恋冷ましの花
今、優也は景色を眺めながら窓際でビールを飲んでいる。
「夏帆、こうして二人だけで、温泉に来るのも何年振りかなあ?」
優也は婚約時代のことを思い出し、夏帆に声をかけた。
「そうね、あれは確か婚前旅行だったよね、だから十一年振りくらいじゃない」
浴衣姿の夏帆はそう追憶しながら、気持ち良く涼んでいる優也に寄り添う。そんな二人の紅潮した頬を、深山(みやま)からの涼風が優しく擦って行く。
「優也ありがとう、私、今まで幸せだったわ」
妻の夏帆が遠くの方を眺めながら一言呟いた。優也はそんな言葉を聞いて、夏帆が愛しい。夏帆の肩にそっと手を回し、優しくキスをする。
「これからも仲良くやって行こうね」
優也は、こんな場面ではそんな言葉が当然かのように、夏帆に囁いた。
「まあ……、そうだわね」
夏帆は少し自信がなさそう。しかし優也は、そんなことには気付かなかった。
こんな二人だけの一時、「失礼しま〜す」と遠慮なく襖(ふすま)が開き、宿の女将(おかみ)が入ってきた。わざわざ歓迎の挨拶に来てくれたのだ。
「ようこそ、こんな辺鄙(へんぴ)な所までお越しいただきありがとうございます。ごゆっくりお過ごし下さいませ」
そんな通り一遍の挨拶があった。そしてそれが終わった時に、優也は女将に訊いてみる。
「明日この辺りを少し歩いてみたいのですけど、どこか面白いというか、興味がそそられるような所はありませんか?」
女将は突然の質問に戸惑った表情をする。
「そうですね、この辺は何もないところですからね」
「ちょっと風変わりな所でも良いのですよ」と優也が食い下がる。すると女将はぽつりと口にした。
「怨念の滝は、どうかしら?」