恋冷ましの花
夏も終わる日に、作蔵はお琴を送って行くために山を下りました。しかし、その日、山へとは戻ってきませんでした。
そして翌日も、それから翌々日も。
一週間が経ち、そして一ヶ月が経っても戻ってきませんでした。
だけど夕月は作蔵を信じていました。
しかし、不幸なことでした。
約(つづ)まるところ、夕月はただただ作蔵の帰りを待つばかりの、一人暮らしになってしまったのです。
山の季節の移ろいは速いものです。
夏から紅葉の秋へと移り、そして白雪の冬へと。それから雪解けとなり、そして桜花爛漫の春へ。
さらに季節は巡り、青葉が目に痛い夏へと。
一年の月日が流れました。
夏山は蝉時雨(せみしぐれ)。それはそれは騒々しいものです。しかし、それも一時のもの、秋を予感させる涼風が吹き始めました。
そんな昼下がりに、作蔵がひょっこりと夕月の所へ戻ってきました。だけど、それは悲しいことでした。
なぜなら、お琴を連れてだったからです。
それは戻ってきたというよりは、二人は駆け落ちをして、町から逃げてきたのです。
作蔵はお琴に夢中でした。
そして、夕月への愛はすっかり消えてしまっていました。
「作蔵さん、私、一年待ちました、もう一度ここで私とやり直しましょう。だからお琴を追い出して下さい!」
夕月は心からそう訴えました。しかし、薬草の恋冷ましを、お琴から飲ませられてからの作蔵、気持ちはもう夕月にはありません。
「夕月、おまえには世話になったと思っている。だけど、ここでこれからお琴と暮らしたい。だから夕月……、おまえが出て行ってくれないか」
夕月は泣きました。
とにかく悲しかったのです。そして夕月は覚悟を決めました。
「わかりました、だけど今夜一晩だけ……、作蔵さんの好きだった夕飯を作らせて下さい」
夕月はそう言って、二人に食事を勧めました。
それを遠慮なく食べた作蔵とお琴。苦しみながら、死んでしまいました。
夕月が盛った鳥兜(とりかぶと)の毒で。
その後、夕月は作蔵の身体を滝まで引きずって行きました。
そして作蔵と共に、その滝壺へと落ちて行ったのです。
そんな出来事があってからです。
その滝壺の周りでは、夏の終わりの……ほんの一時だけ。
真っ白な恋冷ましの花が、憑きものがついたように咲き乱れるようになりました。
そして滝壺の底から、夕月の怨念、その叫びが聞こえてきます。
「お琴が憎い。作蔵さん、どうかお琴との恋を早く冷まして下さい。山ほどの恋冷ましの花を、ここに咲かせてみます。だから早く花を見つけてちょうだい。そして、この怨念の滝の、恋冷ましの水をいっぱい飲んで下さい」と。