絵画レビュー
シャガール「私と村」
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シャガールは空間の文法を破った画家であろう。3次元空間を2次元に構成する場合において、キュビスムは、複数の視点の共在や形体を歪めることで空間の文法を破ったのだが、シャガールはもっと大胆である。人と牛の向かいあう空間が主題であるかのようだが、牛の顔の中には新たに別の空間が開かれていき、上部におかれた二人の人物においては、空間の上下関係が引き裂かれるように転倒されている。このような大胆な空間操作は、想像の世界とか夢の世界とか、そういう認識で片づけられるものではなく、もっと、シャガールには空間のあり方そのものに対する特異な把握方法があったというべきではないか。
空間の中に空間を開いていく、あるいは、逆向きの空間を無理やりくっつける、それは一種のレトリックであり、そのような修辞が無ければ表現できないものがシャガールの内部にあったのだろう。牛の顔の中に故郷の風景を描くのは、牛と故郷との分かち難い関係、牛によってそのような郷愁が開かれていくという新たな開かれの関係、そういうものがあったからだろう。男女が上下逆になっているのは、男女の関係が、何かしらの相反する諸要素によって構成されていたからであろう。空間の文法を破ることでしか、そのレトリックでしか表現できないものの存在を、シャガールはみずからの内部に早くから認めていたのではないだろうか。