桜の頃
−5−
真夏日も多くなってきたかと思えば、いきなりの大雨。
この国の恵まれた趣ある言い方をすれば『梅雨(つゆ)』の頃になっていた。
圭介は、友人で彫金をしている橘 雅斗(たちばな まさと)と会っていた。
雅斗とは高校2年からの付き合いになる。
まあいわゆる やんちゃ友達というわけではないがいつも行動をともにする仲だった。
美術よりは図工系の得意な雅斗は趣味で銀製品の宝飾加工などを作っていた。
進学もそれを生かしてと美大を目指していたが、父親の不慮の死により断念せざる得なかった。
母親が何とか働き 雅斗自身もバイトで貯めた金銭で専門学校へと入学。
その時、圭介も応援・援助をしたこともあり、「今の俺にはこれくらいの気持ちしかできないけど俺の初めての作品だ。
受け取ってくれよ。」とまだ未熟な塊を圭介に渡した。
それがあの《モグラ?》のストラップだった。
ふたりで飲むのは久しぶりのことだった。
さほどアルコールに強いふたりではないが、話をなめらかにするにはやはり役立つようだ。
成人式の祝杯以来フランチャイズでチェーン店の居酒屋がふたりの定番だ。
今、もっとも旬な話としてはやはり「和実」のことである。
「だからさ、連絡ないのかよ。」
「ない!」
きっぱりとした圭介の返事に雅斗は不満だった。
「俺の魂込めた、願掛けストラップだぞ。」
「雅斗の思い込めすぎたんじゃないか?彼女できませんように・・とか。あはは」
「おいおい、圭介君よ。俺は一度でも他人(ひと)の不幸を願って作ったことあるか?」
「ない!」
「だろ!」少しご機嫌を回復したようだ。
「わかんないんだよな。彼氏が居るなら居るで断ってくれればいいんだし、(僕を)気に入らないなら会いに来なければ良かったんだ。」
「どこまで彼女のこと知ってるんだ?」
「家の電話番号。」
雅斗は中ジョッキに残っていた生ビールを一気に飲み干すと席を立った。
「帰るぞ。」
圭介は雅斗の後を追うように店を出た。
無言で前を歩く雅斗に圭介はやっと声を掛けた。
「どうしたんだよ。」
「いや、急に仕事したくなった。」
「なんだよ、それ。」
雅斗は急に立ち止まり振り返えると圭介に歩み寄った。
「明日家に電話してみろよ。じゃあな。」
圭介を残し雅斗は市営鉄道の入り口へと消えて行った。
一息ついて圭介も駅の入り口に足を向けた時だった、携帯電話の着信のサインがあった。
(雅斗かな。あれこれ? 080−9785−1324)初めて見る番号に動揺していた。
圭介は口角がクッと上がり笑いかけたが、通りすがりの人の視線にできるだけの我慢をした。
右手で小さくガッツポーズをしていた。
その番号が『和実』のものかの確認もないままに携帯電話のアドレスに登録をした。
(えっと名前は、『ネズミ』まっいっか。はい、登録完了!)
深呼吸をすると着信履歴の『ネズミ』と変換されたところにカーソルを合わせ、[選択][発信]と押した。
受話器からコールの音。
(・・3回、4回、5か・)
「はい。」聞き逃しそうな声がした。
「あの、今僕の携帯に連絡をくれたのは・・。」
「根岸です。こんばんは。」今度は歯切れの良い声が返ってきた。
「あ、茂倉です。電話かけてくれてありがとう。」
「いえ、今大丈夫ですか。」
「全然、大丈夫です。お元気ですか。」
「はい。」
洒落た台詞も 気楽なしゃべりも 情けないほどに出てこないものだと圭介はあとになって思った。
ふたりは電話が通じあったことの確認ができたことと、今度会う約束をしただけのほんの短い通話で終わった。
圭介は余韻が薄れる前に 雅斗の携帯電話に連絡を入れた。
「おかけの電話は、現在電波の・・・。」
楽しい時も急いでいる時も構わず冷静に話すアナウンスの声がした。
(なんだよ)
でも、メールでこの状況と気持ちを伝えたくはなかった。
(とりあえず帰るか)
圭介は、急いで入り口の階段を駆け上がり・・この市営鉄道は市内の地下を通っているがこの駅辺りは地上を走る構造になっている。
改札口を通り抜けてホームへと出たところへちょうど電車がはいってきた。
座席はところどころ空いてはいたが、圭介は腰掛けることなく出入り口ドア付近のポールに凭(もた)れかかった。
降りる駅は5駅先だ。
この駅は駅名にもなっているが、国内でも名前は知られている植物園と動物園が隣接している公園がある。
住宅地ではあるが近年マンションや道路規制も行われ少し美しさも取り戻しつつあった。
周囲にはショッピングセンターや商店街、ファミリーレストランもあり、独身の独り暮らしには困らない便利な町である。
駅の階段を上り、圭介の住むアパートまでは徒歩で5、6分。
圭介は足早に家路を歩きながら 雅斗の携帯電話への連絡を試みた。
コールも聞こえないくらいに声が戻ってきた。
「どうした?」
「きたよ。かかってきた。ありがとう。」
何故か礼を言いたくなった。
「だろ!俺のは利くんだよ。良かったな。今度おごれよ。」
「ああ。」
ちょうど部屋の前に着いた圭介は鍵を開けると「ただいま」と声をかけた。
誰が居るわけではない。
寂しいからでもない。
いつもなら足も重く帰って来ることがほとんどだが今夜は違う。
圭介の後ろ姿はすっきりしていた。