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キツネのお宿と優しい邪法

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 あんなどこから来たかも分からない怪しい呪い師の言うことに「駄目で元々」と言いながら、一太の命を賭けたんだ。
 なのに私はどうすることも出来ない。一太を助けることも、一太と共に村を捨てることも。
 悔しさに涙がこぼれそうになる。でも、うつむいちゃ駄目だ。
 目の先にいる一太は、揺れる輿の上で、それでも胸を張って座っている。こぼれる涙はそのままにして、私は一太の姿を見続けた。
 今日の一太は一番かっこいい。いつだって今までで一番かっこいい。
 そうして見ていると、温かい手が私の背中をさすってくれた。
「お母さん」
 私と一太のことを認めてくれた女衆の中でも、お母さんは一番の味方だった。お母さんが私を励ますように目を細めながら、背中をさすってくれている。
 私は手のひらで目の涙をぬぐって、改めて晴れた視界で一太を見続けた。
 やがて、一行は山頂まであと少し、という場所へたどり着いた。この場所なら傾きがなく、村が見下ろせる。そこに地蔵様でも置くような小さな木組みの小屋が作られて、周りに柱と呼ぶには貧弱な細い木が立てられていた。
 まさか、一太はあんな狭い所へ一年も閉じ込められるのか。
「待って! 待ってください!」
 先に出たのは、声か足か。気付いたら小屋の前へ飛び出していた。
「下がれ、サワ!」
 村長の叱咤を耳にして、条件反射で体がすくむ。けれど、気持ちは折れていない。地面に膝をついて、頭を下げた。
「お願いです。考えなおしてください! こんな小屋に一年もいたら一太は死んでしまいます!」
 死なない可能性があるから、一太は賭けたのだ。確実に死ぬなら、話が違う。どうしてもっと大きな家を立てなかったのだ。一太は大食いじゃない。食べ物をたくさん置いて、一冬でも二冬でも過ごせるようにすることは出来るはずなのに。
「分からんやつじゃな。一太の命を一年分もらう代わりに、わしらが一年生き長らえれることが出来るのだ。だから小屋の中の一太にとっては一日の出来事よ。一日ぐらい食わんでも死なぬ」
 村長が、苛立ちの込もった声を頭の上から振り下ろしてきた。けど、それは呪い師がそう言っただけで、実際どうなるかは中に入った者にしか分からない。
 だったら、出来る限りのことをして送り出すのが筋というものじゃないのか。
「お願いでございます!」
 もう一度、強く頭を下げる。けれど、聞こえたのは村長の舌打ちだけだった。
 顔を上げると村長に指示された男衆が私を引き戻しに近寄ってきていた。
「お願いでございます!」
 頭を下げることしか出来ない自分が情けなかった。私がもっと大きかったら、男だったら一太を助けられたかもしれないのに。
「ほら、グズグズ言うな」
 脇の下を力任せに持ち上げられて「痛っ」腕がちぎれそうなぐらい痛んだ。
「やめてください!」
 そう叫んだのは私じゃない。輿から一太が飛び降りてきて、私を助けてくれた。
「一太、お前!」
 村長の荒い声を、一太が「話をさせてください」と遮ると、男衆も距離を置いた。
「一太」
 呼びかけると、一太が「相変わらず泣き虫だな」と私の目許を手でぬぐってくれた。
 泣かせた張本人がよくも言う。
「大丈夫じゃ。儀式はわしにとってはたった一日。わしがどこでも寝れるんは知っとるじゃろ」
 言葉遣いがいつもの一太に戻っていた。
「だけど」
 言い返そうとすると「だけど、は無しじゃ」と指で唇を押さえられた。
「戻ってきたら、口で塞いじゃるから。な?」
