絵画レビュー
オノレ・ドーミエ「洗濯女」
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私はこの絵になぜか普遍性を感じた。つまり、世界のあらゆる事物が、この絵の中に何らかの対応物を持っているように感じたのだ。この絵を適切な方法で変換していけば、世界のすべてが現れてくる、そんな印象を受けた。世界はこの絵の中で完結している。
この絵の上下左右前後に接続する風景があるわけだが、この絵に接続するこの絵の外の風景は、実はとても明るくくっきりしているのかもしれない。この絵の外の風景は、この絵のように暗いのではなく、写実的に明るいのだと思う。
それら写実的に明るい風景に囲まれながら、この絵はそれらと等量の重さを持ってそれらを支えている。世界は、明と暗が調和していなければならない。写実的な世界はあまりにも明るいので、どこかに暗い風景が存在して、それと釣り合わなければならない。この絵は、暗く不分明であることによって、世界の明るさの代償として明るさの罪をあがなっているのだ。
洗濯女は暗くあることによって世界の明るさをあがなっている。その犠牲の神々しさが、とても深いもののように感じられる。