幽霊機関車
見物客は驚いて、声の主の方を振り向きました。そこには、上半身裸の体格の良い中年男が笑顔で立っていました。
それは顔見知りの「物貰い」でした。
「ケンタマ」の意味が理解されぬまま、いや、私だけが理解できなかったのか、ともかくそれ以降、彼の名前は「ゲンさん」になっていました。
「物貰い」のゲンさんが何処から来たのか、どういう経歴の人物か誰も知らぬまま、当のゲンさんは私たちの集落が気に入ったと見え、その後も時折物貰いとして庭先に立ちました。
その内、彼の体力を惜しいと思う者もあり、農作業を手伝わせる家も出て来ました。
彼も「物貰い」よりは何がしかの労力の報酬として米とか野菜を貰う方が快かったでしょ
う。
ひょっとして、彼の方から手伝いを申し出たのかも知れません。
私の家でも、男手が少なかったので、色々彼の助けを借りたものです。
それゆえ、ゲンさんとは特に親しくなり、
「坊、坊」
と呼んで私を可愛がってくれました。
何処で採ったものやら沢山の栗や椎の実をザル一杯くれたこともあります。
また、貯水池に住み始めた雷魚や、時には田んぼの泥鰌やアメリカざりがにを一緒に採ったりしました。
私はゲンさんが好きでした。
あの日本人離れした筋骨逞しい体を何処かで見たような気がしてよく考えたら、集落にある鎌倉時代のものといわれる古寺の山門に立っている二人の仁王様でした。
ゲンさんが何処に棲家を見つけたのか、誰も知りませんでしたが、ある日酒造屋の所有する林の中の炭焼き小屋に出入りしているところを目撃され、即刻酒造屋の親父に知らされました。
酒造屋の親父というのが名うての吝嗇家で、無断で炭焼き小屋が使用されていることにひどく腹を立てました。
先代が道楽で炭焼きを始めた時、炭焼き窯の傍に薪や炭の保管用として建てた物置小屋が、先代の死後そのまま放置されていたものです。
物置小屋ゆえ、広くもなく床も無く冬場は寒くて住まいの役には立たないでしょうが、気候の良い時期は、雨露をしのぐには十分でした。
酒造屋の親父は使用人を使って、ゲンさんに小屋から立ち退くよう説得したらしいのですが、ゲンさんは笑って相手にしなかったと聞きます。
その内、酒造屋に泥棒が入り、一斗樽入りの酒と何がしかの金品が持ち去られました。
早速、所轄のT町署が現場を検証し、酒造屋の親父からも事情聴取をした結果、ゲンさんが逮捕され留置されました。決定的だったのは、炭焼き小屋に盗まれた品々がそっくり有ったことです。
ゲンさんは、全く覚えが無いと言い張りましたが、警察は受け付けず、白状しろの一点張りだったそうです。
しまいには、ゲンさんのしぶとい態度に業を煮やした刑事たちが代わる代わる棍棒などで殴りましたが、その程度のことでゲンさんは全く動じず、逆に刑事たちが手を傷め、ゲンさんの頑健な体に呆れたと言うことです。
結局、根負けしたT町署はゲンさんを釈放せざるを得ませんでした。
逮捕当時から署内の一部には、ゲンさん犯人説に少なからず疑問を持つ者もいたそうです。証拠発見が余りにも安易で出来過ぎの観があり、若し第三者の仕掛けた悪意ある罠だとし
たら、冤罪事件にもなりかねない危惧を覚えたのでしょう。
ゲンさんの炭焼き小屋の生活が再び始まりました。
それから間もなく、暮れも押し詰まった寒い夜、炭焼き小屋が火事になり、あっという間に焼け落ちてしまいました。
村人は、酒造屋がゲンさんを追い出すために、自分で火をつけたのだろうと噂をしたものです。
さすがの寒さ知らずのゲンさんも小屋がなくなっては集落に留まることも出来なかったと見え、それきり姿を見せなくなりました。
おそらくどこかよその土地へ移って行ったのだろうと、皆想像していました。
(そのゲンさんが、何故こうして「馬捨て場」に現れたのだろう? それも、この世の者ではない形で)
「ゲンさん、何でこんな所に?」
私は聞きました。
「捨テラレター」
人型のゲンさんが応えました。
「捨てられたって。ゲンさんは死んじゃったの?」
「ソウダー」
「あの炭焼き小屋の火事で?みんな、ゲンさんはどこかよその土地へ移って行ったんだと思ってたんだよ」
「ソウジャナイ。焼キ殺サレター」
「何んだって?それじゃ、殺人じゃないか。あの親父は人殺しなのか?このこと、みんなに知らせてやるよ」
「アリガトウ。坊、モウ暗イ。早ク帰レー」
そう言うと人型はすーっと消えました。
すでに、日はとっぷりと暮れています。
(ゲンさんの遺骸が捨てられているとなると、一刻も早くちゃんとお墓に埋葬してやらなければ。かといって、自分ひとりでは怖くて無理、誰か大人の人にこの事を報告しなければ)
私は最初の目的は後回しにして、ゲンさんの忠告に従い急いで県道を引き返しました。
幸い、道は夜目にも白っぽく判別出来、暗い峠道に入っても何とか通り抜け、無事家に着くことが出来ました。
家の者は皆心配して待っていました。
早速夕飯が始まりました。
大所帯ゆえ、賑やかな食事です。
弟たちが喧嘩を始めます。
私はゲンさんと会ったことを言い掛けたけれど、思い直して黙々と箸を動かし始めました。誰も信じそうもない出来事を、又、口にするのがためらわれました。
とは言うものの、放っておける問題ではありません。
さしあたって、話す相手は若い叔父しか考えられません。
しかし、先刻のゲンさんの亡霊との会話を話せば、叔父のことだから、又笑い飛ばしておしまいと言うことになるでしょう。
でも、私は覚悟を決めて叔父にそっと亡霊話を告げてみました。
「何、亡霊?お墓に埋める?」
叔父が大きな声を出したので、叔母たちが私の顔を見詰めました。
好奇心一杯の顔付きです。
気が付けば、祖母も母も弟たちまでも、一斉に私を見ています。
「坊や、しっかりしろ。あんまり汽車のこど(事)ばかり考えるから、そういう物を見んだ。勉強の方に頭を切り替えろ」
他の者は、話の内容が判らず、どうしたのかと言う表情で二人を見ています。
母が、
「どうしたの?」
と聞きました。
母に話して判る問題ではないと思いましたが、やむなく白状しました。
まず、叔母たちが笑い出しました。
叔父と全く同じ反応です。
「坊や、そりゃ狐に騙されたんだ。狐の言う様に暗くなったら出歩かねえ方が良いよ」
下の叔母はそう言って席を立ちました。
母も笑い顔で
「叔母さんの言うとおり。夕方遅くには出歩かないことね」
そう言いながら食器の片付けを始めます。
結局、誰も真剣に取り合ってくれず、私はどうしたものかと考え込みました。
ゲンさんに約束した事を後悔し始めていました。
床の中に入ってもゲンさんの亡霊が何時までも頭から離れず、とうとう寝不足のまま、朝を迎えてしまいました。
学校に向かいながら、ふと妙案を思い付きました。
後から考えれば、別に妙案でも何でもなかったのですが、私は自分ながら救われたと思いました。