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白黒ドリップ

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「いや、根性は男以上に据わってるけど、かわいらしい女子だよ。さっきのバカにも言っときな。手出したら、今度は両足折るって」
 アタシの宣言にリーダーは顔をほころばせた。
「ああ、きつく言っとくよ」
 そう言ってリーダーは厨房から顔を出していたオヤジに軽く頭を下げて店を出た。店を出た途端、外からガラの悪い「タマこえぇ!」という笑い声が聞こえた。開けっ放しの入り口から外を見ていると、一団は酒の入ったテンションのまま、雄叫びをあげながら堤防を乗り越えて砂浜へと走っていった。ホント、バカだな。
「タマ、そろそろ締めるぞ」
 厨房にいるオヤジから声をかけられた。時計を見ると九時をまわっていた。もうこんな時間か。
「へいよ」と軽く返事をして、店の外に出た。もう連中の声を聞こえない。私は日替わりメニューの書かれた立て看板をしまう為に抱え上げた。
 その瞬間、冷たく強い風が吹きぬける。どこかの隙間に流れ込んだ風がピュゥと悲鳴のような長い音を夜に響かせた。
 風にはためくエプロンが、あっちへ行きたいと私の体を強い力で引っ張っている。その力に耐えながら、私はさっきの出来事を思い出した。
『二十秒』
 私は手加減をしない。いつも本気で殴っている。それでも二十秒。三年前なら、あと五分は目を覚まさなかっただろう。
 オヤジにアタシに空手を叩き込んで十年になる。女の子らしいものには見向きもせずに鍛えたおかげで、同世代では男女ともに敵はいなかった。
 でも、それも少しずつ通じなくなっていく。その変化の速度はアタシが思うよりずっと早い。
 いつか、本気で殴っても、男に「よせよ」と軽くあしらわれるような日が来るのだろうか。安いテレビドラマのように「君を守る」なんて言われて、その気になるバカな女になってしまう日が来るのだろうか。
 そんなのは嫌だ。
 でも『強さは重さだ』と人一倍メシを食っても、男よりたくさん食っても、筋肉になってくれない。いらない脂肪ばかりがついていく。
 じゃあ、アタシはなんだ。アタシの十年はなんだったんだ。全身凶器と言われながら、頑張ったアタシは結局、男たちの成長の踏み台にされるためだけの人間なのか。
 誰か教えてくれよ。誰かアタシに答えてくれよ。
「おい、タマ! さっさと座敷さらってくれ!」
 店内からオヤジのいらつきの混じった怒鳴り声が聞こえて「あ」と我に返った。
 いつのまにか、風もやんでいる。
 アタシともあろうものが、やれやれ。
「へいへい」
 アタシはわざとめんどくさそうな声を出して、立て看板を手に店の中へと戻った。

   * * *

  「図書室ポカリ」

 カホッと乾いた咳が出て。マスクの中がしっとりと熱くなる。その音に気づいて浅井さんが心配そうに見てきた。長い手足に緑色のジャージがよく似合う。
「大丈夫です。ちょっと気分的なものですから」
 目だけで笑顔を送ってから、私はテーブルを拭いた。初めて着るジャージは裏地がひんやりと冷たく、その上、大量のホコリが煙のように舞う図書室にいれば、咳のひとつも出ようものである。むしろ、三角巾もマスクも無しにホコリまみれの荷物を運ぶ彼女がすごい。
「ねえ、アンタ、英語得意?」
 彼女が床に置いたダンボール箱は、頑張れば私がすっぽり入れそうなぐらい大きかった。ガムテープでしてあった封は新しい破り目がついていて、彼女が一度開けて確認したことが分かる。
 中を覗くと、色鮮やかな箱がたくさん入っていた。大きさは大小さまざまだ。
 小さい箱を手にとって見てみると英語が、いや、英語じゃない。アルファベットではない文字も混ざっている。
「これ、英語じゃないですね」
「読めんの?」とすかさずツッコミが返ってきたけれど、私は首を横に振った。でも、これがどういうものかはパッケージでなんとなく分かる。
「ゲーム、みたいですね。パズルとかすごろくみたいな」
「なんで、そんなのがここにあるんだ?」
 彼女は私も思っていた疑問を口にした。それに答えられる人がいるとすれば。
「あとで、片部先生に聞いときます」
「じゃ、元の場所に戻しとくわ」
 私が頷くと彼女はダンボール箱を持ち上げて、部屋の奥へと歩いていった。私ならあの半分だって持てるかどうか分からない。
「本当に助かります」
 私が礼を言うと本棚の奥から「気にすんなよ」と彼女の声だけが返ってきた。
 図書室は教室より少し広いぐらい。入り口側の半分には大きなテーブルが二つと椅子がたくさん。部屋の奥には本棚が、それこそパズルのようにぎっしりと並んでいて、読む為というより保存の為に本が置かれていた。
「後は、本ばっかりだけど、今日中にはちょっと無理だぜ」
 本棚迷路から戻ってきた浅井さんが、疲れを見せずに断言した。額に浮いた汗と全身についたホコリがなんだか『働くお父さん』っぽい。もちろん良い意味の。
「じゃあ、この辺にしときましょうか」
 まだ、宙にホコリが舞っていたけれど、明日には落ち着くだろう。それから軽く掃除をすれば、かなりマシになるはずだ。
「これで明日のオセロに間に合います」
 木田さんの件はおおざっぱに浅井さんに伝えてある。
「オセロって、そんな約束してまでやるもんか?」
 理解できない、と言いたげに彼女は首をかしげた。正直、私にも理解できないけど。
「戦争の時は『明日死ぬかも』って時に将棋さしてたらしいですよ」
 入院中に知り合ったおじいさんから聞いた話だ。
「それは……まあ、そうか」
 浅井さんは腕を組んで考え込んでしまった。しまった、話題が暗い。
「あ、それより何か飲みますか? 買ってきますよ」
 手近にあった椅子を引いて、浅井さんに勧めながら、明るい声で空気を変えてみた。
「ああ、悪い。じゃあ、ポカリ」
 浅井さんはスポーツ飲料の名をあげて私の手にした椅子に座る。目の前で黒髪が揺れて、汗の匂いがした。でも、自分の汗とは違って悪い気分にはならない。むしろ、いい匂いだと思った。
「では、買ってきます。浅井さんは休んでてください」
 その匂いに後ろ髪を引かれながら私は入り口へと向かい、ドアを開ける。
「おい」背中越しに浅井さんに呼ばれて「はい?」と私は上半身だけで振り向いた。
 目をやると浅井さんは「校門出たとこで売ってるから」窓の外を指差している。
「分かりました」笑顔を返して、私は足を早めた。
 旧校舎の廊下はそこまで古くないようでリノリウムの床は今でも現役に見える。廊下の隅にはホコリが塊で転がっていたけれど、今は見て見ぬふりをした。また、その内その内。
 階段にさしかかると、上の階からガラの悪い笑い声が聞こえた。男子の低い声。多分、例の上級生なのだろう。
 浅井さんは「邪魔しない限りは何も言ってこない」と言っていたけれど、廊下の隅でホコリに混ざって落ちている『二十歳になるまで吸ってはいけない』はずの吸殻を見ると少し不安になる。
 とはいえ、今の私に出来ることは何もない。おとなしくポカリを買ってこよう。
 滑り止めの外れた階段を降りると、その正面に擦りガラスのドアがあった。昔は非常口として使われていたであろうそのドアを開けて、私は旧校舎を出た。
作品名:白黒ドリップ 作家名:和家