしそうな演出に変わっていました。

とは言え、それまでのテリー・ギリアムの知名度を上げて来た映画作品の数々に、今回はハリウッドスター達がこぞって出演依頼のラヴコールをしたのだと思うし、だからこそ、ブルース・ウィリスとブラッド・ピットは張り切って演じたのですが、彼らが出演することにより、益々ハリウッド色が加速したのも事実なんでしょう。イギリスの伝統的なブラックユーモアーだったり、世の中を斜に構えて描くようなセンスは失われていました。

映画作品的には、今回はハリウッドの脚本家が二人も参加し、テリー・ギリアム自体は脚本に参加しなかったから、物語自体は文句の無い内容なんだけど、なんだか楽しくは無い。タイムトラベラー物だから、最終的に辻褄合わせをしないといけないし、なかにはどうしてもパラドックスな描写になり易くなるのも事実です。そして、テリー・ギリアム監督お得意の現代社会は超巨大な精神病院?を、まるで拡大解釈したようなタイムトラベラー達は精神異常者と思われたり、はたまたタイムトラベラー達も精神異常者に限りなく近付いて行くという演出がストレートに描かれています。そこが、あまりにも素直にストレートに描いているからこそテリー・ギリアム監督なのか?と、疑ってもしまいます。

人類を99%死に陥れる細菌兵器のワクチンを開発するよりも、タイムトラベル装置の開発の方が技術力は上だと思うし、人類以外の動植物には一切無害な細菌兵器を開発?も、なんか凄過ぎる設定です。確かに今までのテリー・ギリアム監督映画のエッセンスというか映像表現が垣間見れて、冒頭のブルース・ウィリスら、囚人が捉えられている宙吊りの独房は映画『バンデットQ』でも同じ美術があったし、地下設備は映画『未来世紀ブラジル』的な機器類で占めているし、他には映画『フィッシャー・キング』の街で生活する精神的に障害を持つホームレスと同じような描き方をしていたり、と、テンコ盛りなんだけど、あまりにも映画『12モンキーズ』内に色々と入れ過ぎて中途半端な状態になってしまいました。テリー・ギリアムはこの後の映画『ラスベガスをやっつけろ』で、溜まりに溜まったハリウッドへのうっ憤を晴らすかのような映画を撮りましたが、それすらも彼の再生には効果が無く、迷走する時期があと少し続くのでした。