絵画レビュー
ピーテル・デ・ホーホ「中庭での合奏」
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民衆を描くか、自然を描くか、聖像を描くかによって、絵の空気は違ってくる。民衆を描いた絵の空気はやわらかい。我々にそっと触れてくる布のような質感がある。民衆を描いた絵画の魅力の一部は、このやわらかさ(親しみやすさ)によるものである。
この絵は、日常の何気ない一瞬を切り取ってきたものである。右側にいる通行人の存在が、描かれた情景の何気なさ・日常性を示している。そして、門の奥に遠くの住宅が丁寧に描かれることにより、合奏している人々とは別の人々の日常もしっかりと存在していることが示されている。そのことにより、世界が際限なく続く日常性で出来上がっていることが暗示される。
日常は絵画に描かれることにより非日常へと変貌するのだろうか。むしろ逆だと思う。日常は絵画として描かれることにより、いっそう日常性が際立たせられる。鑑賞者は、たいてい美術館など非日常的な場で絵画を見る。そのような非日常的な空間で、日常を描いた絵画に触れると、日常への遡行が起きる。その遡行は非日常的な空間で行われるため、鑑賞者に負荷がかかる。この負荷により、日常の些事が再発見されるのである。