絵画レビュー
ヤーコプ・ファン・ロイスダール「View of Haarlem with Bleaching Grounds」
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自然は自生的であるから、形成的な芸術作品とはその成立の段階で異なる。平たく言えば、自然は勝手に出来上がるもので、人の手によってなるものではないということだ。
それでありながら、自然は絶妙な複雑さや規則性を持つことで、芸術作品に匹敵する美を我々に対して開示する。例えば森を考えると、一本一本の樹の配置や草花の配置は、あたかも芸術家がキャンバス上で構成したかのような適度な複雑さを備えているし、樹々や花々の色彩と、その配置も、あたかも芸術作品の中のもののようである。樹の分枝の規則性や花弁の配置の規則性には何やら理性的なものを感じてしまう。芸術家が理性的に機械性を付与したかのようである。
画家は絵を描くとき、何を描くか、そしてそれらをどのように配置するか、どのように彩色するかを、己の美的感性に従って決定する。だが、自然はそれ自体として、あたかも画家の美的感性に従って出来上がったもののような様相を呈するのだ。
風景画において、画家は対象や色彩の配置を構成する必要がない。構成は自然がやってくれている。鑑賞者は、自然が自生的に構成してしまった絶妙な複雑さや規則性を鑑賞するのだ。そしてそれは画家の手による構成よりも美しかったりする。