恋冷ましの花
恋冷ましの花の伝説、それはことのほか哀切極まりない物語なのですが……。
時代は、そうですね、それは随分と昔のことでした。
この山奥に、それはそれは仲の良い夫婦、作蔵と夕月が住んでいました。
二人は山で薬草を摘んでは、町の大きな薬問屋に持って行き、薬草を売って生計を立てていました。
その薬草の中でも、一番高価なものが恋冷ましの花の根っ子です。
恋の病は草津の湯でも治らない、世間ではそう言われていました。
しかし、この恋冷ましの花の根っ子を煎じて飲めば、恋の熱はさあっと見事に冷めてしまいます。
だけどその根っ子、なかなか手に入れることができません。
と言うのも、それがどこの土の中にあるのかよくわからないのです。
そういうこともあってか、大変貴重な薬草でした。
そんな恋冷ましの薬草、夏の暑い盛りを過ぎた頃の、ほんの一時だけ、可憐な白い花をつけてくれます。
作蔵と夕月は、毎年花が咲いた時に、その在処(ありか)を憶えておき、一年通してその根っ子を取り過ぎないように薬草狩りをしていました。
「作蔵さん、ご苦労さまでした、今日はどれくらい採れましたか?」
「三束ほどだけだよ。でも明日町へ売りに行って、帰りに夕月に簪(かんざし)を買ってきて上げるから」
「いいのよ、簪の代わりに、作蔵さんの好きなお酒を買ってきてちょうだい」
二人の暮らしは実に貧しいものでした。しかし、二人は互いに愛しみ合い、幸せな日々を過ごしていました。
夏も終わるある日、作蔵は山の仕事を終えて、夕月と二人で談笑し、ゆったりとした時を過ごしていました。そんなところへ、突然どこかからやって来た若い男女が目の前に現れました。
こんな山奥の陋屋(ろうおく)に、男女が訪ねてくることは今まで一度もありませんでした。
「どうなされましたか?」
作蔵は恐る恐る尋ねました。すると若い男が申し訳なさそうに話すのです。
「私たちは孝吉とお琴と申します、この山で道に迷ってしまいました」
その後、拝むように「一晩だけ、泊めてもらえないでしょうか?」と頭を下げました。