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サルバドール
サルバドール
novelistID. 32508
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塗り替えられた記憶

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ねえ、小枝子、と言って、彼女はわたしの膝に手を置いた。その指先にはエメラルドの指輪がはめられている。アキラから昔、贈られたものらしい。指輪は天井から零れる光を浴びて碧色に輝いている。碧色の表面にはわたしの顔が映っている。覇気のない眼をしていて、死人を見ているような錯覚を覚える。ずっと見ていると、膝の上で由里子の指が小刻みに震えるのが分かった。視線を指先から由里子の顔へ移した。喪服に身を包み、髪を背中まで伸ばした女が、こちらをまっすぐに見ている。その瞳には涙が湛えられている。わたしは、由里子の顔を正視できず、首元に目をやった。首元には真珠のネックレスが数珠つなぎにかけられている。喪服に合っていて、とても綺麗だと思う。ごめん、ごめんね、という震えた声が口元から零れる。どうして、謝るの? わたしは顔を上げて、思わずそう言った。謝らなきゃいけないのはわたしのほうなのに。そう言おうとするわたしを、彼女は、いいのよ、と言って制した。そんなことはもうどうでもいいの。

彼女が“そんなこと”という言葉で表現しているのは、わたしたちが過去に犯した罪のことだ。アキラは、由里子の昔の恋人だった。その恋人をわたしが奪った。簡単に言えば、そういうことになるのだろうけど、それは世間一般で言うところの“略奪愛”とは次元が異なる。正確に言うと、アキラには2人の恋人が居た。そのうちの一人が由里子で、もう一人がわたしだった。わたしたちは別の恋人が存在することを知らないままに、彼と交際していた。彼の秘密が明らかにされたのは去年の夏だ。わたしのお腹の中にアキラの子供がいることが発覚して、良心の呵責から彼は真実を吐露した。由里子とは中学時代から仲が良かったし、彼女を傷つけたくなかったので、わたしは、一人で子供を産んで育てていきたい、と彼に言った。彼はわたしの決断に耳を傾けず、自分が責任を取ると言った。後日、わたしたち三人の間で話し合いの場が設けられた。その席でアキラは由里子に別れ話を切り出した。由里子は最初こそ気丈に振舞っていたが、話がわたしの妊娠に及ぶと、感情を抑えられなくなり、ワイングラスを叩き割ったり、これ以上はないというような汚い言葉でわたしたちを罵ったりした。そのせいで話し合いは結論が出ないまま物別れに終わり、結果、アキラと由里子の関係は自然消滅的に絶たれた。

わたしはね、小枝子、あなたたちのしたことを忘れることはないだろうけど、それは決して許さないということではないの。わたしの手を握りしめながら、由里子はそう言ったが、わたしに許される資格などあるはずがなかった。どういう形をとったにせよ、わたしが彼女からアキラを奪ったことは事実だからだ。わたしには彼女と同じ場所で呼吸する資格すらない。ごめんなさい。わたしは、彼女の顔を見るのに耐えられなくなって、視線を前方に戻した。前方では黒い椅子が横一列に並んでいて、その上から人間の頭が突き出ている。その隙間からも人間の頭を垣間見ることができて、獄門台に並べられた生首を思わせる。生首の間を縫うように読経が押し寄せてくる。坊主の声で奏でられるそれは、壊れたスピーカーから溢れるノイズに似ている。読経が止み、坊主が参列者の方に向き直った。彼は小さく会釈すると、故人にお焼香をお願いします、と言った。それを合図に、前に座っていた人々が一斉に立ち上がった。黒いうねりが起きたようにわたしには映った。それからはまるで示し合せたかのように事が進んだ。ホールの右側と左側からそれぞれ参列者が出てきて、真中の道に列を作った。それはさながら、漆黒の葬列のようで、前列を先頭に祭壇へ向かって練り歩き始めた。わたしと由里子もその後に従った。人々の黒い背中を追いながら、由里子がわたしに訊いてきた。彼と最後に会ったのはいつなの? わたしは、覚えていない、と答えた。彼女は訝しげだったが、とぼけているわけではなく、本当に覚えていなかった。

最後に会ったのはいつかと問われれば、あの話し合いの日だと答えるしかない。あの日以来、わたしの記憶は曖昧だ。彼と交際を続けることになったのかどうか分からないし、お腹の子供がどうなったのかも分からないし、ましてや、彼がどうなったのかも分からない。だから、当然、此処にいる意味も、彼が死んでしまった理由も、わたしには理解できない。

どうして、彼は死ななければならなかったの? わたしがそう訊くと、由里子は、え?と声を漏らしてから黙り込んだ。そして、深い沈黙の後で、彼は殺されたのよ、と呟くように言った。