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ラジオを見つめたまま制止した僕と、そんな僕をさらに睨みつける少女。
そして打ち切られたポリリズムの代わりにスピーカーから漏れでてきたのは。
『......聞こ.....る....どコミュニケーションが容易くなった社会。国と国との境は消え、日本というこの国においても、技術、及び文化において他国を圧倒しトップに躍り出るものは皆無に等しいのが、悲しいかな我々の現状なのであります。』
僕はラジオを地面に置き、少し音量を上げた。ラジオは少女と少年の間で切り取られた空を見上げている。
『このままでは日本という国、我々の持つアイデンティティは失われ、消え去るのも時間の問題。』
ちらりと伺う彼女の顔は異物をみる幼児のそれと似ていた。
「これなに」
彼女はいつになく短く、冷ややかな声色で聞いてくる。でもその瞳は足下のラジオを見つめたまま、僕には向けられていない。僕も再びラジオを見つめ、そのまま黙っていた。
『そこで我々が考え新たに掲げるは、光に満ち満ちたこのスローガン。それこそが「日本、世界一クリーン宣言」なのです。美しい街、美しい人間、生きるということは美しくあれということ。常に他を魅了し圧倒する力、美しさとは最強の武器なのであります。
さあ、日本のみなさん。お掃除ですよ。』
録音再生の終わりを告げるカチリという音が響く。残ったのは、僕、彼女、無音のラジオ、包む淡い空気。そんな静けさを壊さないよう、僕は落ち着いた声で切り出した。
「俺たちの住む場所が無くなる、かもしれない。」
ぐだぐだ長引くおしゃべりは嫌いで、僕は結論から言う。少女は冷たく黙ってラジオを見つめたままだった。
「今流したのはこの国の新政府の初心表明。喋っていたのは新しい総理大臣。これを聴いたのは昨日の午前中。たまたま拾った時に流れてて、でもすぐに電池が切れちゃったんだ。」
その後僕はゴミ山から必死に同じ型の電池を探して出し、朝方になってやっと見つけた。
「そしてそのままここに来た。」
そこまで話してやっと少女は顔を上げる。
「これを私に聴かせてどうする気?」
「おい、だってクリーン作戦だぜ?汚いものが消えるんだよ!」
「いいじゃない。あんたの大好きなゴミ山が消えるくらい。喜ばしいことよ、すっきりするわ。いっそ汚いものついでにあんた自身も.....」
「そう!そこなんだ、ゴミ山だけじゃねえんだよ!俺の住んでる公園も一掃されて再開発。俺たちは全員追い出されるってホームレス界じゃもっぱらの噂だよ」
「いいじゃない!臭くて汚いあなたたちがいない公園、なんて快適なの」
「.....おいひっでえ言い方だな。それにいいか、俺たちだけじゃないぞ。ここだって、この廃ビルだってきっと間違いなく壊される」
「ちょ何で、どうしてよ。ここは、ここは汚くない。ここは汚くなんかない、綺麗じゃない」
「うん、まあ俺も、そう思うけど。....でも」
「世間的には違う?ただの廃ビル?」
僕は返事の代わりに小さくため息を吐いた。
「ああもう、なによ深刻そうに。こんなクリーン作戦なんて、そもそも口だけでただ格好だけのものなんじゃないの?ただのパフォーマンス。親子で申し訳程度にゴミ拾って、ガム・タバコのポイ捨てに罰金設けて。そうに決まってるわ。この国のトップが言うことまともに受け取るなんて馬鹿じゃないの。あんたなんでそこまで必死になるのよ」
「それが、それが違うんだよ。今回は」
「何が違うのよ、さっきから『噂』だの『きっと』だの『らしい』だの。ただのあんたの目測、妄想でしかないじゃない」
僕は地面のラジオに目を落とす。穴のあいた僕のスニーカーがジャリっと音を立てた。
「それがさこの作戦、もう実践的に始まってるみたいなんだ」
少女は興味のない声でたとえば?、とひとこと、ふうっと埃を吹き飛ばしぽすりと腰掛けた。紫色のスカートがふわりと揺れる。
「俺も最初この演説聞いたときは全然まともに受け止めてなんかなかったよ。」
そう、僕も初めはそんな程度だった。この国が何と言おうと自分には関係ない。住所のない自分には。夕方、公園、雑木林の隅、自分のテリトリーに青い顔をした仲間のホームレスとあのニュースが飛び込んでくるまでは。
「この宣言が出された1時間後、今からちょうど12時間前。今回の作戦の正式な文章が発表された、みたいなんだ」
「ふうん」
「これ、その日の号外」
僕はズボンの腰に挟んでいたしわくちゃの紙を彼女に差し出す。彼女は「うえっ」とはっきり口にした後まるで腐った魚のしっぽをつまみ上げるようにそれを受け取った。
「作戦の工程表、概要、詳細。読んで」
「....本日より以下の通りに作戦を進めさせていただきます。.......文化財、及び文化遺産の歴史的建造物の清掃。駅、公園、道路等第一公共施設の清掃。.....いいじゃない、異論ないわ。」
「問題はその下だ。続き」
「ちょっと命令しないでよね。....第二・第三公共施設の清掃も順次計画的に進行。なお、我が国民には以下の新たな義務をここに制定する.......日本国民は汚物(下記詳細)に対しこれを速やかに一掃する義務をここに付与.....付与って、何かの称号でももらった気分になるわね......で、その汚物ってのは......」
彼女は新聞に顔を近づけ、下のほうへと目を滑らせる。
「.....はっ、ちょっと何よこのバカみたいな定義。汚物とされるものは日本国民が少しでも汚い、不潔だと思ったものすべて.....?とんでもセクハラ理論ね、ばかみたい」
「だあかあらっ、危ないんだよ俺たち!世間からみて、俺たちはなんだ?不潔、臭い、気持ち悪い!そんな奴ら即居場所追われてさようならだ!」
「ちょっと、私とあんたたちを一緒にしないでよ。私は汚くないし、臭くないし、気持ち悪くもない!むしろ愛らしい存在ね」
僕は反論しようと開いた口を一端閉じると、肩の力をすとんと抜きゆっくりと言葉を紡いだ。
「......屋根のない所で暮らしている。それだけで俺とあんたはひとくくりさ。」
空しく天井を指差す僕の言葉に、うっと言葉をつまらせた彼女は気持ちのやり場が見つからないようで、ふんっとそっぽを向いてしまった。僕は短くため息をつくと、ぽりぽりと頭を掻いた。
「あんた頭良さそうだし、機転ききそうだし、話せばなんとかなるかもって思ったけど俺の勘違いだったな。まあせいぜい気をつけて、な。もう俺がここに来ることは無いと思う」
「え」
「ここから少し離れた都市中央の公園で既にホームレス撤退作業が始まったって聞いた、ついさっきここに向かう途中。と、なるとここも時間の問題。俺はさっさとこの街から退散して旅でもしようかなって」
「ちょっと、......まっ」
「ホームレスと旅人じゃ、聞こえも違う。かなり昇格だ。」
僕は彼女に背を向け、出口となる壁の穴に向かって歩き出す。
「じゃ」
「ちょ.....ちょっと。待ちなさいよ」
あの時の少女の声は消え入るようにか細く、
「.......待ちなさい........待ちなさいって」
僕には微塵も届いてなくて。
「.....................待って、って..............言ってんでしょーが!」