The Balance
対等、しかも後々彼女が有利になる条件だ。こちらが半ば強引に誘ったことも影響しているが、十八の少女にしては、条件の持ち込み方が巧い。
(しかも自分が何者か、答えを持ってやがる。俺の見込みは甘かったな)
教えることは少ないかもしれない。逆にこちらが教えられる可能性すら十分に考えられる。
(ジジイ……こうなることを予測して、俺を拒否したな。抜け目ねえ)
蓮華にとって、アドルフは利用出来る人間。それをローンが見抜いていたようで、苦笑を漏らした。
「良いぜ。思う存分、俺を踏み台にしろ」
「そう、理解が早くて助かるわ」
「……何か負けた気がするのは気のせいってことにしておく。交渉成立だな」
右手を差し出す。その手を蓮華が握った。軽く風が吹いたように、すっと。
「--それじゃ、これからよろしくお願いします、先生」
「お、先生ね。よろしくな、レンカ」
“先生”と呼ばれたむず痒さを堪えつつ、アドルフは笑った。
不思議な感覚が、身体の奥から湧く。
つかえが取れた瞬間の解放感に似た、自分がここに生きていることが、何故か嬉しい。
アドルフはもう一度、手を握り返す。
そこには、確かに繋がりが見えた。
◇
二年が経った。
蓮峰蓮華という人間は、逸材だった。
ローンの孫であるからか、はたまた天賦の才能か。アドルフがやることと言えば、彼女がそれまでに培ったものに付け加えをするだけで良かった。
付け加えはしたが、彼女は彼女まま。全く揺らがない。過ぎた弟子になってしまったなと自嘲する。
「何を笑ってるんです? 人の顔見て」
パソコンのキーを叩く手を止め、今では髪の色を地に戻した蓮華が睨みつけてくる。
ローンの未来視が遺伝したのか――ただし彼女に未来視の力はないらしい。母親の方がそれに近いものを持つと蓮華は教えてくれた――、勘が鋭いのは困りものだ。
「なぁ、ちょいと買い物頼まれてくれねえか」
「お断りします。どうせ煙草でしょ」
「ビンゴだ。釣りはやっから、買ってきてくれよ。後生だから」
後生なんて何処で覚えたのよ、と蓮華が呟く。
「ええい、おまけにアレをやる。ニックの奴に預けてあるから、使いたきゃ使え」
蓮華が目を丸くした。
アレというのは、アドルフの愛用する銃のことだ。銃を持つことの出来ない日本において、使う機会はほとんどなかった。
だが一度撃って見せた時から、蓮華がその銃に興味を持っていることは明白だった。
学校の部活で弓道をやっていた彼女にとって、銃の射撃もそう変わらないものだったらしい。蓮華であればあの怪物もすんなり扱って見せるだろう。
「……良いんですか」
「ああ、俺はもう使わねえだろうしな。使うときゃお前から借りる」
「分かりました。いつもので良いですね」
蓮華は千円札を引ったくると、部屋を出て行った。初めて物に釣られやがって、とアドルフは苦笑した。
最後の煙草に火を点け、肺に煙を吸い込む。
「っ?!」
左胸がずぐりと痛んだ。椅子の背もたれに身体を委ね、息を辛うじて吸う。
朦朧となりかける意識。煙草は何処にやったのか--運良く灰皿の中にあった。
(火事になっちゃあ、あいつに怒られるから、な--)
荒い息の中、ローンの言う通りになったと笑う。
だが、後悔はしていない。味気ない人生の中で、一つだけ満足のいくことが出来た。
(後は、お前が選ぶかどうかだ……レンカ)
再び心臓が跳ねたが、今度は痛くも苦しくもなかった。
心は今までで最も穏やかで、暖かさで一杯だった。
◇
「買ってきました。ったく、二十歳になった途端買いに行かせるんだから……」
悪態を吐きながら、部屋に入る。
いつもならばふざけた言葉を返してくるのだが、静かだ。
「……先生?」
傍らに近寄って、蓮華は悟った。
「--…………なんだ。死んだのね、貴方」
それにしても、と彼の死相を窺う。
「笑ってるじゃない。これじゃ誰が見ても、泣けやしないわ」
彼の額に、軽く口付けする。
「さよなら、先生。お世話になりました」
穏やかな顔を脳裏に焼き付け、彼に別れを告げた。
勝手に痛む心を、やんわり受け流すように。
◇
荷物をもう一度確認し、ロングコートを羽織る。
重たい鞄を手に掛け、蓮華はドアへと歩みを進めた。
これからここに戻って来るのは、そう多くはないだろう。
だが感傷は無用。今は自分の選んだ道を行く。
「それじゃ行ってきます。先生」
END
作品名:The Balance 作家名:竹端 佑