絵画レビュー
ピカソ「アビニョンの娘たち」
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ピカソは、自己と世界が、ともに何者かに「侵食されている」事実に敏感であった。そして、自己と対象との共通性をその被侵食性において見出したのだ。被侵食性において、自己と対象、そして世界は同質であり、自由に互いの存在を交換し合える。
キュビスムとは、結局、対象が主体とは別の視点によっても侵食されているという事実を如実に示している。そして、彼が常に作風を変え続けたという事実は、彼自身が統一された存在ではなく、常に何者かに侵食され、自我を解体し変形させていった証拠であろう。統一された自我、連続して自己同一な自我、そういう超越的主観によってはいまだに統合されていない、ばらばらの自分というもの、それをピカソは常に何となく感じていたのではないか。そして、対象を通しても、自己の視点により統合される以前のばらばらな状態が見えてしまうのだろう。
この、統合されていないばらばらな、統覚以前の自己や世界のあり方、それこそが、ピカソや彼のとらえる世界を侵食する何物かであったのである。そして、この侵食の位相、統合以前の位相において、彼は自己と世界の同質性を見出した。統一されず、不連続で、自己同一的でない、そのような自己と世界を、彼は一貫してとらえ続けた。