白黒ドリップ
「へいへい」アタシは、すでにガラガラになったテーブル席を横目に、のれんをかき分けて厨房へと入る。この町の夜は早い。平日から飲むなんてよほどの暇人か、あるいはバカ。そしてこいつらはその両方、おまけにケチときてる。
相変わらず金になりゃしねえ。ちったぁバイトでもして金落とせってんだ。
鍋から具をより分けて皿に盛りつけた。壁時計に目をやると八時を指していた。
「お客さん! そろそろ子供は帰る時間ですよ!」
厨房から出て、男におでんを渡すついでに嫌味を投げかけると「ぶへへへ」と汚らしく笑った。あーあ。
「三年後にゃ二十歳になるから、もうオトナですぅ!」
自分で言っておかしかったのか、また「ぶへへへ」と笑った。座敷にいる似たり寄ったりな連中もまた「ダハハハ」と赤い顔で笑い転げた。頭もおかしくなったらしい。
そういうルールでもあるのか、男たちはやたらと黒い服を好んで着ていた。十人用の座敷に十二人ほど詰め込んで座っている姿は、まるでダンゴムシの寄り合いのように見える。
どうしようもねえな。だから酒出すな、つってんのに。
厨房奥を睨みつけると、のれんの隙間越しに仕込み中のオヤジと目があった。が、すぐに白々しく目を反らして、口をふーふー吹きながら鍋を振るった。
クマみたいな図体しやがって中身はガキと一緒かよ。大体、てめえ口笛吹けねえだろ。
「うっ」
その時、嫌なうめき声が座敷の上座から聞こえた。おい、汚すなよ。
その声を聞いても変わらずバカ笑いしている連中には何も期待せず、アタシはツッカケを脱いで座敷に上がりこみ、へべれけの男どもを避けながらうめき声のした奥へと向かった。見てみると、長髪の男が二つの座布団を敷布団代わりに狭い空間で器用に小さくなりながらぐったりと倒れていた。見慣れない顔だ。
『急性アル中』という単語がアタシの頭をよぎった。
「おい、大丈夫か」
狭い中に膝をついて右手を差し出そうとしたら、その手を倒れている本人につかまれた。男は、にやけ面を浮かべて、反対の手を伸ばしてきた。その先にあるのは無駄にでかくなったアタシの胸。チッ、真性のバカか。
アタシは空いて手で、伸びてくる手の手首を打って払った。つかまれた手も逆に掴み返して男の腕の自由を奪う。床についていた膝を軽く浮かして、男のへその下へと落とした。
「ぐっ」くぐもった声を上げる男は、その瞬間、身動きできないことに気づいたようで「ひぃ」と情けない声をあげた。
そんな男を周りのバカたちは指をさして笑っている。ホント仲間思いな連中だ。
「触らなくて良かったねえ。触ってたらアンタ、今頃クマに殺されてるよ」
男の幸運を祝福してから、アタシは握りこんだ拳を顔のど真ん中に叩き込んだ。その瞬間、男の体が跳ねるように反応したが、すぐに動かなくなった。
一部始終を笑いながら見ていた男たちは何故か「ぶーぶー」とわざとらしい不満を示した。
「クマなんて失礼だ! 浅井さんがクマなら、タマはジャガーじゃねえか」
一人の下手な冗談にまた笑い声が起こる。「女子プロかよ!」と合いの手が入り、笑いのテンションは上がりっぱなし、うっとおしさも上がりっぱなしだ。漁師の集まりでもこんなにガラは悪くない。
アタシはテーブル上の空いた皿を何枚か手にして、また男たちを避けながら座敷を降りた。
「いつも悪いな」
トイレから戻ってきた所なのか、厨房の入り口横にオールバックの男が立っていた。顔は赤いが、さすがに足取りはしっかりしている。この男がバカどものリーダー格、昔で言えば番長というやつなのだろう。
「子分どものシツケがなってねえ」
とはいえ、アタシの胸を触ろうとする男なんて珍しい。新顔だったがアタシを知らなかったのだろうか。
「アイツにも言ったんだけどな。全身凶器みてえな女だからやめとけって」
はにかみながら照れくさそうにリーダーを髪を撫で付けた。「お世辞はよしてよ」と私も笑いかけて……止まる。
全身凶器?
言葉の意味を頭の中の辞書で引き直して確かめる。悪口だよな?
いや待て、違う意味もあるかもしれない。もう一度、頭の中を探る。
でも、やっぱり、悪口以外の意味は見つからなかった。
「あ? 誰が全身凶器だテメェ」
アタシの頭の中でゴングが鳴り響く。
へその下に力を込めて拳を握ると、リーダーは突然うろたえて両手をあげて否定した。
「おい、待て! 褒め言葉だ! 褒め言葉!」
「嘘つけぇ!」
まあ、バカだからそういう勘違いもあるかもな。
そう思ったのは、リーダーが床に倒れた後だった。幸い、テーブル席にはぶつからなかったので、お店側の問題はない。
いくら悪気がなかったとしても、多感な時期の少女を凶器呼ばわりするのは、鉄拳制裁に値する。
リーダーの一撃KOに、店のBGMになりかけていた笑い声が止まった。
「タマ……さん?」
ガラシャツの男が、酔いの覚めた顔でアタシを呼んだ。コンニャクを頼んだ時とは大違いだ。
男たちは座敷で乱痴気騒ぎをしていた状態のまま、時が止まったように身動きを止めていた。折角飲んだアルコールの酔いはすっかり覚めただろう。
まあ、ハンパな年頃だから嫌なこともあるだろう。晴らしたいウサもあるだろうし、酒に酔いたい日もあるだろう。でも、だからって何でも許されるわけじゃない。
「あんま、調子こくなよ」
アタシがタンカを切って、すぐに「つぅ」とリーダーが起き上がった。赤く腫れた頬を手で撫でようとして「いてぇ」と眉間にシワを寄せた。さすがアタシに殴られ慣れているだけあって余裕がある。
リーダーは静かになった座敷を見て、自分が気絶していたことに気づいた。
「何秒?」
「二十秒ぐらい」
数えたわけじゃないけど、多分、そんなもんだろう。
アタシの返答に興味無さそうに頷くとリーダーは両手をパンと打ち鳴らして立ち上がった。「よし、お開きにすっか」の一言に他の仲間たちも遅れて立ち上がり、フラつきながら座敷から降りてくる。
男たちは、リーダーだけ残して、そのまま千鳥足で黙りこくったまま店の外へ出て行った。
「いくら?」
目を戻すとリーダーが財布を取り出して待っていたので、手早く伝票を電卓で弾いて金の受け渡しを済ませる。「ありがとね」と形だけの礼を言うと、リーダーは「騒いで悪かったな」と財布をポケットにねじこんだ。
「別にいいよ。混んでる時にやられたら殺すけど」
今日のは殺した内に入らない。アタシの言葉に、リーダーは髪を手で撫で付けながら苦笑した。
「そうだ、たまには旧校舎に来てくれよ」
旧校舎? あ、そういえば。
「思い出した。明日からアタシの友達が一人、旧校舎の図書室に行くからさ。悪さしないよう言っといてくんない?」
放課後に頼まれたことをすっかり忘れていた。危ない危ない。
「図書室? どこにあるんだ」
三年間も溜まり場にしていて、なんで知らないんだ。まあ、こいつらに『図書』なんて期待しても無駄か。
「二階らしいよ。いいね、絶対手出すんじゃないよ」
私の念押しの一言に、リーダーは怪訝そうな表情を浮かべた。
「友達って男か?」
別にどっちでもいいだろう。