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「新政府は、この新たなる試みに対し熱い想いと私達国民ひとりひとりの熱い支援を呼びかけ......」
薄暗い廃ビルの空間にぎこちないノイズを含んだ声が漂う。
「.....さーん、現場の佐々木さーん。.......はい!こちらはたった先ほど一斉清掃が始まった京都清水寺、現場の佐々木です!新政府から派遣されてきた自衛隊のみなさんとボランティアとして集まった方々、計700人体勢で煤が払われていきます!今後の予定としては煤払い、落書きの除去、塗装の塗り替え等、順次進んで行く予定です!」
天井の丸い穴から差し込む光は今日も柔らかく彼女の手元を照らし出す。
「こちらは都内にあります市民公園です。先ほどから清掃活動が始まったのですが、公園に住むホームレスの妨害が続いているようで現場は大混乱です!現場ではすごい罵声が飛び交っ........」
彼女はいつものように表情1つ崩さず、作業に没頭している。
「本日は政治評論家、国際政治大学準教授であります田中氏にお越し頂いています。田中さん、率直にこの新政府の試みをどう思われますか?」
ひと針、またひと針。
「うーん、とても素晴らしい。世界からも注目され、これは我が国のとても良い宣伝、アピール、好感度の向上に直接繋がりますねー。小細工無しの全うな運動。ぜひ応援したいものです」
瞬間、止まる手。針先が彼女の指、ふっくらとした部分に刺さってしまったのだ。だけど彼女は慌てるわけでもなく、ビーズのように指先に乗る少しの鮮血を舌で舐め、ふるふるとその手を振ると小さなため息をつく。同時に口から小さく漏れでる言葉。
「小細工無しの全うな運動...」
タン タタタ
遠くで足音が聞こえた。崩れそうな冷たいコンクリートの床をそっとはねるような軽やかで洗練された音。
タ タン タン
もうすぐ。
彼女はそう思うと小さな黒い箱に手を伸ばした。時代に取り残された物体。ダイヤルをひねるとたちまち部屋に心地好いポリリズムが溢れる。彼女は手元の作業に戻った。
タン タン タタ スタン
「ジプ!」
彼女は手元を見つめたまま何も言わない。
「ジプ!大変だ!」
目の前まで走ってきた少年は肩を上下させ、荒い呼吸音を響かせている。
「ねえ、ジプ.......!」
彼女は少年に『ジプソフィラ』と名乗った。少年が手を伸ばす。指が彼女の肩に触れるその瞬間、彼女は勢い良く顔を上げた。少年の動きがとまる。
「集中している人間にしつこく話しかけ、まして肩に触れようだなんて。あなた正気?」
耳がびくつくようなヒステリックな声。だけど、少年はもうすっかり慣れてしまった。
「あーもーはいはい、ごめん、ほんっとごめん。でもさぁ大変なんだよ!ここからそう離れていない公園で今......」
「お掃除でしょ?」
「いやいやいや、『お掃除』なんて生易しいものじゃない.......聞いた話だと」
少女は小さくため息をつくと哀れみをこめた目で少年を見る。
「また噂?あなたの情報ってどのくらいの信憑性があるのか疑わしいわ」
「おい、情報集めてこいって言ったのはあんただろ」
少年は口を尖らせ、わかりやすく不満の意を少女に伝える。
「情報だけじゃないわ、布もよ。今日は?布はどこ?」
「.......」
あきれ顔は少年に移る。
「昨日も持ってきただろ?なんでそんなにいつもいつも布が必要なんだよ」
そこまで言うと少年は辺りを見回し、首を横に振った。
「ああ、いや。わかりきったこと聞いたな。そうだよな、こんだけのペースで作ってたら、そりゃ.....」
少年は彼女の手元から広がる花畑に目をやり、次に近くに落ちていた布を手に取った。それは昨日彼女の元に届けた真っ赤な布。拾った時と違うのはちりばめられた草花、絡み合う複雑な模様、細かい細かい小さな宇宙のような彼女の手仕事。
「刺繍ってすごいもんだな」
いつの間にかぽろっとでた言葉。何の返答もないので、少女の方に目を向ければそこにはいつもより頬の赤い彼女の顔があった。
「げ、うわ、ごめん。そんなに怒るなよもう話しかけねーから」
彼女は一瞬ぎょっとした後、いつものように少年を睨みつけすぐにうつむいてしまった。少年は持っていた布をまた見つめ、そのままそこに座った。
しばらくの沈黙。でもそれは気まずくもない、むしろいつもより少し可愛げのある空間のように思えた。
ラジオからは小さくジャズが流れている。
そのジャズにあわせて歌うように軽やかに、そっと穏やかな声が響いた。
「俺さ」
少年の少し骨張った指が、薔薇の花びらを撫でる。
「毎日。毎日ゴミ山に立って、ガラクタを漁って」
複雑に絡んだ草模様。
「めぼしいもの集めて組み立てたり、逆に分解したり」
遠くで雷の鳴る音が聞こえる。
「ねじとか歯車とか、メカ的なものが大好きで。だって」
手元の布に語りかけるような少年の横顔。
「だって、何も感じないんだよ。楽なんだ。いつもいつも人の噂話ばかり聞いてるからかな。だから余計、何も喋らない、冷たくてそこに存在だけしてるガラクタがさ。うん、でも組み立てればちゃんと動くんだよ。そこに意志はないし、ただ“そうやって”動くように作られたから」
少女は少年の言葉がわからなかった。疑う。反発する。嫌悪する。“そうやって”作られたようなものだったから。
「だけどあんたが作るこの花とか葉っぱとかは全く反対だわ。なんか、これは上手く言えないけど」
布に少ししわが寄る。
「見てると、辛く、なる」
少年は言葉をひとつひとつ探るように、確かめるようにつぶやいた。そして少しの間、少年は顔を少女にむけ「でもなぜか目が離せなくなる」とも言った。なぜだろう、と。その顔は自嘲に溢れた何とも儚い笑顔だった。
やがてそっと布を置き、少年は立ち上がると華奢な背中をこちらに向けた。少しの猫背が語りかけてくるようだった。
「布、探してくる。なんか悪いな、俺、知らない言葉多すぎてうまく言えなくて、かなり変なこと言ったけど」
少年の足取りはどこかいつもより浮ついているような、不確かな音を響かせていた。
「つまり、俺は金属フェチで無機質万歳人間だけど」
少年はこの部屋の入り口、崩れかかった穴の縁に手をかけぐっとよじ上る。そしてしゃがんだ格好のまま覗くように頭を低くして再び、あの自嘲にまみれた目をこちらに向けた。
「刺繍も、そんなに嫌いじゃない」
少年の姿はもう見えない。現れるのも一瞬なら消えるのも一瞬。軽いステップ音が廃墟ビルに響く。小さくなっていく。残り香のように、それはいつも余韻を残し辺りに漂いいつのまにか消える。いつもより、いつもより長く響いている気がしたのは気のせいだと彼女は頭を左右に振ってまた手元の作業に戻っていった。