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白黒ドリップ

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 私が笑顔を向けると、浅井さんも「そうか」と笑った。そうなんです。
「じゃあ、今日はオメデタだな」
 オメデタ?
「おめでたい日、ってこと?」
「そう、それ!」
 私のツッコミに浅井さんは顔をほころばせた。
「何がめでたいの?」
「何って、走りたかったんだろ?」
 そういえばそうだ。
「うん」私が頷くと、彼女はポカリのペットボトルを仰々しく斜め上にかかげた。
「それでは、永井……えーっと」「美和」「永井ミワの走った記念を祝して」
 私がお茶のペットボトルを彼女のポカリにぶつけると鈍い音がした。
『乾杯』
 西日に照らされて輝くのはただのホコリ。持っているのもグラスではなくペットボトル。二人ともジャージで、私は汗だくだし、彼女もホコリまみれ。
 それなのに、ああ、なんておいしいお茶。

   * * *

  「白黒ドリップ」

 図書室は蛍光灯が古いのか、元からそういう部屋なのか、全体的に薄暗かった。窓からうっすらと差し込む光が舞いあがるホコリを浮かび上がらせる。テーブル上にセットした私のオセロにもホコリが少しかかっていた。外からの物音はほとんど聞こえず、椅子と床の軋む音がたまに聞こえるぐらいだった。
 こんなとこに長くいたら、病気になりそう。
 とはいえ、昨日がんばって掃除したみたいだから、これでもマシになった方なのだろう。
「すいません、もうちょっときれいになると思ったんですけど」
 隣の席で頭を下げているのは永井という女子だ。いかにもひ弱で鈍そうな外見だが、見方を変えれば、その肌は透き通るように白く、目も大きい。多分、ほどほどに肉がつけば男子がほっとかないだろう。
 私のことが怖いのか、目に若干怯えの色がある。だったら話しかけなければいいのに。
「ううん、ありがとう」
 こんな部屋、一日二日じゃどうにもならないだろうし、頭を下げる彼女の後ろ、少し離れた席から頭と眼つきの悪い女が私を睨んでいる。下手なことを言えば殴られそうだ。
 それに案外、今の私にはお似合いかもしれない。
「あの、木田さん。それで、今日は、何故オセロをされるんですか?」
 その言葉こそ怯えているが、永井の目には好奇心が浮かんでいる。別にそんな大層な理由じゃない。ただ、小さくとも喉に刺さった骨は抜かねばならないのだ。こんなこと、あなたに言って分かるかしらね。
「そうね、終わってからでよければ」話すわよ、と言いかけた所で後ろのドアが開いた。
「すまん、授業終わりに生徒に捕まってな」
 聞き慣れた声が耳を通り抜けて、心にチクリと刺さる。今となっては、この声に輝かしい未来を期待していた記憶さえ腹立たしい。
「別に構いません。早くやりましょう」
 隣で綿貫に会釈している永井に目線を送ると、慌てたように立ち上がって、眼つきの悪い女の近くに座りなおした。空気が読めないほどバカではないらしい。
 集中を乱さない為に、出来れば二人とも部屋から出ていってほしかったが、そこまで求めるのは我儘か。
 彼女と入れ替わるように、綿貫がオセロを挟んで私の向かいに座った。カッターシャツの首もとに巻いたネクタイを息苦しそうに軽く緩める。相変わらず見た目『だけ』はサマになる。綿貫はメガネを外して「ふう」息でホコリを吹き飛ばしてかけ直した。
「じゃあ、始めよう」
 その声を合図に、私は黒石を指した。プラスチックの石と盤が音が立てる。ぺちん。
 先手が不利なのは当然知っていたけれど、有利と言われる後手を指す気にはならない。盤上に置かれた白石を一枚パタンとひっくり返した。
「相変わらずだな、木田は」
 私の心が分かる、と言わんばかりに綿貫は苦笑して白石を指した――

