黄金の秘峰 下巻
ったと思うよ。それに、此の前の金峰山での事件を考えると益々長
野県の境界説が濃厚になって来るんだ」
「金峰山での事件って何?」
頼子がビールのグラスを傾けながら譲次に聞く。
それには、幸一が答えた。大分酔って来た様子である。
目がとローンとしている。
「こいつね、忍者に襲われたんだ」
「えっ、忍者。どういう事?」
僅かなアルコールで既にほろ酔い気分の頼子の色っぽい眼差しを
意識しながら、譲次が答える。
「いやね、実は姿を見せぬ人間に二度程狙われたんだ。二度とも何
とか身を交わしたけどね」
「まあ、怖い!」
頼子が胸に手を当てて、大袈裟に身を縮める。
酔眼朦朧の幸一が、
「なるほど。カムフラージュ説か。金額面から見ると確かに譲次の
は説得力があるな」
「それで兄貴、話の続きは?」
「あっ、そうか。ともかく、話を聞いていて、俺が疑問に思ったの
は、正太が待望の絵図面を見て、ふーん、こんなものだったのか、
と笑ったと言うが、どうも不自然でね。余りにクールというか、そ
れと健さんには間違いなく十数億円のカネが渡ったのかどうか?」
「なるほど。確かに変だな。普通正太の立場だったら小躍りして喜
ぶところだろうに」
「何か有るわね。其の代議士、うっかり口を滑らせちゃったんじゃ
ない?」
頼子が口を挟む。
「すごい、女の人の勘って言うのだね」
譲次がからかい気味に言う。
「あら、これって理論的な発言よ」
「御免、御免」
「あははは、止めとけ、二人共」
目を閉じていた幸一が中に入る。
「兎も角、もう一遍宗田に聞いてみるよ」
「それが良いね。ところで、兄貴。さっき駅前の本屋での立ち読み
でも確認したんだけど、甲斐の武田一族というのは天正十年三月の
天目山での勝頼以下一族の討ち死にで家系は絶えたことになってい
るんだ。だけど、武田家の系図によれば他家への養子に出た者二人
を除いて信玄の弟で恵林寺の僧になった宗智と言う者だけが、信長
の焼き討ちにも拘わらず生き延びたことになってるんだよ。これっ
て、おかしいだろ。寺中の僧侶が全員焼き殺されたのになんで宗智
だけが生き延びられたのか。快川に忠告されて逃げ出したのでもな
ければ、当然一緒に死んでる筈だろ。ひょっとして、この宗智の子
孫が代々埋蔵金の見張り役をして来たじゃないかと思うんだか、ど
うだろう。現在の恵林寺の僧の一人に限らずとも、いずれその遺志
を継ぐ者がこの甲州の地の何処かで四百年余の永い間、連綿と信玄
の秘命を守り続けて来たとも考えられる。俺を襲った奴は、その宗
智の末裔じゃないだろうか。ねえ、兄貴どう思う?」
「あら、いやだ!幸一さんったら、寝ちゃってるわ。折角譲次さん
が、凄い推理を語っているのに」
気が付けば聴衆は頼子だけだった。
譲次は苦笑して、
「じゃ、目が覚めたら俺の話を伝えといて。今夜は実家に泊まるこ
とにしたよ。おやすみ」
譲次は幸一の寝顔を横目で見ながら、玄関に向かった。
見送る頼子も聊か眠そうな様子である。
幸一は武田宗智の末裔が埋蔵金の見張り役をしているのではある
まいかという譲次の推理に興味を惹かれた。
譲次が二度も襲われた事実と考え合わせると、武田の埋蔵金監視
役の存在が現実のものに思えて来る。
兎に角、先ずは恵林寺訪問からと考えた。
部下には適当な口実を作って、塩山まで車を飛ばした。
乾徳山恵林寺は武田氏の菩提寺で、夢窓国師を開山とする。
当時は甲斐の臨済宗の中心として栄えたらしい。
武田信玄は永禄七年(西暦一五六四年)快川紹喜を迎えている。
