黄金の秘峰 下巻
物陰から父親の様子を窺っていた庄造は何故かその場を動けなか
った。自分が傍に駆けつけたら二人共追い払われるのではないかと
言う不安があった。
そういう場面を何度も目にして来たからである。
東京近郷には東京空襲による罹災者が多く流れ込んでいた。
東京からの道すがら多くの物乞いが歩いているのを見た。
中には親子ずれの物乞いもいた。
農家の玄関先で邪険に追い払われる親子も眼にした。
後刻多田酒造の看板を読んで父親の言っていた何とか曹長の家だ
と思い、父親の望みが叶ったのだなと、ほっとした。
それからの庄造は戦争孤児の施設で育つことになった。
弓削の名を隠し梶原の姓を名乗った。
庄造は父親が弓削の名を多田酒造で口にしていたのではと言う
思いがあった。
子供心に、行き倒れの男の子供とは思われたくなかった。
其の頃、ラジオからは毎日のように同じ歌が聞こえていた。
「鐘の鳴る丘」だった。
庄造はこの歌にどれほど励まされたことか。
淋しくなると、いつも口ずさんでいた。
緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘が鳴りますキンコンカン
メエメエ小山羊も
啼いてます
風はそよそよ
丘の家
黄色いお窓は
おいらの家よ
庄造が暮らした施設はそんなカラフルな建物ではなく、普通のし
もた屋を利用した粗末なものだったが、庄造は頭の中にそんな家を描いてはこの歌を唄った。
中学を卒業した庄造は多田酒造を訪れ働かせてくれと頼み込み、
幸いにして採用して貰えた。
庄造としては父親の最後を看取ってくれた多田家に少しでも恩返
しが出来ればと言う気持ちからだった。
真面目な少年だった庄造だが、其の内甲府の町で遊ぶ年頃になり
或る日森山章夫と知り合ったのをキッカケに次第に悪い連中に顔見知りが増えていった。
気が付いた時には森山組の幹部の一人として幅を利かす立場にな
っていた。
十五年ほど前の事、森山が掛け軸の話をしているのを聞いて、あ
の多田酒造の門前で父親が持っていたものではないかと考えた。
自分の親が行き倒れになったなどとも言えず、自分が働いていた
時分の目撃談として誤魔化しながら、掛け軸は多田酒造にある筈と
章夫に伝えた。
それからは父親の約束の相手が多田家ではなく宗田家だったと分
かり、父親の目的を成就させる為にも、多田の掛け軸を取り返さね
ばと内心思った。
ところが、章夫や弟の源太郎達の申し出に対し、多田家の当主多
田惣吉は事の他強欲な人間だった。
黙って返すとの予想に反し、そんな物は知らぬと言い出した。
其の内惣吉は山へ入るようになり、遂に行方不明になったとの噂
を聞いた。
未亡人の久美にも掛け軸を返して呉れるよう交渉したが夫と同様
の素っ気ない対応だった。
交渉経緯を聞いて庄造は次第に多田家を憎むようになった。
自分の母親が掛け軸を守る為に命を投げ出したこと、其の上、父
親が同じように命を賭けて宗田家に届けようとしたことなどを思い
起すにつけ、多田家の人間の強欲さに強い憤りを覚えたからだった。
庄造は掛け軸の件以来、宗田家に出入りするようになっていた。
戦地で自分の父親が世話になった恩返しを息子が行うのは当然だ
ろうと言う気持ちがあった。
宗田源太郎は庄造がそうした前歴を持つ人間とは知らなかったが
色々手伝ってくれる庄造を重宝に使うようになった。
何時しか庄造には私設秘書の肩書きが付いていた。
五年前、息子の多田健一郎が掛け軸引渡しの交渉に乗って来た為、
漸く宗田家の手に掛け軸が渡り、庄造も心中ほっとした。
(親父、やっと親父の念願が叶ったよ!)
しかし、柳沢峠で掘り出された埋蔵金が三十億円以上もあり、し
かも多田健一郎、森山組、宗田源太郎で三等分されると聞いて、次
第に理不尽なものを感じるようになった。
父親が譲る決心をした以上、宗田がカネを受け取る権利のあるこ
とは分かるし、森山組が人手を提供し、発掘、クラブヘッドへの製
品化、香港への運搬、販売を実行したからには矢張りカネを受け取
る権利があることも了解できる。
しかし、多田健一郎は果たして権利があるだろうか?
本来、宗田家に渡すべきものを横取りしたに過ぎないではないか。
埋蔵地の解読にも発掘にも参加せず総て人任せで、カネだけとる
権利が果たしてあろうか?
只のゴネ得だけで十数億ものカネを手にするのはおかしい!
庄造は自分が預かった、健一郎の分の十二億円のうずたかく積ま
れた札束の山を眺めている内に、健一郎に事情を打ち明け、せめて
半分の六億、否、一億だけでもよいから、分けて貰おうと考えた。
何に使うという当てもないが、其のほうが死んだ父も満足するだ
ろうと思えた。
「多田さん、カネの準備はもうすぐだけど、一寸教えたいことがあ
るので、どこかで会えないかな?」
「教える。ところで、カネはいくらになりましたか?」
香港で埋蔵金がどの位の価格で引き取って貰えたか早く知りたい
らしい。
「十億は超えそうだね。兎も角、会いたいのだが」
「分かりました。何処にしましょうか?」
「実は、別口の埋蔵地が判ったので下見を兼ねて金峰が良いね」
「別口」
「ええ、信玄はかなり多くの場所に分散して埋めたようだよ」
「なるほど、見付かる危険の分散ですな」
「そう。じゃ、明日はどうかな?」
「分かりました。何処で何時に落ち合いますか?」
「金桜神社で朝五時とするか?」
「そうしましょう!」
庄造は、新たな埋蔵地として金峰山を選んだ。人目に触れにくい
こともあったが、如何にも埋蔵地らしく健一郎を信じ込ませやすい
と考えたからだった。
実際、巨額の埋蔵金の在り処にも近かった。
事情を説明すれば健一郎は正造の要求を受け入れて呉れると庄造
は考えた。
金峰山の頂上から小川山の方へ歩きながら、庄造が話し始めた。
眼前には秩父の山々が広がり、彼方に八ヶ岳が遠望出来る。
「多田さん、今回の埋蔵金の絵図面だけど、おたくの家の前で行き
倒れた男とは、実は私の父なんだよ。病気の父が戦地での約束を果
たすため宗田家を捜していてお宅の門前で倒れたんだ。其の時、お
宅のお祖母さんが中から飛んで来て父を介抱しようとしたのだが、
間に合わなかった。父は宗田の名をいう事もなく死んでしまったの
だろう。おたくのお祖母さんは処置に困ってそのまま預かっておい
て呉れたと言う訳なのだ。元はと言えば我が弓削家に代々伝わって
いたものなんだ」
「梶原さん、突然そんな話をなさって、どうする積もりなんですか。
そんな事より、別口の埋蔵地はどこなんですか?」
「まあまあ、慌てなさんな。私が言いたいのは、弓削家の家宝で手
にしたカネを、この私が一銭も手にしないというのは。理屈に合わ
ないんじゃないかと言ってるだけなんだよ」
「然し、そんな話を聞いて「はい、そうですか」と信じられると思
いますか。巨額のカネが入ろうとする私にそんな話をすれば、いく
らかでもカネが貰えるとでも思ってるのですか。それほど僕はお人
好しじゃありませんよ」
「あんたが俄かに信じることが出来ないのは分かる。然し、この話