こんなことって
開会宣言、校長のあいさつと、ダルさ爆発の体育祭のプログラムが始まる。俺はこの後のことを考えると、ダルさを感じるどころではない。
件《くだん》の女装百メートルは午後一番の種目だ。その次が、男装百メートル、綱引き、騎馬戦と続いて、最後が花形の四百メートルリレー走。リレー走は本気の競技なので、各クラスともに走りの速いメンバーを揃えてくる。ここをアンカーで活躍すれば人気も出るだろう。俺ももう少し走りが速ければ、女装を振り切ってこの競技への参加を希望していた。そして、藤澤《好きな子》にいいところを見せたい。これは男としては当たり前の感情だと思う。
でも、そんなに人生うまくいかないよね、ということだ。
「えー!? そこまですんのかよ!」
俺の声が教室内に響く。
午前中の競技がつつがなく進み、昼休みになる前に、女装百メートルと男装百メートルに参加する男子女子は準備に余念がない。
そう……、余念がない。
「だって、やっぱり、スネ毛が生えてちゃ、完璧な女装とは言えないって」
「特にニカちゃんの場合、中途半端だとかえっておかしい」
脱毛テープを片手に女子が言う。
「あと、ワキも。隠れるとは思うけど、見えないところの身だしなみも大切だから」
「顔はファンデで大丈夫だけど、それ以外はねぇ」
口々に話してくる女子の言葉が恐ろしい。なぜ体育祭でこんな目に遭わなければいけないのか。俺は何か悪いことをしたとでも言うのか。
「私がやろうか?」
藤澤が言う。好意を寄せている女子に脱毛をしてもらうってどんなプレイよ、と心の中で叫ぶ。
「いや、それは遠慮する! それくらいなら自分でする」
「はい。それじゃ、よろしく。貼って三秒くらい擦りつけて剥がすだけだから」
脱毛テープを渡される。こんなものを手にする日がくるとは予想だにしていなかった。
女子の前で脱毛。本当にこれなんの刑。恥ずかしすぎるだろ。それならまだ、前日に家でコソコソ思い切ってやってしまった方がすっきりする。
心の中で泣きながら、脱毛テープを使った。本当に心が折れる。剥がす瞬間の痛みもさることながら、何がショックかって、脱毛してキレイになった脚を見てちょっとうれしくなった自分にだ。悲喜こもごもとはこれかと思う。
女子に合格をもらったあとは、流れるように藤澤たちが作業を進めてくれる。
ファンデーション、チーク、アイメイク、口紅。眉毛の形まで整えられた。こんなことを女子は常にやってんのかと思うと怖い。だめ押しでテールのエクステとヘアピンまで付けられた。
「完璧」
「ニカちゃん……恐ろしいわ。想像以上ね」
出来上がりを前に、女子の感想が飛び交う。もう許してくれ。
「胸にパットでも入れればもっと完璧になるけど……」
それだけは断固としてお断りした。走るのに邪魔だという主張は一応認められた。藤澤が特に残念そうにしていたが、そこまで完璧に仕上げたいのか?
「さ、あとはお昼にして、直前に整えるから」
藤澤がまとめる。
この格好でメシか……と人生で初めての経験だな、と思いながら自嘲していると、
「ニカちゃんはお弁当?」
藤澤が訊いてきた。
「え? そうだけど」
「それじゃ、一緒に食べない?」
「いいよ」
二つ返事。今までけっこう話はしたけど、一緒に昼とかなかったから。
藤澤と女装実行委員(と俺が今、名付けた)は、一緒にどこかでお昼にするのかと思ったら違うらしい。「ニカちゃんあとでねー」といいながら教室を出ていった。
「終わったか? メシにしようぜ」
そこへ俺といつもツルんでる友人、瀬長徹《せながとおる》が入ってくる。
「って、和だよな?」
余計な一言を付け加える。
「他の誰に見えるんだ?」
いつもの丁々発止かと思ったが、藤澤が机を移動しようとしていたので、すかさず手伝う。
「藤澤も一緒に食うの?」
徹も机を移動しながら口にする。
「ダメ?」
「いやあ、藤澤となら光栄ですよ」
その言い方はなんだと思ったが、特に突っ込まなかった。
囲んだ机に俺と藤澤ともに弁当を広げる。徹はコンビニで買ってきたパンだ。
「……お前、それ、ヤバいだろ」
「うるせ」
俺の女装をまじまじと見ながらの言に間髪入れず返す。
「まるっきり女子じゃねぇか。館女にもぐり込んでも気づかれないぞ」
「だからうるせえっつーの」
「ダメだな。そのカッコなら、言葉遣いも丁寧にな。はしたないぞ」
今の今までこの苦行に耐えてきた俺にそんなセリフを吐いてくる。
「おまえ、もう黙れ」
「本当だよ。ニカちゃん。言葉づかいは丁寧に」
藤澤……。お前もか。
「この格好で言葉変えたら、まるっきりオカマじゃないか、嫌だよ」
「見えないから大丈夫だ。俺、お前に惚れていい?」
「それ以上言うな。ツレやめんぞ」
「でも、本当にかわいいよね。一位確実かな」
「別に一位になってもうれしくないよ」
まったくやる気が沸かない。本気で走るのもこの格好では……。足がスースーするし。
「あ、一位になったらさ、なんかおごってあげる。ファミレスでもカラオケでも……」
「なに? 藤澤が?」
「うん。私が。元はといえば、私の責任もあるし」
藤澤が弁当を食べながら話す。かわいいな。好きな子の言動はなんでもかわいいのだが。女子の弁当って異様に小さい気がするんだけどあんなので腹一杯になるんだろうか。
「俺は?」
徹が関係ないのに言葉を挟んでくる。こいつには俺が藤澤のこと気になるって言ってるはずなんだから、絡むなら手助けしろよな。
「おまえは何もしてないだろ」
「お前を育てたのは俺だ。小さいころから面倒を見、ここまで育てた俺に感謝の気持ちはないのか?」
「おまえとは高校からの付き合いだろ。わけわかんないこと言うなよ」
「瀬長君も一緒に行く?」
藤澤が笑いながら言う。
「ウソウソ。和は女の子に慣れてないから、ふたりっきりでつきあってあげて。その格好で行ったら? 少しはおしとやかになろうというもんだ」
「あ、それいいね」
藤澤の目が輝く。なるほど。そこに落とし込むわけか。でも、このままの格好だと……。
「よくないって。女装《これ》は学校《ここ》だけで勘弁して。トップ目指すからさ」
「やる気でた? 頑張ってね」
一位になるつもりなんてまったくなかったが、藤澤とデート(と言ってもいいよな)できるとなれば話は別だ。
そのあとは、藤澤の趣味が洋裁だったり、俺の趣味であるバイクの話をしたりと盛り上がった。