快川が信長に寺ごと焼かれる際の偈(けつ)の言葉、
「安禅は必ずしも山水を用いず心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」
は余りにも有名である。
幸一は山門に書かれた偈を読みながら思った。
日頃犯罪と向かい合った生活をしている幸一にとって、人間の持
つ二面性は十分理解している筈なのに、楽市楽座など経済面や鉄砲の活用など軍事面に見られる信長の非凡な能力や聡明さと、この恵林寺の山門で大勢の僧侶を焼き殺した、例を見ない残忍さとの共存には改めて驚かされるのだった。
ふと庭園への案内板を目にして、幸一は序でだからと思い庭園を
見学することにした。
春未だ浅く寂寥とした、夢窓国師の手になる池泉回遊式庭園を一
渡り眺めてから、幸一は総務職の僧に面会を申し出た。
三十前後の僧が出て来て幸一の応対をしてくれた。
宗智の名を言われて、その僧は最初何の事やら全く見当が付かぬ
様子だったが、幸一の説明で漸く了解したとみえ、即答は出来ぬゆえ調べてからと言って、引き下がった。
暫く待たされた後、五十年配の別の僧が出て来た。
彼によると、宗智の子孫については全く分からないと言う。
幸一も四百年余りも昔の事では無理もなかろうとは思う。
只、寺のことだから、記録面はしっかりしている筈だと考え、再
度記録などを調べて貰いたいと、頼んでみた。
その僧は暫く時間を貸して貰えば、と言って承諾して呉れた。
数日後、その僧から電話があり、矢張り古過ぎて記録が見当たら
ないとの回答があった。
恵林寺が信長に焼かれた際、記録類もすべて焼却されたのかもし
れない。
幸一もそれ以上の追及は諦めた。
第九章 末裔
譲次は恵林寺の僧、宗智の末裔が埋蔵金監視者として金峰山近辺
を徘徊しているに違いないと考えた。
それにしても、連日山に入り登山者を監視することは容易なこと
ではない。
山小屋にでも寝泊りしているのだろうか?
山小屋を調べる必要もあるな。金峰山界隈の小屋と言ったら、先
ずは金峰山小屋、御室小屋、大日小屋、富士見平小屋、大弛小屋位
だろう。
それにしても、多田健一郎は自分から絵図面を手放していた。
駒井文治に殺されたのではなさそうだ。
となると、俺を襲った奴が健さんを殺害した犯人か?
兎に角、再び山へ登り「千代の吹き上げ」で襲った者を誘い出す
しかあるまいと考えた。
幸一に伝えれば「止めとけ」と言われるだけなので、黙っている
ことにした。
金山平の旅館に泊まり、翌朝早く富士見平まで車で送って貰った。
再び雪道を踏みながらの登山となった。
気温は低いが、体は汗ばむほどに熱い。
どの辺で相手が出てくるか分からないので、一瞬たりとも気は許
せない。
大日岩の基部では特に気を付けた。
幸いと言うか、残念と言うべきか、落石などの異変は今回起きな
かった。
こんな積雪のある季節は監視もお休みと言うのか?
どうにか、「千代の吹き上げ」に辿り着いた時、人影を見た。
修験者の格好をした男が立っている。
頬髭を伸ばし放題にしている。
譲次は見覚えがあった。
金桜神社の裏庭の「鬱金」の木の前に立っていた男だ。
譲次の近づくのを待っていたかのように男はこちらを向いた。
譲次は警戒してその場に立ち止まると身構えた。
見ると男の右手に長い筒が握られている。
(あれは何だ?)
武器とは見たが、何の武器か直ぐには判断出来ない。
(どう対処したらよいのか?)
譲次は迷った。
男はおもむろに筒を口に当てた。