恋冷ましの花
しかし、作蔵は二人に見覚えがありました。どこかで見たことがあります。
そして、はっと気付いたのです。
若い女のお琴は、お世話になっている薬問屋の一人娘。そして男の孝吉は、そこの奉公人でありました。
事情を聞いてみると、若い二人は切っても切れない恋仲でした。
しかし身分が違い過ぎ、旦那さまの許しが得られません。そして駆け落ちをし、江戸の方へと逃げて行く腹づもりだとか。
その途中、この山の中で道に迷ったのでした。
「まあそれは大層なことですね、さあさあ中へお入り下さい」
作蔵は親切に二人を家へと招き入れました。そしてささやかではありましたが、夕飯を分け与え、寝床も用意したのです。
しかし、作蔵は困惑してしまいました。薬草を買ってもらっている薬問屋の一人娘が、突然男と迷い込んできたのですから。
「夕月、困ったなあ、旦那さまに二人をかくまったと知られてしまえば、怒られるだろうなあ。そしてもう薬草を買ってもらえなくなるかも知れないなあ」
しかし夕月は落ち着いていました。
「作蔵さん、私に良い考えがあります。薬草の恋冷ましを煎じて、飲ませてみましょうよ」
確かにその通りでした。
恋の病には恋冷ましの花の根っ子が効く。作蔵は早速それを煎じ、お茶に入れて、こっそりと二人に飲ませてしまいました。
すると、その効果は覿面(てきめん)でした。
一夜明けて、あれほど恋に燃えていた孝吉とお琴が、どことなくよそよそしいのです。きっと二人の恋の熱は冷めてしまったのでしょう。
奉公人の孝吉は、朝起きて考えました。
お嬢さんのお琴を連れて、この山奥に迷い込んでしまった。
それは駆け落ち。だけどそんなことを言っても、誰も信じてくれないだろう。
下手すれば、これはお嬢さんを誘拐したことになってしまう。
今頃、薬問屋では大騒ぎになっているはず。もう元の勤めには戻れない。そうならば、もう縁切りしかない。
孝吉はこう思い至って、朝早くお琴を捨てて、一人でどこかへと消え去って行ってしまったのです。
一方お琴はお琴で、朝目覚めてから落ち着きません。
なぜ奉公人の孝吉と、こんな山奥まで逃げてきてしまったのだろうか。熱い恋が冷めてしまった今となれば、自分でもそれがよくわかりません。
「早く家へ帰りたい」
お琴はそんなことを急に言い出したのです。