 いつも冗談みたいにして、胸の跳ねるようなことを言う。
「一年で戻ってきてよ」
 じゃないと浮気するぞ、と脅すように言うと一太が照れるように頭を掻いた。
「浮気する、ちゅうて浮気するやつはおらん」
 つまり、浮気しない、と言っているようなものだ。自分の言ったことへの恥ずかしさに顔が熱くなる。
 一太は軽く声をあげて笑った後で、笑みを消して真剣な表情を浮かべた。
「必ず戻る。待っとってくれ」
「うん。ずっと待ってる」
 女は、どこか根本的に男とは一緒にいけない。
 私はそんなことをふと思った。女は損だな。
 それから儀式が改めて再開した。
 一太が小屋へ入り、格子戸の扉を閉め、周りの柱へしめ縄を巻いてから、呪い師が何かブツブツと唱えると、小屋が白く光り出した。
 それでも呪い師はブツブツと唱えるのをやめず、その間もどんどん光が強くなっていき、見ていられないほど眩しくなったかと思った途端、破裂するように大きく輝いて、光が消えた。
 格子戸から見える小屋の中は、膝を抱えて座り込んでいる一太が目を閉じていた。
「チガワリの儀は成功しました。およそ一年後、村と山は食べ物で満たされるでしょう」
 呪い師が仰々しく言うと、村長が満足そうに頷いた。村の皆も、一様にホッとした表情を浮かべている。
 だけど、私は妙な胸騒ぎを覚えていた。何かがおかしい。

 そのおかしさに気付いたのは、夜も更けて眠りにつきかけた時だった。
 そうだ!
 今、一太の命を捧げねばならぬ程、痩せた土地というのなら、一体、今まで『誰が』この村に命を捧げていたのか。
 気づいて布団から起き上がった瞬間、家ごと下から巨大な何かに突き上げられて体が浮いた。
「なんだ!」
 隣で寝ていたお父さんとお母さんが起きだしてきて、私と目が合った。
「広場だ! 広場へ逃げろ!」
 お父さんの怒鳴り声に眠りかけていた体をたたき起こして、家の玄関から外へ出る。そのまま、両親と一緒に広場へ走りかけて、とんでもない事に気付いた。
「一太! 一太が危ない!」
 地面が揺れれば、山が崩れる。その山には、一太が眠っているんだ。
「駄目だ、戻れサワ!」
 お父さんに怒鳴られて動きかけた足が止まる。父親の言うことは絶対だ。逆らったら折檻されても誰も同情してくれない。
 だけど、だけど! 一太が!
「行きなさい」
 こんな時だと言うのに、お母さんは両足を揃えて、背筋を伸ばして、柔らかい笑みを浮かべていた。視線を交わすだけで、お母さんの言いたいことが分かった。
「ありがとうお母さんお父さん! 行ってきます!」
 別れを告げて私は草履で強く地面を蹴った。広場とは反対の山へ向かって。
 一太!
 揺れる地面に姿勢を崩しながら、それでも足は止めない。明かりを持って来れなかった事に少し後悔したけれど、生まれてから数えきれないぐらい通った場所だ。一太と一緒に歩いた道だ。小石の場所まで足が覚えている。
 うすぼんやりと見える道そばの田畑には、ところどころ巨大な裂け目が出来ていた。
 村に何が起こっているのか、さっぱり分からない。
 けど、今は一太が村の為に命を費やしてくれているんだ。一太を助けないと。
『明日まで、この縄より先には入ってはならん』と言われた縄を飛び越えて、山へと入ると、まるで意思をもったように坂道を土がゆっくりと流れ落ちてきていた。
「一太ぁ!」
 小屋のある山頂は、まだまだ先だ。
 流れる土に足を取られながらも、少しずつ登っていく。
 山の上からは、土に押し流されるように木や石までもが流れ落ちてくる。避けながら登ると、更に進みは遅くなった。
 それどころか、流れはどんどん早まり、サワの体を少しずつ村へと引き戻していく。
作品名:キツネのお宿と優しい邪法 作家名:和家