「もう、やー!」
 三度目の勝ちが決まった時、テーブル代わりに使っていた座布団ごと、私はトランプを宙に蹴っ飛ばした。舞い散るカードにカズお兄ちゃんは一瞬驚いて、すぐに困ったように笑った。
「どうしたの? レイちゃん」
 なんてことない、と散らばったカードを拾い集めるカズお兄ちゃんの大きな背中を見ていると、余計にイライラが募る。
「カズお兄ちゃん、ババの時にわざと笑ってる!」
 一回目は私がカズお兄ちゃんのクセを見抜いたんだと思った。二回目は私が見抜かれてるのかもしれないと思った。三回目は確信に変わった。
「手、抜いちゃダメ、って言ってるのに!」
 でも、ズルしているわけじゃない。それは分かってる。本気で相手されたら負けるってことも。でも、それが嫌で、何かが嫌で。
「もう、やだぁ!」私は精一杯でかい声で叫んだ。一緒に涙も出てしまって、それも嫌だった。わめいても届かない。騒いでも届かない。どうせ届かないなら見たくない。私は畳につっぷして泣いた。
「ごめんごめん」
 ちっともごめんって思ってない声でカズお兄ちゃんの手が背中を撫でてきた。何よ! 子供扱いしないでよ! 私は背中に手を回して追い払った。泣き声で喉が痛い。目も痛い。でも、それが私の精一杯。やめるわけにはいかなかった。
「あらあら」
 お母さんの声がする。私の声を聞いて顔を出したのだろう。お母さんが来たって知らないんだから! 女の意地なんだから!
「トランプしてたんじゃないの?」
「ええ、でも、僕が手加減してるのがバレちゃって」
 お母さんにへらへらしながら答えるカズお兄ちゃんの声に、頭の中でトンカチが鳴る。私は涙もそのままに起き上がって、心のままにカズお兄ちゃんの背中を蹴っ飛ばした。
「この女ったらし!」
 いつもは簡単そうに私を抱える大きなカズお兄ちゃんが畳に倒れこんだ。
「レイコ! やめなさい! どこでそんな言葉覚えたの!」
 お母さんが私を怒る。私、悪くないのに。カズお兄ちゃんが悪いのに。カズお兄ちゃんは私の旦那様なのに。お父さんはお母さんが取ったから、私にはカズお兄ちゃんしかいないのに。
「いたた」カズお兄ちゃんは体を起こして「気にしないでください」と私を無視してお母さんに笑った。全然こりてない!
「ほんとに、しょうがない子ねえ。ちょっと待ってなさい」
 そう言うとお母さんは二階にあがっていった。カズお兄ちゃんが「大丈夫?」と笑いかけてきたので、私はわざと顔を反らした。ちょっとは反省しなさいよね。
 私が顔についた涙を手でぬぐって乾かしていると、お母さんが「あったわ」と何か箱を持って降りてきた。
「対象年齢は六才からって書いてあるわね。でも、一つ足りなくてもレイコなら出来るんじゃないかしら」
 差し出された緑色の箱には大人っぽい白と黒の絵が描かれていてかっこ良かった。
「わあ」初めて見るおもちゃだ。すっごく楽しそう。
「オセロですか、懐かしいですねえ」
 そのデリカシーのない笑顔に私はもう一度、カズお兄ちゃんの足を蹴っ飛ばした――

 ぺちん。パタンパタンパタン。
 音を聞いてふと、昔を思い出した。中学生だった綿貫を大きな巨人のように思っていて、私は一日でも一時間でも一秒でも早く大きくなりたかった。
 盤上には白と黒が入り乱れていて、少しだけ私が押されていた。置ける場所がどんどん削られる。でも、まだ逆転は出来る――

「レイコちゃん、今日、一緒に遊びましょうよ。田中さんが新しいゲームを買ったんだって」
作品名:白黒ドリップ 作家名:和家