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The Balance

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 そんな“彼女”に、雇った彼らが勝てるのか? 気圧されてしまうのではないか?
(いや、賭けはもう始まってる。行こうぜ)
 アドルフは物陰から姿を現した。五メートルの位置で止まり、口を開く。
「お前がハスミネレンカか?」
 数年歴の日本語で、“彼女”の名を呼んだ。
「それが、何か」
 “彼女”は長い黒髪をなびかせ、アドルフをすり抜けるように先を行く。半分は意図的に、半分は無意識に無視しているような目を見せて。
「お前、将来何になるつもりなんだ? 大学行って、OLになるのか?」
 唐突に尋ねられ、“彼女”の歩みが止まった。
「……医者に、なるつもりだけど」
 しばらくの沈黙の後、“彼女”がアドルフに応えた。
「止めとけよ。お前には向かない」
 アドルフはそう断言した。煙草をくゆらせながら。
 尤も、どんなに素晴らしい将来の夢が出てきても、アドルフには肯定出来ない。
「何様のつもりよ、貴方」
 初めて“彼女”が感情を顔に表す。あからさまに、部外者からの干渉を嫌っている。
「忠告だ。ダメならさらう」
「は?」
 我ながら誤解を招いたかなと思いながら、パチン、と指を鳴らす。
 雇った男たちが、思い思いに“彼女”を囲む。“彼女”が美人というのもあって、彼らのやる気は俄然上がっていた。
 彼らを一瞥し、“彼女”は不敵に笑った。
「……人一人口説くのに、大袈裟ね」
「そうか? 俺は本気だぜ?」
「……まぁ良いわ。軽く済ませましょうか」
 “彼女”の手にしていた鞄が、手放される。
 それを合図に、五人の男たちが包囲網を縮めにかかる。
 “彼女”の身体が一瞬低くなった。全身をバネに、前へと突進する。
(速いな--)
 うげ、と苦悶の声が漏れた。“彼女”の速さに遅れた前中央の男が、腹部に拳を受けて沈む。
 男が自分に寄りかかる前に、“彼女”はもう一人共々、掌底で退ける。
 残り三人が焦りを隠さず彼女に掴みかかる。
 一人は顔面へ裏拳、一人は喉への手刀、一人は全身を地面に叩きつける豪快な足払い。
 わずか一分に満たない閉幕に、アドルフは息を整えた。
 あちらは平然としたまま、汗の一粒も掻いていない。
(やっぱりこうなるか。カエルの子は--ってやつか)
 アドルフは間合いを詰めた。若いからと油断はしない。油断など、ローンの時だけだ。
 やるからには、本気で当たる。
 接近するアドルフに、“彼女”も間合いを詰めてくる。
 むやみやたらではなく、こちらの動きを図る為か、弧を描くような足裁き。間合いは詰めても詰まらせない。
(良い動きするな。なら、誘われてやろうじゃねぇか!!)
 中国の故事にある。虎の子を得たいならば虎の穴に入るべきだと。“彼女”はまさにそれだ。
 踏み込み、中段の蹴りを穿つ。腹部に当たれば上々。
 だがそれは向こうも予測していた。アドルフの脚をかい潜り、その背後に回った。
 圧縮された殺気が、背中に走る。
「遅いぜ」
「!!」
 貫手を掴む。“彼女”の勢いを利用、そのまま内股刈りで投げた。
「……っ!!」
 受け身をとった“彼女”が反撃出来ぬよう、両腕を後ろから捻る。
「よう、ここまで暴れるとは驚いたぜ」
「“--……どういうつもりよ、貴方。大体、何者?”」
 流暢な英語で、“彼女”は不快を露わにした。母親と同様の反応だ。
「俺はアドルフ・ロエフ。ジジ--あんたのじいさんの知り合いだよ」
「“祖父の……? それで、私に何の用?”」
 アドルフは“彼女”の腕を離してやる。
 離された途端、“彼女”はぱっとアドルフから間合いをとった。
「お前、じいさんについてどれだけ知ってる?」
「“祖父は昔、医師をしていた。戦後復興の為に日本に来て、帰化したと聞いているわ。私が物心付く頃には、引退していたけれど”」
「はぁ、それが全てか。案外、殆ど知らずにきたんだな」
 “彼女”の眉がひそめられる。他人のお前が何を言っている、と。
「ローンというあんたのじいさんの名前だが、偽名だ。
本名はユアン・ダム。国防総省(ペンタゴン)の職員であり、国際警察の人間でもあった人物だ」
「“……それは何の冗談かしら。エイプリルフールにしちゃ早いわよ”」
 額を手で抑え、“彼女”が尋ねる。余りにも唐突な話に、混乱しているようだ。無理もないことだが、ここは話を続ける。
「本当の話だ。あんたのじいさんはな、アメリカの国家プロジェクトを廃止させる為に数十人もの人間を殺した。それから姿を消したのさ。医師の資格持ってた奴がすることとは思えないだろ」
「“嘘よ。そんなはずがない!! ……祖父は優しくて、誰よりも命のことを知っていたわ”」
「そうだな。だがそいつも、人を殺したからこそ知った事実だろう」
 “彼女”は信じられない、と首を小さく左右に振る。祖父を尊敬していたのだろう。それも盲信的に。
「“貴方……何が言いたいの”」
 怒りに震えた声で、問いが投げかけられた。
 それに対する応えは、一つしかない。
「お前は自分の祖父が何者か知らずに生きるのか? 自分が何故ここに居るのか、知りたくはないのか?
 医者になるのは、それからでも遅くない。俺の弟子になれ、ハスミネレンカ。俺がそいつを教えてやる。ローンの孫なら、手前のことくらい知っとけ」
 “彼女”--蓮峰蓮華は、投げ捨てた鞄を拾い上げ、きっとアドルフを睨みつけた。
「“お断りよ”」
 そう吐き捨て去っていく蓮華は、まるでローンと同じように映って見えた。

