黄金の秘峰 下巻
保に漕ぎ着けたいと考え、こうして早朝からお邪魔した次第であり
ます」
「儂に協力と言われるが、どんなことが出来るのかな。ところで、
自殺じゃなくて他殺だったと言うが、どうして判ったのかね?」
「ええ、まあ、一寸専門的になるんですが、要は、射入口と言って
弾丸が入った処の皮膚が、銃口を皮膚につけての接射の場合は、皮
下でのガス爆発によって通常もっと大きな穴になるんです。当初、
其の点を見落としていたのは当方の手落ちであります。ところで、
先生にご協力頂きたいことは、生前の森山氏の社内外での金銭或い
は怨恨関係等に就いてお気付きの点が御座いましたらお教え願いた
いのですが」
「うーん、金銭とか怨恨ね。兄貴のことは正直言ってあまり分かっ
ていないんだな」
「何でも結構です」
「そうだな。あっ、そうだ。梶原。おまえは兄貴んとこと多少は接
触があったんじゃないか。何か知らんか?」
「はい、私も詳しくは存じませんが、章夫さんはあの通りの病身で
したので余り人に恨みを買うような事はなかったと思います。只」
「只、何かね?」
宗田が聞いた。
「只、専務の駒井はなかなかの悪でして、腹の中で何を考えていた
か分かりませんが」
「ほー、駒井がか。確かあいつが兄貴に女房を世話したんじゃなか
ったかな?」
「はい、そうです。東京から連れて来たんです」
「小松君、駒井が郁子と示し合わせて兄貴を殺したとは考えられな
いかね?」
「はい、その点は森山郁子の駒井殺害の理由が森山氏の復讐だった
ことから可能性は薄いと考えますが」
「しかし、郁子が想像以上の悪だったら、駒井を口封じの為に殺す
可能性もあるんじゃないかね?」
幸一は内心うーんと唸った。
(それは可能性として考えられないこともない。然し、郁子にはこ
れまで二度会っているが、それほどの腹黒さは感じられなかった)
「まあ、可能性がないとは言い切れませんが、私の心証ではそれほ
どの悪女ではないと思っております」
「なるほど。犯人は他にいるというわけだね?」
「そういうことです」
幸一は愈々本能寺の敵に向かって質問を開始した。
「ところで、梶原さん」
梶原が驚いた表情で幸一を凝視した。
まさか自分の処へ質問が回って来るとは予想していなかったよう
だ。
「はい、何でしょうか?」
「あなたは、甲武建設の社員、即ち社長の森山章夫氏以外の人間と
もかなり接触があったと了解しますが、どのような面でのことでし
たか?」
梶原は宗田の表情を見詰める。
幸一の質問に答えていいものかどうか迷っている様子だ。
「ほら、どうした?知っていることは何でも話しなさい」
宗田にそう言われて梶原はほっとした様に見える。
「それは、武田の埋蔵金の事です」
「えっ、埋蔵金?」
幸一はとぼけて見せた。
「はい、これは宗田先生もよくご存知のことで、話が長くなりま
すが。先生よろしいですか?」
「分かった、儂が話そう」
宗田は、いちいち了解を求められるのが煩わしいと思ったか、そ
う言うと自分から、埋蔵金の話をし始めた。
話は太平洋戦争の真っ最中に遡った。
父親の正太が内務班長をしていた当時、弓削という四十過ぎの貧
相な男が入営して来た。
通常なら兵隊にはとられない、いわゆる第二国民兵役に属する人
間で、如何に日本が米軍の巻き返しに苦戦していたかを象徴するような存在だった。
古参兵達は、この老いた新兵に待ってましたとばかりにリンチを
加えて楽しんだ。
見るに見かねた正太はその男を努めて庇うようにした。
其の内、正太は南方方面へ転属したが、硫黄島守備隊に加わった
時、その弓削に偶然再会した。
弓削は負傷して寝ていた。
丁度その夜は、最後の突撃を敢行するところだった。
負傷者は枕元に手榴弾を置き、いざと言う時は自決する段取りに
なっていた。
正太は弓削を見舞った後、突撃に向かう別れ際に、弓削から無事
に日本へ帰れた時は、武田の埋蔵金の場所を示す絵図面の掛け軸をお礼代わりに必ず正太の処へ届けると約束した。
戦争が終わり、正太は米軍の捕虜から自由の身となり、山梨に帰
って暫くは家業の山林事業に従事したが、期する所あって間もなく県議になった。
時折、思い出しては
(弓削はその後どうしたか?生き残れただろうか?絵図面の掛け軸
はどうなったか?)
などと考えた。
或る日その事を、源太郎に打ち明けた。
源太郎が何かの時に章夫に話した。
ところが、章夫から意外な、反応があった。
若い頃からの悪友の一人梶原庄造が自分の組にいるが、彼が戦後
直ぐに多田酒造で働いていた頃、行き倒れがあり掛け軸のようなものを残して死んだという記憶があるらしいと教えて呉れた。
源太郎は其の事を父正太に伝えた。
正太は驚いて、
「それこそ弓削が戦地で約束した埋蔵金の絵図面だ!」
と言って、多田家に事情を話して返して貰うようにと指示した。
早速章夫に伝え二人で多田家を訪れ、掛け軸を返して呉れるよう
交渉したが、多田惣吉は二人の様子から只の掛け軸ではないと考え欲が出たと見え、そんな物は知らぬの一点張りだった。
其の内、惣吉は毎日山へ入るようになったが、絵図面だけでは場
所の特定が出来なかったらしい。
或る日、山から帰って来ず、大騒ぎになり大勢で山狩りなどした
が結局見付からず、恐らく沢にでも足を滑らせ転落死したのではないかということになった。
その後も、多田家とは何度か掛け軸の引渡しを交渉したが、家を
取り仕切る久美も拒絶するばかりだった。
ところが息子の健一郎も父親を真似て山へ入り始めたと聞き、再
度交渉を開始した。聞けば、健一郎も場所の特定が出来ず焦るばかりだったとかで、簡単に交渉に乗って来た。
条件は発掘後に三分の一を代償としてカネで支払う事だった。
健一郎が掛け軸を我々に渡すについては、当然コピー位取った上
でのことは十分想像出来た。
我々が発掘に成功しなければ、引き続き自力で捜す為に。
然し、コピーの存在は我々にとって、それほど問題ではなかった。要は、発掘に成功しさえすればよいことだった。
絵図面を入手し早速父正太に見せると、
「ふーん、こんなものだったのか!」
と言って、笑った。
兎も角、人手の多い兄貴の森山組に頼んで発掘するよう考えたが、
生憎入院中の為、専務の駒井以下にやらせ、監視役として梶原が常
に現場に付き添うことにした。
実際に数十億円の甲州金が発掘された。
しかし、そのまま埋蔵金を国内で処分するのは色々問題もあり、
それに発掘地の所有者の問題など、世間で大騒ぎになるのは目に見えていたので、苦慮の結果、香港へ持ち出し換金する方法を思い付いた。
持ち出すにしても、そのままは具合が悪いと知恵を絞った結果、
ゴルフの道具に形を変えればと、ゴルフヘッドに変え、森山組がゴルフツアーになりすまして何回かに分けて香港へ運び、金取引業者に換金して貰った。
幸い埋蔵金の純度が高く、香港の業者も喜んで買い取って呉れた。
そして、手にしたカネを多田健一郎、森山組、それに自分の政治
資金として三等分した。勿論、この様な行為が罪になることは十分承知の上であった。
ところが、突然健一郎が山で行方不明になったと知りこの梶原に、