桜の頃
−6−
翌日から圭介は週末までの一週間を意欲的に過ごした。
上司からも「何かあったのか?」と冷やかされることやパソコンに向かいながら にこやかな顔してしまった時は、
同僚の女性に気持ち悪がられたりしたこともあったが、社内でこのての話をすることはなかった。
思い切って電話をかけた和実もまた特別な一週間を感じていた。
掛けるきっかけは、妹思いの兄・貴也(たかや)とのたわいもない いつもの会話だった。
和実が充電のために携帯電話をリビングに置いていた時、ストラップがついていることに気づいた兄が聞いてきた。
「これか、貰ったって言ってたやつ?」
「うん。」
「で、どうした?」
「え、何も・・。」
貴也は、妹・和実のことは何かと気に掛けていたし、性格的なことも含めて奥手な和実に語りかけた。
和実の初めての気持ちへの戸惑いをうまくほぐしていきながら、どんな相手なのかも興味があった。
「とりあえず連絡だけしてみりゃいいじゃん。どういう奴なのか。付き合うかなんてことは後でいいから。着いていったろっかぁー。」
「も、いい。」
その後の電話であった。
お互いに電話番号は知ったにもかかわらず、どちらからも連絡をすることもなく約束の日は明日となっていた。
和実は兄の部屋で少しの間、動画サイトの話をしていた。
落ち着く空間と空気の中で過ごしたかった。
自室に戻った和実はそのまま眠りについた。
翌朝は少し遅くに目覚めた和実は、洗面と朝食を済ませ、出かける支度を整えると口先を尖らせた笑みで出かけて行った。
圭介と和実は待ち合わせ場所で会うと近くの喫茶店に入った。
圭介から話をしたり、質問をしたりしながら少しずつ和実も言葉が出るようになった。
お茶を飲み終わる頃には、緊張もいつしか感じないデートを楽しんでいた。
和実は、圭介が6歳年上ということに少し抵抗を感じたが、話すうち年の差を感じさせない圭介の話し方は安心感へと変わっていった。
圭介の安堵といえば、和実が高校生でなかったことかもしれない。
「ここ出ようか。」
ふたりは店を出て街中を眺めながら、その話をしては少し笑った。
電車に乗り、圭介が和実を連れて向かったのは、圭介の自宅近くの動・植物公園だった。
(初デートは短めに。早めに送ってやれよ)
おせっかいにも圭介にアドバイスをした雅斗の言葉どおり、まだ日の高いうちに圭介は帰りの計画を実行しようと考えていた。
動・植物公園を出たふたりは、並木道の通りを抜け、信号を2つ渡り地下鉄道へ下りる入り口を左に見ながら住宅の方へと足を進めた。
(何処行くの?)
和実は尋ねようかと2度ほど圭介を見上げたが声には出せなかった。
道を三筋通り過ぎ、角を2つ曲がった先に煉瓦調のタイルの外壁のアパートが見えた。
「今日は僕の自動車で送るよ。」
圭介はそのアパートに隣接した8台分のスペースの駐車場へと行くと 真ん中辺りでポケットからキーを取り出た。
リモコンによる開錠を行なうと、奥から2台めに駐車してある黒い車のサイドランプが3度点滅した。
助手席側のドアを開け、「どうぞ」と和実を促した。
その席へと座ると、圭介はドアを閉め 運転席へと乗り込んだ。
和実がシートベルトを引きだすと、圭介はその先の金具をシート脇の金具に繋いだ。
その一連の動作に和実は少し緊張したものの、圭介の紳士的な態度を快く感じた。
キーを回しセルの音が静かにエンジンの音に消されていく。
「じゃあ、出発。」
自動車は少しの段差に揺れたが、静かに公道へと走り始めた。
「何か曲かける?楽にしててよ。」
圭介は通い慣れた通勤の道を和実の住む町へと向かった。
公園の外周に沿って通る道路は和実も良く知るコース。
おそらくは20分もかからず家に着くだろう。
ふたりは話しが出てこなかったが、圭介は、また次に会う約束をしたかった。
「今度はドライブにしようか。」
和実は、頷(うなず)いた。
「僕はさ、勤めがあってなかなか平日の昼間って会えないけど、会社の帰りでも良かったら会おうよ。時間もたぶん不規則だし、
あっ、定時は一応6時半なんだけど、まだまだ下っ端だからね。」と、笑った。
「門限なんてものもあるのかな?」
「・・あるのかな?」
「まあ、おいおいってことで。」
大きな交差点の赤信号で停車した時、圭介は手近な所においてあった紙にペンで書いた。
「信号・・・」和実の声と同じくしてメモを書き終えた圭介はそれを和実のほうへ渡した。
「僕の。電話だとすぐ出られないこと多いからメール入れて。君のメアドも分かっちゃうか。あはは」
和実の中で圭介との年の差を感じることの疑問が少し解けた。
使う言葉が時々おじさんなのだ。
少しにんまりとしてしまう。
和実の家までほどなく近づいた。
「どの辺り?あの公園の近くでしょ」と話しているうちに和実の家は通り過ぎていた。
圭介は、展望公園下に車を停めた。
「今日は君も僕もお互いの名前呼べなかったね。でもまた会う時にそれは嫌だから、今度はちゃんと言ってね。」
「はい。」
「今日は家の前まで送る。教えて。」
圭介はサイドブレーキを解除すると以前 和実を見失った角まで移動した。
「どっち?」
「左。道路3つ越えた角のマンション。」
圭介は和実の暮らすマンション前に車を止め、シートベルトの金具を外した。
ドアロックを解除すると少し口元に笑みを浮かべた。
「はい。エスコートはしませんが。お疲れさまでした。」
「ありがとうございました。」
和実が自動車を降りると圭介は窓を開け「じゃあまたね。」と車を発進させた。
和実は車が角を曲がるまで見送ったあと、「んーはあーー」大きく息をついた。