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キツネのお宿と優しい邪法

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 声に振り向くと、サワが格子戸の明かりが差し込む場所へお盆を置いた。
 二人分の味噌汁とご飯茶碗……なんだこの御飯、黒ずんでる。
 そして、二人の中央に置かれた小皿には、茶色いミミズのようなものが数本並んでいる。これを二人で分けあって食おう、ということか。
「食え」るのか、これ。
 言いかけて言葉を慌てて飲み込んだ。サワが心配そうな顔で見ている。俺は咄嗟に笑顔を作って、両手を合わせた。
「いただきます!」
 ご飯を一口かっこんで、味噌汁で流し込む。正直、ご飯は冷えててパサパサで臭かったが、文句を言ってられる状態でもないので、とりあえず腹に入れる。腹が減っていたおかげか、食い物が喉を通って胃に落ちていく感覚だけは気持ちよかった。
 味噌汁の具は、暗くてよく分からなかったが、ゴボウの細切りと小さな一口サイズのナスが皮ごと入っていたと思う。味より何より、温かい汁が空っぽの胃に入ると言いようのない幸福感に包まれた。
「ごちそうさまでした!」
 両手を合わせて礼を言う。
 量的には物足りなかったけれど、メシと汁が腹の中で膨れて満腹になることを期待した。
「お粗末さまでした」
 サワは軽く頭を下げてから、自分の食事を始めた。
 どうするのだろうと見ていたら「お行儀悪くすいません」と挨拶のように言ってから味噌汁をご飯茶碗へと注いだ。
 何!
 そのまま、何事もなかったように、味噌汁かけご飯をおいしそうに食べ始める。
 そういうメシだったのか!
 確かに俺も子供の頃は、冷やご飯と言えば汁かけご飯だったけれど、久しぶりに見かけた。今の子もやるんだな。
 というか、一体、ここはどこなんだ。
 眠気も取れて、身の安全も分かって、腹も膨れると、次に気になるのは先のことだ。
「食事は終わったか」
 声に目をやると部屋の隅から、キツネ様がのそりと起き上がってきた。それを見てサワが慌てたようにもぐもぐと咀嚼を早める。
「サワは良い。ゆっくり味わって食え」
 許しをもらえてホッとしたのか、サワはぺこりと浅く会釈をしてから元のゆっくりした速度に戻った。キツネ様が俺の目の前まで来て座り込む。
「普段、サワは朝の食事を取らぬ」
 キツネ様の口はピクリとも動いていないのに、落ち着いた声が聞こえる。空中に見えないスピーカーでも置いてあるような不思議な声だった。
「え?」ってことは。
「貴様が今、捨て鉢になって食った食事は、サワの晩の分だ」
 サワを見ると、口をもぐもぐしながら、身振りだけで「気にしないでください」と訴えてきた。よく見るとサワの着ている着物には、あちこちを繕った跡があり、更にそれでも足りないぐらい糸がほつれていた。生地自体が限界なのだ。
 貧乏。
 それには嫌というぐらい身に覚えがある。
 服一枚を買う金で何度メシが食えるか。一度の贅沢が食費にどれだけ圧迫するか。
 もう一度、部屋の中を見渡してみると、本当に殺風景で何もない部屋だった。こんな部屋に住む者から俺はメシを奪ったのか。
「ふむ。理解が早くて助かる。それほど愚かでもないようだな」
 こいつ、俺に何をさせたくて、こんな話をしたんだ。
「一宿一飯の恩返しとして、チガワリの法を解いてやってくれ」
 チガワリ?
 その言葉に、ご飯を食べ終えたサワが反応した。
「いけません、キツネ様! その方を助けるとおっしゃられたではないですか」
 血相を変えて反論する姿は、先程までの温和な女の子ではない。
「では、また人の近寄らぬ山を見て五百年過ごすのか? その間、一太はどうなる」
 キツネ様の諭すような反論にサワが言葉を失ったように口をつぐんだ。キツネ様が更に続ける。
「それに一太は人の匂いを覚えた。チガワリの法を解かぬ限り、別の誰かがまた襲われるぞ」
 襲われる? ってことは。
「あの化物とそのチガワリってなんか関係あるのか」
 俺の言葉に、サワが急に表情を暗くしてうつむいた。その隣でキツネ様が牙をきらめかせる。
「言葉には気をつけろ。あの者は『化物』ではない」
 うつむいたままのサワが細い体を震わせながら、小さな口を開いた。
「あの人は名前を一太と言います。そして、私の婚約者です」
 襲ってごめんなさい、と呟いた声は、狭い家の中でやけにハッキリと聞こえた。