「……」
 蓮峰蓮華は、眠れずにいた。
 祖父のことを知っているかと尋ねた男--アドルフの言葉が耳から離れない。
 祖父のことを尊敬していた蓮華にとって、寝耳に水の話ばかり。
 自分の祖父が何者か知らずに生きるのか。自分が何故ここに居るのか。
 それらを知らずに大成など出来ない、そう男は訴えていた。
 今まで、自分で決められることは自分で決めてきた。
 男の言い分を拒否し、他の道を選ぶことも出来る。
 だというのに、拒否する確固たる理由が出て来ない。理由なく拒否するなど、幼児のする駄々だ。
 ならば肯定か。
(……そんな簡単なもんじゃないでしょう、蓮華)
 自分に言い聞かせる。肯定の言葉を簡単に口にする。それはただの良い子だ。自分で何も考えず、鵜呑みにすることだけはしてはならない。
 否定には否定、肯定には肯定に値する理由を。
 それがなければ、あの男を論破出来まい。
(--いや、一つだけはっきりしてる。私は、あの人が嫌い。本質的に)
 次会った時は何と言い返してやろうか。
 考えているうちに、夜は明けた。

「お早う、母さん」
 居間に向かうと、台所に母--桜華(おうか)が立っていた。鮮やかな金色の髪は父親であるローン譲り。蓮華の髪の色も、その血を継いで本来は金色だ。だが好奇の目や教師のあらぬ言いがかりを避ける為、小学生の頃から黒に染めている。ただでさえ退屈な学校生活だ。余計な相手をすることは、蓮華にとって酷く苦痛でしかないのだ。
「おはよう蓮……どうしたの? 隈出来てるわよ」
「遅くまで勉強してたから」
 寝られなかった理由は、言わなかった。寝る寸前まで期末考査の勉強をしていたので、嘘ではない。
作品名:The Balance 作家名:竹端 佑