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7月 かけらの国

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 私は何もせず、ただかん高く儚気な断末魔の叫びを上げてスローモーションのように粉々に散らばっていくかけら達の様子を、時折前髪を微かにそよがす風に目を細めながら見つめていた。
 ひとしきり割り終えると、あーちゃんは煙草を出してマッチで火を点けて、火がまだ燃えているマッチを徐にかけらの山に投げた。温度計に閉じ込められていた色付けされたアルコールや灯油達が微量ながらも勢いよく燃え始めた。
 炎の中で粉々になった破片達はキラキラとその輝きを増しながら、まるで生き物のように艶が出て今にも動き出しそうな程だった。
 その傍に何処かのおじさんみたいにウンチ座りして煙草を吹かしながら、あーちゃんは黙って火を見つめていた。その黒めがちの幼さの残る円らな瞳は、炎が映りちらちら動いてまるで水晶玉のように綺麗だった。
「蛍は知ってたのか?」
 なんの事を聞いているのかがよくわからなかったので何の事かと聞き返すと、あーちゃんは足下に落ちていた小石を拾って火に投げながら静かに言った。
「・・・俺の親父が 蛍の母ちゃんの男だったって事」
 頭の後ろになにかがじわっと滲みた。とうとう知ってしまったのだと思った。急に私はあーちゃんの姿を見つめる事が出来なくなってなにも言えずに視線を足下に落とした。奇妙に揺れる薄い影。
「最近母さんが尋常なく怒るから、俺、面倒臭くなって親父の実家に家出したんだ。そしたらばぁちゃんが言ってた。俺、知らなくて、たまたま夜遅くに来た親父に問いただしたんだ。そしたら野郎間抜けた顔して知らなかったのか? だってよっ!」
 あーちゃんは火に向かって腹正し気に砂やら爪くらいの大きさの石やらを手当たり次第投げ続けた。
「最低だな。蛍が言ってた通りだ。 家に帰ったら、母さん 俺に黙って引っ越す準備をしてた。俺は母さんにとどめを刺しちまったんだ」
「 ・・・ごめん」
「お前が謝んな」
「・・・うん」
「俺は母さんと行く」
「いつ? いつ行っちゃうの?」
「・・・もうすぐ」
 視界が霞んで私は思わず蹲ってしまった。この数日間でそんな事が起こっていたなんて。まるで取り残された気分だった。それに、怒りをぶつけるように一心に砂を投げ続けるあーちゃんの心情が痛い程わかってしまってどうしても堪えられなかった。炎はそんな事には構わずただ燃えている。きっとガラスやなんかがいやらしく溶け合って変にきらきらしているんだ。粉々に割れて光を反射するあの神々しい輝きとは違う、なにかドロドロした如何わしい輝きに似たもの。どす黒く惨めな塊。気持ち悪い。そんなもの見たくない。あーちゃんも同じ気持ちだったのかもしれない。
 全部燃えろっ!燃え尽きてなくなればいい。惨めで濁った塊だけ残して溶け崩れればいい。そして焼け残ったそれを私達が粉々に砕くんだ。欠片も残さずに・・・
 私達はそうしてしばらくただ炎のたてる不思議な音を聞いていた。
「あいつの事、好きなのか?」
 躊躇いがちにけれど、ハッキリとした肉声の輪郭を持ったあーちゃんのその突然の問いに、私はなんの事だかわからず答えに窮してしまった。
「一緒に帰ってんのか?」
 いつもの彼の事だと気付いて、何故か私は慌てた。そうだ。確か、あーちゃんは一回目撃していたんだ。誤摩化すのもなんだか違うし、かと言ってどう説明すればいいのか迷っていると、あーちゃんはもう一度強めに聞いてきた。
「あいつの事、好きなのか?」
「わっ、わかんないよ。そんな事・・・」
「でも、一緒に帰ってんだな?」
「一緒に帰ってるんじゃなくて、あの人がついてくるの。同じクラスだから、それだけだよ」
 あーちゃん相手にどうして言い訳のような事を口走っているのか、わからなかった。あーちゃんは黙りこくって俯いてしまい、しばらく吸わずに灰になって次々落ちて行く口の先に加えた煙草を鋭い眼差しで凝視していた。
 私はどうしてあーちゃんがそんな事を聞いたのかわからなかったので、どうしてそんな事が気になるのかと聞こえないくらいの小さい声で聞いたのだ。
 途端、あーちゃんはすごい勢いで立ち上がり、隅っこに置いてあった自分の使い古してぺっちゃんこになった黒いランドセルを掴むと火の中に投げ入れようとした。私は驚いてしまい、とっさにあーちゃんの腕を押さえてそれを止めさせた。いくら男の子でも、私の方が歳が上なのもあってあーちゃんは私の腕に強く羽交い締めにされてもがきながら喚いた。
「放せっ!蛍っ! どうして俺は小学生なんだっ! 蛍と同い年が良かったっ!こんなガキじゃイヤだっ!イヤだあーー・・・!」
「あーちゃん・・・!」
「あーちゃんなんて子どもっぽく呼ぶなっ! 旭って呼べよっ!俺は旭なんだっー!」
 痛っ! 腹を立てて暴れるあーちゃんを、力一杯抱き締めながら私はまた体中を砂利で擦るようなチクチクした痛みを感じていた。でも、あーちゃんを放す訳にはいかない。あーちゃんの声に呼応するように痛みは増していく。視界の中の炎とその周りに煌めきが増えていき目眩がする程だ。
「蛍っ!放せっ! お前なんか嫌いだぞっ!大嫌いだー・・・!」
 あーちゃんの悲痛な泣き叫ぶ声が建物に谺して、それを合図にしたように静かに雨が降ってきた。
 あんなに躍動していた火は惨めに消され、後には汚く黒ずんだかけらの残骸とだらしなく濡れそぼった焼け跡が残った。私はすっかりずぶ濡れになって更に小さく見えるあーちゃんに体操着のタオルを被せて家まで送って行った。
 家の前まで着くと、あーちゃんは何も言わずに自分の家に駆け込んでしまった。私は正直どうしたらいいのか途方に暮れていたが、鈍痛を堪えた体は重たく何も考えられなかったのでそのまま家に帰った。

 その夜から高熱の出た私は、丸々3週間寝込んでしまった。

 ようやく私の熱が下がって登校し始めた頃、色んな事が一気に変わっていた。
 ママは旭のパパとの私の扱いに対する意見の相違で喧嘩になり、そのいい加減さに呆れて別れ、その勢いで正式にお見合いをして大人しそうな人と再婚した。どうりで体調が回復してきてから家にいない事が多いと思ったらそういう事だったらしい。ママの奔放さと言うか非常識さには驚く事もあるが呆れてしまうが、今回の事に関しては私は心底ほっとしたのだ。
「なんだかママ、あまりの寂しさに質の悪い病気にでもかかっていたみたいなのよ。今思ってもどうしてあの人だったのかしら? って思うの。多分その時に一番身近にいたからね」
 おっとりとそんな事を口ずさむママを苛立たし気に睨みながらも、私は溜息をついた。もっと早くにママがそれに気付いてくれれば、あーちゃんもあーちゃんのママも傷付けずに済んだのに。辛い思いをして離れずに済んだのに。それとも、それも仕方なかった事なのかなぁと疑問に思う。新しいパパは、何処か死んでしまったパパに似たような雰囲気を持つ優しくおっとりした人だった。そのお陰かどうか私は好感を持つ事が出来、とても歓迎した。その人は決して横柄な態度でお前だなんて言わないような人だったからだ。
作品名:7月 かけらの国 作家名:ぬゑ