炎舞 第二章 『開花』
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本殿脇の池の側を通った、小体ながら瀟洒(しょうしゃ)な造りの離れ屋。
菊の花を意匠した燈台の炎が、部屋の片隅で淡い光を灯している。
玉響の肩の傷は綿津見の力で塞がってはいたが、流れ出た血で身体が汚れていたため、陽炎が濡れ布で綺麗に拭っていた。
それが終わり、用意しておいた新しい着物を着せようと、陽炎がそれに手をかける。
―――ドクン。
「…陽炎」
「はい? ―――さあ、どうぞ。お手伝いします」
陽炎が微笑みかけるが、玉響は視線を合わせようとはしなかった。
「…すまないが、先に神風達の所へ行っていてくれないか?」
「え…? ですが、まだお着替えが―――」
ドクン。
「大丈夫だ。一人でできる。彼らを待たせても悪い、陽炎は先に行っていろ。いいな?」
薄暗い部屋のせいだろうか、玉響の顔色が悪い気がする。傷から大量の血を失ったのだ、陽炎が伺うように顔を覗き込むと、心配げな彼女の気持ちを察したのか玉響がようやく視線を合わせ、端整な唇を僅かに上げる。
「私もすぐに行く。……心配するな」
ぽん、と大きな手の平で、陽炎の頭を優しく弾いた。その笑顔と温度を確認して安心したのか、陽炎の頬もつられて緩む。
「…わかりました。拝殿の方でお待ちしています」
「…ああ」
ドクン。
木戸が閉まり、陽炎の足音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなった後、玉響は息を大きく吐き、よろめいた。
ドクン、と、〝ナニ〟かが根付いている音。―――自分の心臓ではないナニかが、鼓動している音を感じる。
「ぐっ……ぅ……!」
―――左肩の傷がひどく熱い。骨が軋む。その時、
「!!」
ドン!!
傷口から強烈な熱さと痛みが、張り裂けるように血と共に噴き出す。そして、閃光が瞬くように脳裏で声が爆ぜた。
『ククク……苦シイカ……?』
低い、くぐもった〝その〟声は、紛れもない〝奴〟だった。
「ぐ……神明……!! 貴様、やはり私の中にっ……!!」
『ホウ……薄々感ヅイテイタノカ……? シカシ、モウ遅イ』
ドクン、ドクンと傷が疼き、目の前が真っ暗になった。見えているはずなのに、見えない。身体が、心が、色彩を拒絶していく。唇を噛みしめ、崩れ落ちそうな身体を両手で抱えながら必死に支える。
『……オ前ノ身体ト魂、我ガイタダクゾ』
「なっ…に…!!」
神明が嗤う。
『ククッ……父デアル天戒ヲ喰ラッタ時、代々長ニ受ケ継ガレテイタ術モ吸収シタノダ。ソレハ、我ラ魔獣ノ魂ヲ転生サセル〝禁呪〟』
呼吸の荒さに掻き消されそうになるが、それでも玉響にははっきり聞こえた。
「…戯言を…!」
そう呻きながらも、玉響は神明の言葉が嘘ではないことを知っていた。心の深い部分で、そう理解しているのだ。
〝支配〟という浸食をされている感覚。
『〝コノ身体〟ヲ使イ、オ前ノ大切ナモノヲ、根コソギ奪ッテヤル…! 我ニ『恐レ』トイウ感情ヲ与エタ屈辱ト恨ミ、ハラサデオクベキカ……!!』
呑まれる―――。保つべき境が越えられる。膝をついて崩れ落ちる玉響の頭に、最も恐れる言葉が響いた。
『手始メニ……人間ノ女ヲ味ワッテミルノモオモシロイ。……オ前ガ愛スル女デナ!!』
「―――っ!!」
一気に全身の毛が逆立つ。
させない!! そんなことは絶対にさせない―――!!
音が、無くなっていく。
絶望が思考をぐしゃぐしゃにしていく。
『光栄ニ思ウガイイ……玉響。コノ我ノ〝魂〟ニ選バレタコトヲ……』
「…やめろっ……やめろーーーーー!!!」
玉響の絶叫。そして―――……。
『……ククク……哀レナ贄メ……!』
三幕 完
作品名:炎舞 第二章 『開花』 作家名:愁水