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The Balance

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「ああ、そういやそうね。今回の試験までが、大学受験に関わるって。……ダメだったら、分かってるわね? 覚悟決めて家継いでもらうから」
 その何度も聴いた言葉にげんなりする。
 蓮華の家は和菓子屋だ。桜華は四代目で、毎日店を切り盛りしている。
 それを十年以上続けていることには感心するが、店を継ぐことを強要されては、例え母親でも尊敬出来ない。
 ストレートで医学部に通るしか、蓮華には残されていない。
(俺の弟子になれ、か)
 家を継ぐことと比べれば、ましかもしれない。--が、それではただの逃げだ。
 けれども、家に埋もれて死ぬのは望まない。
「母さん」
「んー? 何?」
 居間に腰を下ろす桜華に、声をかける。昨夜から続いている、大きな問いをしてみた。
「母さんは、おじいちゃんのことをどれくらい知ってる? --おばあちゃんに出逢う前のこととか」
 小さく声が漏れる。予想もしない問いだったのだろう。
「どうしてそんなこと訊くの。蓮華の知ってる通り、私が話した以上のことはないわ」
「……本当に?」
 問いかけが、自然に口から漏れた。信じられない、といった顔で見つめる桜華。
 琴線に触れたかのように、桜華の表情が変わる。
「母さん?」
「--あ、ああ、ボーっとしてたわ。じゃ、私は店に戻るから」
 桜華は祖父の話題から逃げるように去った。
 やはり、祖父には何かあったのか。それを確かめずにはいられなかった。
 生前、祖父が使っていた書斎。学校が終わった後にでも行ってみることにした。

 一般人の彼女が、どうやって自分のセーフハウスの場所を突き止めたのか、アドルフには不思議でならない。
 目の前には、金髪碧眼の女性が仁王立ちしている。ローンの一人娘--蓮峰桜華。
「“言ったわよね、もう家には来ないでって。どういうつもりなの!?”」
「どういうつもりって、何がだ」
 惚けてみたが、看破されるだろう。隠す気もない。
「“娘を惑わせる気でしょう!? 何を吹き込んだの!?”」
「ああ、ジジイのことを二、三話しただけだ。あんたと娘は似ているが、あっちの方が理解力と協調性はあるみたいだからな。あんたに同じ話はしねえよ。一般の領域にどっぷり浸かってるようだし、どの道話すだけ無駄だ」
 言われるだけ言われ、桜華は歯を食い縛った。
 彼女の許容範囲にアドルフが入っていたのなら、恐らく友好的に話も出来ただろう。だが、それは一生あるまい。一般人の彼女にとって、アドルフは宇宙人にも等しい存在だ。相容れることはない。
「“待ちなさい!! 蓮華を間違った道に連れて行くことは許さないわよ!! あの子は人と比べたら変わってるけど、私の子供なんだから!!”」
 自分の子供をおかしな道には進ませない。親としては当然の考えかもしれない。しかし。
「だから、なんだ。その言い分じゃ、あいつはあんたのお人形か?」
「なっ……?!」
「道はあいつ自身に選択する権利がある。そこだけは、俺やあんたでも侵すことは出来ない。あいつが拒否するなら、俺はそれを受け入れる。
 あんたにそれが出来るか、見物だがな」
 桜華は黙ってアドルフを睨みつけた。それ以上何も言わず、彼女は踵を返していった。

      ◇

 書斎は祖父が亡くなった時と何も変わらず、定期的に掃除されている。
 煙草の匂いが微かにする。書斎の本棚は古書の匂いが鼻を突く。
 それだけでも、蓮華は祖父のことを思い出す。
 亡くなったのは、蓮華が七歳の時。書斎で眠るように死んでいたという。授業中呼び出された時は、何かの間違いだと思った。
 葬式が終わっても、気持ちの整理はなかなかつけられなかった。医師だった 祖父が、こんな呆気なくいなくなるなんて、何かの間違いだと。
 だが、寂しそうな目をしていた祖父を思い出すと、その逝き方しかなかったのかもしれない。今は、そう考えている。
 寂しそうにしていた理由は、分からない。
(もし……あの男が言ったようなことを、祖父がしていたのだとしたら)
 頭を振る。憶測では証拠にならない。
 気は引けるが、机の引き出しから順に探っていく。
 使い古した万年筆、便箋、メモ帳といった文具が出て来た。書き残されたメモも見てみたが、大したことは書かれていない。
 医学書を除き、祖父の持ち物はそう多くない。が、引き出しの中はレターセットやインク、ペンといったものが溢れんばかりに入っていた。祖父はアメリカに居た頃の友人によく手紙を出していたらしい。
 余りにもぎゅうぎゅうに詰められていた為か、引き出しを開けた途端、ペンが机の下に転がり落ちる。手の届かない奥に入ってしまう前に、机の下に潜り込んでさっと拾う。
「……!」
 その机の下で、何気なく見上げた時、蓮華はそれを見つけた。
 そこには白の封筒が、画鋲でしっかりと留められていた。
 掃除は定期的に行われているが、引き出しの中までは誰もいじらなかったらしい。封筒の端は少しも折れていない。とはいえ、あの祖父にしてはなかなか滑稽な真似だ。
 中を開いてみると、果たしてそれは蓮華に宛てた手紙だった。

“親愛なる蓮華。これを見ているということは、アドルフ・ロエフに出会った後だろう。
 忠告を。君にとって、彼は生きる術を教えてくれる存在だ。君の知りたいことの殆どに答えてくれる。
 ただ、彼を全面的に信頼しては君が損する。もし彼についていくというのであれば、気を付けるように。

 追伸 無理に私を知ろうとする必要はないし、アドルフ・ロエフの言葉に耳を傾けなくとも良い。蓮華は蓮華のしたいことを選んで欲しい。

 ローンより”

 簡潔な文章。祖父らしい、感情を抑えたものだったが、あの男に対しての感情は複雑だったらしい。やはり彼も、アドルフ・ロエフとは気が合わなかったに違いない。
「……」
 十一年ぶりの、祖父からの言葉。追伸に記されたものが、胸を突いた。
「--……手遅れね」
 ふう、と長く息を吐く。
 手紙をもっと早くに見ていれば、決断は違ったものになっていただろうに。
「本当、悔しいわ。理由が、始めからあるじゃない」

        ◇

 それから幾日か経った夕方。アドルフは、ふらりと蓮華の前に姿を見せた。
 彼女だけの答えは出たか、その確認だ。これで拒絶されれば、それまで。
「よう、こないだの誘い、受けてくれるか?」
「前に言った通りよ、お断りするわ」
 拍子抜けするほど、素っ気ない答え。だろうな、とアドルフは軽くうなずいた。
「但し、条件を呑んでくれるなら、貴方の弟子になってもいい」
 彼女はにやりと笑った。全肯定はしないというのが、アドルフの心をくすぐる。
「良いぜ、何だ」
「私はローンの血を引き、彼を誰よりも尊敬している。今まで、彼に近付きたい一心でやってきた。これからもそうあるべきだと思ってる。
 --だから、貴方の知っている祖父を全て教えなさい。貴方だけの勝手な解釈と意見は要らない。
 もう一つ。私は貴方の敷いたレールをそのまま走る気はない。私は私だから、誰の指図も受けない。
 以上よ。この条件、呑める?」
 アドルフは口笛を鳴らした。
作品名:The Balance 作家名:竹端 佑