* * *




 青い月明かりと、赤いかがり火が、絡まるように村を照らしている。でも、この家の中に限っていえば、赤い囲炉裏と大人たちの陰しか見えなかった。
 その陰を一身に受け止めるのは私の大切な人。
「では、一太。やってくれるな」
 ドン! ダン! ドン!
 外から調子の良い太鼓の音が聞こえた。
 本来は村の守り神であるキツネ様をお祀りする大事な日なのに、どうして私たちは、こんな場所でこんな話をしているのだろう。
 きっと広場では、他の皆が輪になって歌いながら踊っているのだろう。私と一太も本当なら、そちら側にいるはずだったのに。
「チガワリのお役目、謹んでお受けいたします」
 そこにいたのは、ドジョウと間違えて川ヘビを捕まえてきた漁師見習いの一太じゃない。大人になりたくて、その心に付け入られて、今まさに「不作の続く村の為」と大人達にかどわかされている少年だった。
 けど、私に止めることはできない。そもそも女子供がこの場にいることも特例中の特例なのだ。
 私は声を出さない代わりに、一太の服の裾を強く握り締めた。
 別に一太じゃなくてもいいはずなのに、村の皆がよってたかって「一太でなければ」と言う。私は知ってる。一太が上流の村から川を流れてきた捨て子『流れ子』だからだ。
「わしが村の役に立てるなんて、とても嬉しいです」
 一太が笑顔を浮かべて皆を見回した後、隣の私で目を止めてくれた。
 誰よりも朝早く起きて川へ向かい、誰よりも遅くまで仕事をして、夏には畑を手伝い、冬になれば山猟師の真似事までしているのに、ここにいる誰よりもボロをまとっている一太。
 そんな一太が私を安心させるように、声を出さずに口の形だけで「大丈夫だから」ともう一度笑った。
 老いた村長が咳払いで、一太の視線を奪う。
「役目を終えたら、沢との結婚も認めよう」
 全てはそのため。
 本来、流れ子は村で生まれた子との結婚が認められない。村に拾われた恩は人並みの幸せを求めず働く事で返す。
 そんな馬鹿げた、今時分、どこの村でも聞かないような古臭い掟の為に。
「必ずや、お役目を果たして参ります」
 一太は、そんな掟の為に命を賭けるのだ。でも、だからこそ、私は一太が好きになったのかもしれない。
 座がお開きになった後、一太と話がしたかったけれど、父親に「お前はこっちだ」と引っ張られ、家に帰された。

 翌朝、昨晩の月明かりが嘘だったように、空がどんよりと曇っていた。
 結局、一太とは話が出来ていない。
 村長が呪い師を共にして、太鼓持ちに声をかけると、ドンとひとつ太鼓が大きく打ち鳴らされた。
「しゅっぱーつ!」
 その号令を合図に村の皆で歩き出した。一太は紅い服をまとって、即席で作られた輿に乗って運ばれていく。
 あの紅い服が本当は長寿の祝い用の服だってことを女衆は皆知ってる。偉そうなことを言ったって男衆がこの儀式に賭ける意気込みはその程度なんだ。
作品名:キツネのお宿と優しい邪法 作家名:和家